役に立てない日があると、自分が空っぽに見える──何かしていないと不安な人へ
やることがないわけじゃない。
でも、今日は誰の役にも立てていない気がする。
そんな日がある。
仕事が休みの日。
ひと通り家のことを終えたあと。
誰かから連絡が来るわけでもなく、頼まれごともなく、急ぎの返事もない時間。
本来なら、少し肩の力が抜けてもいいはずなのに、なぜか落ち着かない。
スマホを見てしまう。
何か読もうとして、でも集中できない。
部屋を片づけてみる。
コーヒーを淹れてみる。
それでも、まだどこかがざわついている。
休めていない、という感じとも少し違う。
疲れている、という言葉でも足りない。
もっと近いのは、空っぽ、かもしれない。
今日は何も生み出していない。
今日は誰にも必要とされていない。
今日は役に立てていない。
そんなふうに感じた瞬間、急に自分の輪郭まで薄くなったように見えることがある。
これ、たぶん少なくないと思う。
まじめな人ほど。
頼られることが多い人ほど。
いつも先回りして、ちゃんと回してきた人ほど。
役に立てない時間があると、自分まで止まってしまったように感じやすい。
でも、僕はこの感覚を、単なる怠けぐせとか、気の持ちようの問題ではないと思っている。
むしろ逆で、ちゃんとやってきた人ほど起きやすいことだ。
仕事でも、家の中でも、僕たちはいろいろな役割を持っている。
進める人。
気づく人。
引き受ける人。
まとめる人。
気を配る人。
忘れない人。
支える人。
そうやって毎日を回していると、だんだん、自分の価値を 何ができるか で測る癖がついていく。
今日どれだけ進めたか。
誰の役に立ったか。
何を返せたか。
どれだけ整えられたか。
もちろん、それ自体は悪いことじゃない。
誰かの役に立てることは、うれしい。
任されることは、誇らしい。
できることが増えるのは、自信にもなる。
ただ、それだけが自分を確かめる方法になると、役割がない時間に急に足場がなくなる。
今日は誰にも求められていない。
今日は成果が見えない。
今日は別に頑張っていない。
そうなると、何も失っていないのに、自分の中では大事なものがごそっと抜け落ちたような気がしてしまう。
本当は、何も抜け落ちてなんていない。
ただ、いつもの測り方が使えなくなっただけだ。
役に立てた日だけが、自分の価値を証明する日になっていると、役に立てない日はそのまま 不在証明 みたいに見えてしまう。
でもそれは、事実ではなく、測り方の癖なんだと思う。
たとえば、仕事がない休日。
予定がぽっかり空いている日。
家事や雑務を一通り終えたあとの夕方。
誰にも頼られなかった一日。
何も問題が起きなかった日。
そういう日は、本当なら穏やかな日でもある。
それなのに、なぜか気持ちが落ち着かない。
何かもう一つやらなきゃいけない気がする。
このまま終わるのはまずい気がする。
せめて何か、意味のあることをしなきゃと思う。
ここで苦しいのは、忙しさそのものじゃない。
意味の空白だ。
やることがないから不安なのではなく、役割がない時間に、自分をどう置いていいか分からなくなる。
これがしんどい。
僕は、この感じを知っている人は、日々かなり頑張っている人だと思う。
だって、何もしない時間を怖がるのは、ふだん何かを背負っている人だからだ。
何かをしていないと不安になる人は、何かをしてきた人だ。
役に立てない日が怖い人は、役に立つことで誰かを支えてきた人だ。
だからまず、自分に対して 少し甘くなる というより、見立てを正確にしたほうがいい。
これは、弱いからではない。
サボりたいからでもない。
役割で自分を支える時間が長かったぶん、その外側の自分にまだ言葉がないだけだ。
ここで必要なのは、もっと頑張ることではない。
役割の外にいる自分を、雑に扱わないことだと思う。
そのために、問いを少し変えてみる。
今日は何の役に立ったか。
今日は何を生産したか。
今日は何を終わらせたか。
その問いばかりだと、答えが少ない日は苦しくなる。
代わりに、今日はどう在りたかったか、と聞いてみる。
静かでいたかった。
急かされずにいたかった。
誰かの期待から少し離れたかった。
安心したかった。
ぼんやりしたかった。
何も決めない時間がほしかった。
こういう答えは、成果には見えない。
でも、ちゃんとその日の本音だ。
そしてもう一つ、役割ではなく状態に言葉をつける。
空っぽ。
手持ち無沙汰。
少し寂しい。
張っていた糸が急にゆるんだ感じ。
誰にも求められていないようで、少し心細い。
休みなのに、どこか居場所が定まらない。
そんなふうに、自分の状態をちゃんと拾ってあげる。
すると不思議なくらい、何かをしなきゃという焦りが少し弱まることがある。
大事なのは、その状態をすぐ前向きに変えることじゃない。
整えることでも、立て直すことでもない。
まずは、そう感じている自分を置いていかないことだ。
役に立てない日に感じる空白は、埋めるものというより、気づくものなのかもしれない。
僕たちは、役割の中で生きすぎると、役割のない自分を見失う。
でも、見失ったからといって、なくなったわけじゃない。
誰かの役に立てるあなたと、何もしていないあなたは、別人じゃない。
同じ人だ。
成果がある日だけがあなたではないし、頼られている時間だけがあなたでもない。
うまく回しているときだけが価値のある状態でもない。
何もしていない日があることと、価値がないことは、まったく別だ。
ここを切り分けられるようになると、少しだけ呼吸がしやすくなる。
役に立てない時間を、価値の空白にしなくて済むからだ。
今日もし、何もしていない自分が落ち着かないなら。
無理に生産しなくていい。
無理に元気にならなくていい。
まずは、今の自分が 役割のない時間に戸惑っている だけかもしれない、と見てあげてほしい。
その戸惑いは、あなたがだめだから出てきたものじゃない。
むしろずっと、ちゃんとやってきた証拠でもある。
ただ、これからは少しずつ、役に立つこと以外の場所にも、自分の輪郭を置いていい。
好きなものを好きと言えること。
静かな時間を無駄だと思わないこと。
今日の自分の状態を、自分でちゃんと分かってあげること。
誰の役にも立っていない時間に、ちゃんと存在していていいと思えること。
そういう感覚は、派手ではないけれど、暮らしをかなりラクにしてくれる。
役に立つから大丈夫、ではなく。
役に立てない日も、自分は消えない。
そう思える日が少しずつ増えると、毎日はもう少しやわらかくなる。
あなたは、役に立てない日にどんな気持ちになりやすいですか。
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