見出し画像

日銀総裁、副総裁の相次ぐ入院から考える日本経済の惨状 ~宿題を放置した末路

​日銀総裁が入院し、金融政策決定会合を欠席する見通しだと報じられました。さらに内田副総裁も、少し前まで白血病治療で入院していました。

​もちろん、病気の原因を外から勝手に決めつけることはできません。しかし、日銀幹部の相次ぐ入院という事実を見ると、いまの日銀にかかっている重圧の大きさを考えずにはいられません。私なら、やはり病んで入院ですよ。苦笑いするしかありません。

​「前門の虎、後門の狼」に立たされた日銀

​いまの日銀は、ほとんど「前門の虎、後門の狼」の状態に置かれているからです。

利上げしなければ、円がさらに弱くなる。円が弱くなれば、輸入物価が上がり、食料品もエネルギーもさらに高くなる。庶民の生活は、じわじわと削られていきます。

​一方で、利上げすれば、国家財政がさらに厳しくなる。国債費は膨らみ、住宅ローンも企業の借入も重くなる。中小企業も家計も、決して楽にはなりません。

つまり、利上げしなくても苦しい。利上げしても苦しい。どちらにしても、庶民は救われないのです。

​なぜなら、いま起きているインフレは、経済成長によるインフレではないからです。賃金が上がり、内需が強まり、企業が投資し、社会全体が前向きに回っている中でのインフレではありません。円安、輸入物価高、エネルギー高、長年の低成長のツケとして起きているインフレです。

​だから日銀の利上げは、治療というより止血に近い。出血しているから、とりあえず押さえる。しかし、止血したところで、病巣そのものが治るわけではありません。

​「アホノミクス」が先送りした根本治療

​​問題の根源は、その根本治療をずっと先延ばししてきたことにあります。これは単なる日銀の判断ミスではありません。アベノミクス以来の、もっと言えばバブル崩壊以降の日本社会全体の先送り体質の帰結です。

​私はアベノミクスについて、当時から危ういと思っていました。浜矩子氏は「アホノミクス」と呼びましたが、私はこの言葉はかなり的確だったと思っています。もちろん乱暴な言葉です。しかし、政策の本質をよく突いている。

​金融緩和で円安にする。株価を上げる。企業収益をかさ上げする。それによって、あたかも日本経済が良くなっているように見せる。しかし、それは本当の成長だったのでしょうか。私はそうは思いません。

​円安で潤った企業は、その利益を国内投資、研究開発、人材育成、賃上げ、次世代産業への転換に十分回したのでしょうか。

​やっていないでしょう。

​円安で潤った企業が、投資と成長戦略をサボったのです。内部留保を積み上げ、株主還元を進め、既存事業を延命した。しかし、日本経済全体を強くするための投資は十分にやらなかった。

​政府も企業も、時間を稼いで改革をサボった

​政府も同じです。金融緩和と円安で時間を稼いだのなら、その間に本気で成長戦略を進めるべきでした。

教育、研究開発、エネルギー、食料安全保障、地方経済、産業構造、社会保障、税制。本当にやるべき宿題はいくらでもありました。

​しかし政府も、それを本気でやらなかった。「成長戦略」という言葉だけは何度も出てきました。しかし、中身は作文のようなものが多かった。痛みを伴う構造転換は先送りされた。

​つまり、日銀が時間を作った。企業はその時間で投資をサボった。政府はその時間で改革をサボった。その結果、金融緩和の副作用だけが残ったのです。

​いま日銀は、遅ればせながら軌道修正をしようとしているのでしょう。超低金利、円安依存、国債買い支えから少しずつ距離を取りたい。通貨と物価の信認を取り戻したい。

​ところが政府は、いまだにアホノミクスの拡大延長のような愚策、つまり補助金、減税風の人気取り、場当たり的な財政出動を続けているように見えます。日銀がブレーキを踏もうとしているのに、政府がアクセルを踏んでいる。

​これでは利上げの効果など、ほとんど出ないでしょう。むしろ市場から見れば、日本は本気で通貨価値を守る気があるのかと疑われる。そうなれば、さらに円安になる可能性すらあります。

​日銀は止血しようとしている。しかし政府が横から傷口を広げている。これでは、どうにもなりません。

​提出日前夜、答案用紙はほとんど白紙

​本来なら、日銀だけの問題ではないのです。

政治がやるべきことをやらなかった。企業がやるべきことをやらなかった。

​国民もまた、株価が上がった、円安で企業が儲かった、何となく景気が良さそうだという空気に乗せられてきた。

もちろん、責任の重さは同じではありません。主犯は政治と大企業です。しかし、それを黙認し、追従し、空気に乗せられてきた有権者としての国民にも、政治的責任はある。そして、その結果を最も重く引き受けるのが、生活者としての庶民なのです。

​その結果、いまになって宿題の提出期限が迫っている。ところが、答案用紙はほとんど白紙です。しかも、まだ遊び呆けている。これがいまの日本の姿ではないでしょうか。

​普通の宿題なら、提出できなかった本人が叱られるだけです。しかし、この宿題は違います。やらなかった本人たちではなく、庶民と次世代が罰を受ける宿題なのです。

​アベノミクスで与えられた猶予期間は、本来なら宿題をやるための時間でした。金融緩和で時間を稼ぎ、円安で企業収益を一時的に改善させている間に、国全体の構造を根底から作り変える。それが日銀から課された暗黙の条件だったはずです。

​しかし現実には、企業も政府もその宿題を十分にやらなかった。

企業は円安利益で安心した。政府は株高と一時的な景気感で成果を演出した。そして国民にも、何となく良くなっているような空気を流した。その間に、本当の宿題は机の中に入れっぱなしだった。

​「もう留年もできない」局面の始まり

​そして、いま提出期限が来ています。

円安が止慢らない。物価が上がる。金利を上げざるを得ない。しかし国債費が重い。住宅ローンも中小企業も苦しい。実質賃金は弱い。成長産業も十分に育っていない。

​それなのに、まだ政治は、補助金、減税風の人気取り、財政出動、成長戦略という名の作文でごまかそうとしているように見えます。

提出日前夜なのに、まだゲームをしている学生のようです。しかも、その学生は自分一人が落第するだけではありません。国民全体を巻き込んで落第するのです。

​もう留年もできないのかもしれません。

​これまでは、宿題を出さなくても、低金利、円安、財政出動、補助金で、何とか次の年度へ進めました。しかし今は、その先送りの余地そのものが失われています。

​円安を放置すれば生活が壊れる。利上げすれば財政がきしむ。補助金を出せば借金が増える。増税すれば消費が冷える。どちらに逃げても、別の壁にぶつかる。

​これはもう、留年では済まない局面なのではないでしょうか。

​先々に待っているのは、国家としての退学処分=経済破綻です。それは、ある日突然国が消えるという意味ではありません。通貨の信認が削られ、国債の信認が揺らぎ、生活水準が下がり、国民が「普通に暮らせる国」から静かに退場させられていくということです。

少なくとも、「これまで通り」が終わりつつあることだけは間違いありません。

​先送りを続けてきた社会全体の成れの果て

​日銀だけが先生=市場に呼び出されて、「この白紙答案をなんとか体裁だけでも整えろ」と叱責されている。

​本当に呼び出されるべきなのは、宿題を出さなかった政府と企業の側なのに。しかも、本当の戦犯は反省するどころかさらに暴走しつつあるわけです。ブレーキとアクセルが同時に踏まれている。これではどうしようもない。

​日銀は軌道修正したい。しかし政府は、いまだにアホノミクスの拡大延長を続けようとしている。企業も、円安で潤った時間を本当の成長に使わなかった。

そうしてそれらの無為無策のツケが、いま庶民に回ってきている。

​これは単なる金融政策の問題ではありません。国家運営の失敗の後始末です。そしてもっと厳しく言えば、先送りを続けてきた社会全体の成れの果てです。

​いまさら痛みなしに解決できる方法など、ほとんど残っていないでしょう。それでも政治は、その痛みを正面から説明しない。だからまた弥縫策に逃げる。その間に、生活だけがじわじわ削られていく。

八方塞がりのなかでやけくそなのか??

止血はできても、根本治療はできない。宿題の提出期限は迫っている。答案用紙は白紙のまま。もう留年もできないかもしれない。待っているのは、国家としての退学処分かもしれない。

​それなのに、まだ遊び呆けている。これが、いまの日本の姿に見えて仕方ありません。


追記

日銀は6月会合で利上げに踏み切りましたね。
しかし市場は円を買うどころか、かえって円安でしつつあります。これは、日銀の利上げ=弥縫策はもはや評価対象外であるということ、つまり市場が「日本はこの程度の利上げでは宿題を提出したことにならない」と判断したということでしょう。金融政策だけで止血しようとしても、政府、企業、国民が先送り体質を改めなければ、円の信認は戻らない。今回の円安は、その現実を数字で突きつけたものだと思います。

宿題は不提出に赤点がつきつつある。
でもこれは日銀だけの責任ではなく、政府、大企業、そしてその政府を選んできた国民の連帯責任なのです。

いいなと思ったら応援しよう!