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生死を賭けた盤上遊戯、その深淵に潜むメタ構造:『Inscryption』
2021年、鬼才クリエイターのダニエル・マリンズ(Daniel Mullins)氏が放ち、世界中のゲームアワードやプレイヤーの脳細胞を完全に破壊した『Inscryption(インスクリプション)』は、現代のインディーゲーム史において、最も邪悪で、最も美しい「怪物」として君臨するサイコロジカル・ローグライト・カードゲームである。
本作の最大の魅力は、一見すると「不気味な小屋で展開される、完成度の高いデッキビルド型カードゲーム」という表層を、プレイヤーの予測を遥かに超える多重の入れ子構造(メタフィクション)によって木っ端微微に粉砕していく、狂気的なゲームデザインにある。
その一文字の妥協も許されない計算されたゲームシステムと、ゲームという媒体そのものをハッキングしていく全容を、確定した事実に基づきここに完全解析する。
I. 暗闇に光る眼と生贄の天秤:第一層「レシーの小屋」における戦術構造
ゲームが始まると、プレイヤーは一切の説明がないまま、薄暗い不気味な小屋のテーブル席に座らされている。対面に佇むのは、暗闇の中で眼光だけを怪しく光らせる謎の老人「レシー」である。
1. 血と骨を捧げる「生贄」のアルボリズム
テーブル上で展開されるのは、レーン制を採用した独自のカードバトルである。
コストの概念:強力な野獣カードを場に出すためには、手札の「リス」などの弱い生物を盤上で殺害し、その「血」を捧げなければならない。あるいは、生物が死亡した際に手に入る「骨」を消費して発動する能力も存在する。
勝敗を決定する「天秤」:本作には一般的なHP(ヒットポイント)の概念が存在しない。相手にダメージを与えると、テーブル脇の「天秤」が相手側に傾き、自分がダメージを受けると自分側に傾く。相手を5ポイントぶん圧倒し、天秤を完全に傾けた方が勝利となる。この、常にシーソーゲームのような緊張感を強いるリソース管理が、バトルの骨格をビルドしている。

2. 小屋という名の「3D脱出ゲーム」
プレイヤーは自分の手番(マップ移動時)であれば、いつでも椅子から立ち上がり、レシーの小屋の中を自由に歩き回ることができる。 部屋のあちこちには、鍵のかかったキャビネット、奇妙な掛け時計、不気味な彫像などが配置されており、これらを調べることで「部屋の謎解き(脱出ゲーム)」が進行する。 カードゲームの攻略と、部屋の謎解きが完璧にシンクロしており、謎を解くことで強力なカードや、永続的な能力バフ(強化)が手に入る。この、2つの異なるゲームジャンルをひとつの空間に融解させるドライビング(設計)が、プレイヤーを異様な没入感へと引きずり込んでいく。
II. 画面の向こうから漏れ出す狂気:ゲームを解体する「多重メタ構造」
本作を単なる「雰囲気の良いホラーカードゲーム」で終わらせず、世紀の奇作へと押し上げた真のファクターは、物語が中盤以降に見せるドラスティックなゲームシステムの変貌(クラッシュ)にある。
1. 2DレトロRPGへの退行と4つの冥王
プレイヤーがレシーの小屋から「脱出」を果たした瞬間、ゲームのグラフィックは1bit風の3Dから、ゲームボーイ時代を思わせる2Dドット絵のトップダウン型RPGへと完全に変貌する。 世界には、レシーを含む「4人の異なる能力を持つ冥王(スクライブ)」が存在し、プレイヤーは今度は全く異なるルール(エネルギー、魔法、ロボット、死者)のカードバトルを駆使して、彼らと戦うことになる。 ひとつのゲームのなかに、全く異なるゲーム性を持った複数のカードゲームが内包されているこの贅沢で異常なボリューム感こそが、ダニエル・マリンズ氏の真骨頂である。
2. 「ゲームデータそのもの」を質肉に変える禁忌のロジック
さらにゲームが進むと、システムはプレイヤーの「PCのローカル環境(現実)」へと浸食を開始する。 バトル中に、プレイヤー自身のPC内に保存されている実際のファイル(写真データやテキストなど)を人質(カード)として選択させ、「もしこのカードが破壊されたら、現実のお前のPCからこのファイルを本当に消去する」という、デジタルな境界線を踏み越える恐怖の演出(ギミック)が実装されている。 プレイヤーは、ただ画面のドットを操作しているのではなく、「自分自身が呪われたゲームソフトをプレイしている」という当事者意識(ナラティブ)を強制的にビルドされることになる。

III. 恐怖を芸術へとサンプリングする:音響と視覚のインフレ
本作の恐怖と興奮を最高潮にまで高めているのが、プレイヤーの精神をじわじわと摩耗させる、緻密に計算された演出ディレクションである。
暗闇をベースにしながらも、時折挿入される実写の「ビデオカメラ映像」や、ゲームのグリッチ(バグ)演出が、プレイヤーの脳内に強烈な違和感を植え付ける。
肉体的な痛みのサンプリング:天秤の錘(スコア)が足りないとき、プレイヤーはテーブルの上に置かれた「ペンチ」を使い、自らの歯を引き抜いて天秤に乗せる、あるいは「ナイフ」で自分の眼球を抉り出すといった、極めて凄惨な選択を迫られる。これらの行為が、生々しい効果音(SE)とともに無機質に処理される不気味さが、プレイヤーの五感を激しく刺激する。
不協和音のジャズ:ゲーム全編に流れるBGMは、蓄音機から流れるような歪んだアコースティックの響きから、ロボット工学を思わせる冷徹なテクノ、バグの電子音へと、ゲームの進行(変貌)に合わせて完璧にサンプリングされ、プレイヤーを飽きさせることなくトランス状態へと導く。
フロッピーディスクに封印された、知性の悪魔的レコード
『Inscryption』が、世界中のゲーマーから「記憶を消してもう一度プレイしたい最高のゲーム」として崇められ続けている理由。 それは、本作がビデオゲームにおける「第四の壁(現実と虚構の境界)」をこれ以上ないほど鮮やかに、そして残酷に破壊してみせた「ゲーム表現の限界への挑戦記録(レコード)」だからである。
カードを破り、生贄を捧げ、暗号を解き明かした先で、プレイヤーが目撃する「フロッピーディスクに隠された真実」とは何なのか。すべての謎が繋がり、エンドロールが流れた瞬間、あなたの脳内には、知的なエンターテインメントの極致に触れたことへの、震えるようなカタルシスと一抹の寂寥感が満ちる。
デッキビルド型ローグライトとしての完璧なゲームバランス、プレイヤーの予測を嘲笑う多重のシナリオギミック、そして現実世界すら巻き込むメタフィクションの構造。 それらすべてを高次元でコンパイルし、ゲームというフォーマットそのものを狂気のパズルへと昇華させた『Inscryption』の軌跡は、暗闇に光るあのレシーの眼光とともに、今なお色褪せることのない鮮烈なメモリーとして、インディーゲーム史の最も深く、最も危険な最深部に刻まれ続けている。

おわりに
最後まで読んでくださりありがとうございました!
これまた面白いゲームですね。
時間を忘れてプレイしてしまうゲームです。
