「連れ去られた男」第五話
あらすじ 見知らぬ宇宙人によって異星に連れ去られた地球人男性。
体力、若さ、記憶を奪われ施設に隔離されるも何とか抵抗や脱出を試みる。だがうまくいかず、ない記憶から自分とは何者なのかを自問自答する。その結果は…。
これが嫌いなのだ。食べる時くらい好き勝手に食いたい。そりゃ手づかみで食べるのは見てくれが悪いことくらい分かっているし、マナーもよくない。でも誘惑に負けたのを大目に見てくれ。
そんなことに容赦なく宇宙人は俺によだれ掛けを付けてきた。何という罰ゲームだ。イライラするも目の前のプルンプルンのゼリーを食べたい衝動を抑えられない。しぶしぶあーんと口を開けた。
ひと匙すくって宇宙人がゼリーを口に運んでくれた。ひんやりと冷えていてうまい。オレンジの甘さは控えめで、ほんのりと苦味もある。しかもつぶつぶ入りだ。飲み込みのがもったいない。ここに来て初めて満ち足りた気分に浸れた。こんなことで満ち足りた気分になるのかと考える奴らは笑わば笑え。活動範囲が限られている人間でさえも、その源は食べることなのだ。それが楽しいということは最低1日3回満ち足りた気分になるのだ。お前らはいいことがないといい気分になれないのか!ちゃんちゃら可笑しいぜ。笑う門には福来るということわざを知っているか?いいことがあるから笑うのではなく、笑うからいいことがくるのだ。それと同じだ。
そんなことを思いながら口に運ばれるゼリーを食べていたら、いつの間にかなくなっていた。楽しい時間は一瞬だ。その時間を慈しむようにしたい。そんな哲学的なことを思ったおやつタイムだった。
満たされたおやつの時間が終わり、また辺りを見てみた。どんな所に俺はいるのか知りたいという欲求がいい時を過ごしたらムクムクと再び湧き上がってきたからだ。否が応でも他の人に目がいってしまう。ある人が視界に入った。それは紛れもなく男だ。しかもおじいさんだ。なぜわかったて?風貌を見れば一目瞭然だ。ハゲ頭で顔がしわだらけのシミだらけだからだ。日本人かも知れない。また話しかけてみた。「こんにちは。おやつ美味しかったですね」さっき勇気を振り絞ったので、今度はそれは不要だ。人はどんな時にも幾つになっても成長できるのだ。返事を待ったが何もこない。もう一回「こんにちは。おやつ美味しかったですね」と叫んだ。待てど暮らせど返事はこない。そのハゲの顔とその周辺をまじまじと見てみると耳に栓のようなものを付けていた。補聴器みたいだ。このハゲはつんぼなのか。こんな奴に無駄なことをした。俺は猛烈に悔いた。努力が無になった気がした。
これまでここは連れ去られた人々の収容施設と思っていた。ここに入っている人達は老人が多いようだ。俺はいくつかだって?それはここに連れてこられる時に自宅で抜き取られた。名前も生年月日も家族構成も。両親の顔は覚えていたが、俺にきょうだいがいるのか、妻子がいるのかそんな記憶は全然ない。自分が何者か分からないのだ。こんな心細いことはない。怒りや食欲など人間が本来持っている感情や衝動だけで動いている。そう思うと自己嫌悪を感じる。あの宇宙人どもは抜き取った俺の記憶をどこかに保管しているのかも知れない。奪いかいしたい。しかし何のために記憶を奪うのだ。地球人の生態を知るのが目的か。それなら共有するだけでいいのではないか。
自分探しに出かけることにしよう。どこにだって?この収容施設というか老人ホームしかないだろう。ここに俺の記憶があるに違いない。俺は車椅子から立とうとした。「よっこらしょ」と言って立とうとしたが、足に力が入らない。中腰のになり「く」の字のような形になった。車椅子に持たれかけようとしたがタイヤロックをしていないので後進してしまい、俺は天井を見上げるような状態で尻餅をついた。
そうしたら様々な色の服を着た宇宙人数人が俺の元に駆け寄ってきた。「怪我はないか」のようなことを言っているのだろう。奴らの言っていることは全然分からない。二人の宇宙人が俺を引き上げ車椅子に乗せた。尻に痛さはない。心情的に動揺はない。多少の照れはある。俺はもう立てないのか歩けないのかという、何とも言えない情けない気持ちに覆われていた。「自分で立てない歩けないということは、生物的に死に近付いているのと一緒じゃないか」と心で叫んだ。下を向くと涙が出てきた。こんな惨めな気持ちは初めてだ。堪えきれず泣き出した。しゃくり上げて。考えてもみてくれ。自分の名前、歳、家族も思い出せず、自力で食べることも立つことも歩くことも出来ないこの辛さを。
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