見出し画像

『段ボール二つ分の父』:時間は折り重なっている


時間は折り重なっている

 二十代の頃、ユーリー・ノルシュテインの『話の話』を初めて観たとき、時間は一直線に流れるものではなく、折り重なって存在するものだと知った。
 子どもの頃の記憶と、失われた人への思いと、今この瞬間が、同じ場所で呼吸しているような感覚。
 この『段ボール二つ分の父」は、父の死後、父の車を運転しながら、ふいに立ち上がってきた記憶の断片から書き始めた。
 子どものころの社宅、屋根裏部屋、ダムの夜、そして段ボール二つの遺された荷物。
 過去と現在が交錯する、その重なりの中でしか、父を思い出すことができなかった。
 これは、父の遺した段ボール二つから始まった、時間の話です。 

『段ボール二つ分の父』

『二、三日前、
 交通事故のあった場所を通り過ぎた。
 すると急にわけがわからなくなった。
 気が付いたら知らない森の中を走っていた。
 汗びっしょりになって、
 死に物狂いで帰ってきた。』

五十代の父さんが、
山奥のダムに出勤した最後の日の出来事。
その頃、母さんはダムから遠く離れた場所に住み、
私はすでに家を出ていた。

その日から父さんは、
『すべての交通事故は俺の責任だ。』
と、わけのわからないことを言い始めた。

父さんが亡くなったあと、
私は、父さんの車を運転している。
今、長いトンネルの中にいる。
幼い頃、このトンネルはなかった。
峠の曲がりくねった山道を通るたびに、
私はいつも車酔いをした。

トンネルを抜けると、
ガードレールに真新しい花が添えられていた。
何十年も通い慣れた道を、
父さんは、どこで間違えたのだろう。
そのことばかりを考えながらハンドルを握る。
急なカーブを曲がると、
眼下に大きな荒れ地が広がる。

その昔、そこに三軒の社宅があった。
Iさん、Mさん、そして私たちの家。
同い年くらいの子どもたちがいて、
5、6人でいつも一緒に遊んだ。
平屋の家だった。
押し入れの奥に梯子があり、
屋根裏で遊んだ。

夏になると、
家の裏を流れるダムの川で釣りをしたり、
潜って魚を捕ったり、
大きな岩から飛び込んで泳いだ。

社宅の庭に、父さんは小さな池を作った。
ダムで釣った魚を、そこで飼った。

今は三月の冷たい風が吹き、
社宅は、廃屋になり、
人の住んでいた気配すらない。
社宅からダムへ向かう長いセメントの階段は、
二十年分、年老いていた。

夕方になると、兄と私は屋根裏に上り、
窓からその階段を見つめた。
やがて階段に父さんの姿が現れる。
すると私たちは押し入れを飛び出し、
玄関から外へ駆け出した。
その光景の中の父さんは若々しく、
すべてが白く輝いていた。

父さんの荷物は、
段ボール箱二つに詰められていた。
箱の横には、長靴と白い布製の運動靴が
きちんと揃えて置かれている。
一つの箱にはジャンパーやズボン、
作業着が丁寧に畳まれていた。
もう一つの箱には、事務用品、座布団、
ラーメンを作っていた傷んだアルミニウムの小鍋。
大きな三角定規、計算機、英和辞典、
小刀で削った鉛筆、粗品の手帳。
どれも粗末で、使い込まれ、色あせている。

年の離れた父さんの同僚たちに頭を下げ、
私はその二つの段ボールを車に積んだ。

夏休みの夜勤の日、
父さんは兄と私をダムに呼び、鰻釣りをした。
何本もの釣り竿をセットし、先に鈴をつけ、
宿直室で待った。
ある日、大きな鰻がかかった。
もう少しというところで釣り糸を切られた。
父さんは酒に酔うたび、
その逃げられた大きな鰻の話をした。

夜明け前になると、
ダムの灯りに集まる虫たちを捕まえた。
眠っているオオクワガタやカブトムシ、
コガネムシ、珍しい蝶やセミを、
私たちはやすやすと手に入れた。

私はそのままダムを後にすることができず、
周辺を歩いた。
道の脇は切り立った崖。
その下に、泥で汚れて固まった残雪があった。
私はその残雪を蹴った。
蹴り始めると、粉々にしたくなった。
何度も、何度も蹴り続けた。
冷たく凍った雪は固く、
足の裏がじんじん痺れた。
砕くことはできなかった。

突然、叫び声のような鳥の鳴き声が響いた。
風がゴーッと吹き、
大きなダムの水面が一斉にさざ波を立てた。
私だけがタイムスリップして、
間違った時の中に閉じ込められている。
そんな気がした。

トンネルの向こうで、
時間は折り重なっている。
屋根裏から父さんを待っていた夕方も、
逃げられた鰻の夜も、
段ボール二つ分の父も、いま同じ場所にある。
それでも、ハンドルを握る手の中には、
もう何も残っていない。
ただ、父さんの荷物だけが、
静かに後部座席に積まれている。

イラスト『白く輝いていた父』

いいなと思ったら応援しよう!