「連れ去られた男」第六話
あらすじ 見知らぬ宇宙人によって異星に連れ去られた地球人男性。
体力、若さ、記憶を奪われ施設に隔離されるも何とか抵抗や脱出を試みる。だがうまくいかず、ない記憶から自分とは何者なのかを自問自答する。その結果は…。
暗い気持ちに打ちひしがれていたにも関わらず尿意を催した。日が昇ってから排泄をしたかどうかも思い出せない。直近のことすら覚えていないなんて。俺は大丈夫なのか?嘆かわしい気持ちに浸る余裕もなく尿意が襲ってくる。しかし自分で用を足せそうにないので「小便だ!小便だ!」と二度雄叫びを上げた。宇宙人がすっ飛んできて車椅子を動かした。
トイレに向かっていることは明らかだ。車椅子を押しながら宇宙人は施設内を移動していった。白地に青の男性を模したイラストが見えた。地球人の俺でもそれと分かる。トイレマークは全宇宙共通なのか。
洗面台や便器のあるところまでいくのに短い距離を右折、直進、左折としなければならないらしく、宇宙人は幅のない通路で車椅子を動かすが、その度に壁と接触する。「この下手くそ!もっとうまく操作しろ」と吠えた。反応はなく声のエコーだけが響いた。
思った通り通路を抜けると洗面台、大小便器のある広間に出た。視線を右に移すと鏡があった。姿見のようだ。そこに映った姿に驚いた。髪は白くボサボサで、顔の肌艶は悪く、目は窪み、頬はやつれ、生気のまるでない老人がいたからだ。これは俺なのか?本当なのか?信じられない。地球にいた時の俺はもっと若く溌剌としていた。この惑星に連れてこられるまでに何年もかかったのか?宇宙人どもは俺の若さまで奪い取ったのか?するとここにいる他の人々も若さを取られたのか?そんなことが頭の中でぐるぐると回る。
現状を理解できず俺はパニックに陥った。そして泣き喚いた。そして鏡に映る物体に「お前は誰だ!成敗する」と言い、ヨロヨロした足取りで攻撃を仕掛けた。一緒に来ていた宇宙人が俺を羽交締めにした。俺は右腿を上げ、そいつの足を踏みつけた。「ウッ」という声が聞こえると奴の顔を目掛け右手の甲で殴った。裏拳が入ったようだ。血がポタポタと床に付着していった。
振り返ると男のような宇宙人は、鼻を押さえていた。指の隙間から血が溢れ出ている。そいつはボタンを押した。ビーというけたたましい音が流れた。トイレだけでなく、施設全体に流れたような大音量だ。すると五、六人の宇宙人が駆け込んできた。
その光景を見て俺はビビり失禁してしまった。途中で止めようとしても小便が出てきて、ズボンがビシャビシャになってくる。自分で自分を制御できない。混乱に飲み込まれていった。「暴力を振るうつもりはなかったんだ」と言ってもとりつく島はなかった。
宇宙人のひとりが立ったままの俺を支え、もうひとりがズボンとパンツを下ろし、小便まみれの俺の太腿、ふくらはぎ、すね、足そして性器を手際よく拭いていった。そしてあらかじめトイレにあった紙おむつのようなものを俺にあてがい、どこから持ってきたのか分からない代えのズボンを履かせた。意気消沈した俺は促されて素直に車椅子に座った。心なしか座部をはじめ全体的に綺麗になってきた。着替えの最中に拭き掃除したのだろう。そのまま俺はもといた殺風景な部屋に連れて行かれた。
部屋に戻り宇宙人がそこから出ると俺は独りになった。情けなさ、寂しさ、悲しさ、してしまったことの大きさ、閉塞感、絶望で俺はめそめそと泣き出した。その声は次第に大きく激しくなっていった。俺はどうしてこんなところにいるんだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。俺は一体誰なんだろう。自分がどこの誰だか分からない。思い出そうとしても何も出てこない。「助けて」弱々しく俺は誰に話しかけるのでもなく呟いた。囁きが聞こえたのか宇宙人がやってきた。「俺は誰なんだ。教えてくれ。ここから出してくれ。助けてくれ」と懇願した。地球人の女性のような風貌のそいつは、俺の両手を自身の手で包み込んだ。人の温もりを感じた。敵か味方か分からない存在にそんなことを感じるなんて。いつ以来かは分からない。記憶がないからだ。問題は何も解決していないのに解消したみたいだ。不思議な体験だ。
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