『親ガチャという錯覚』 −情報が満ち、祖国は沈むのか?−
序章
親ガチャ。
SNSで飛び交うその言葉を聞くたびに、私は小学生だった頃の自分を思い出す。
昭和50年代、共働きの家庭はまだ少なかった。私はいわゆる“鍵っ子”で、学校から帰れば家のドアを自分で開け、弟の面倒を見ながら夕方を過ごした。
近所の友だちの家には、たいてい母親がいた。夕方には台所から味噌汁の匂いが漂い、夏休みには海外旅行へ出かける家族もいた。私はといえば、両親の里への帰省だけが楽しみだった。
そのころは「少し貧しいのかもしれない」と感じていた。
今振り返れば、決して貧しくはなかった。小さな一軒家を買い、両親は働きながら私たち兄弟を賢明に育ててくれた。
しかし比較の目はいつも働き、どこかで「何でうちだけ」と思っていたのかもしれない。
その不足感が、私の中に小さなハングリー精神を育てていったのは間違いない。
そして令和のいま。
私の子どもたちは、親ガチャ「外れ」と思っているかもしれない。
経営者の家庭として、何不自由なく暮らしているはずなのに。
夜更かし、朝寝坊、スマホ時間を指摘すれば不貞腐れる。
「友だちはディズニー、海外旅行が当たり前。うちはなぜ行けないんだ」と逆ギレもする。
日本は30年賃金が上がらず、平均年収は500万円に届かない沈んだ国だ。
私は何とかやっているが、娘たちの友だちの家庭はうちより富裕層が多い。
そのなかで彼女たちは「外れ」と感じている。
昭和の不足とは違う。
令和の不足は、情報が過剰に与える錯覚の中でつくられている。
滅びゆく祖国を見守りながら、それでもこの国を諦めたくはない。
「親ガチャ」という言葉を簡単に片づけずに、余白のまま抱えておきたい。
1章|畏怖の中で育った
正直に言えば、私は自分の親を「外れ」と思ったことはない。
いつも厳しく、恐ろしい存在だった。
反抗する余地などなく、ただ畏怖の念で見上げるしかなかった。
共働きで家にいない両親。
家事や弟の世話は私の役目だった。
それを当然とする空気があり、甘える余地などなかった。
叱られることは多く、褒められることは少なかった。
子どもながらに「逆らえば命を落とすかもしれない」
そんな極端な想像すらしていた。
それでも、両親は自分たちの精一杯で私を育ててくれていた。
小さな家を買い、毎日働き続け、私に背中を見せていた。
その背中は怖かったが、同時に強さでもあった。
私は「外れ」ではなく、どうあがいても抗えない大きな存在のもとに生まれた、そう感じていた。
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