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映画『ドラえもん のび太と空の理想郷』感想……泣いたよ。泣いたけど……

 おはようございます、当方128です。
 今更ですが映画『ドラえもん のび太と空の理想郷ユートピアを観賞したので感想というかお気持ち表明します。

※最初からネタバレ全開で行きます。ここから先を読むのは自己責任でお願いします。
※前半しか読まないことを推奨します。 

1.泣いた。これは紛れもない名作

 まず何よりも言いたいのは、泣きました。
 私は感動する作品を観てもほとんど泣きません。泣きそうになったり涙目程度なら何度もありますが、実際に泣いたのは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』『すずめの戸締まり』と他1、2作品くらいしかありません。そんな私が明確に涙を流し、鼻水でマスクがぐちゃぐちゃになるのは余程のことです。

 ソーニャですよ。彼の物語として観たらここまで感動出来る作品もありません。特に最後の賛否両論ある“あの感動シーン”(流石にここのネタバレは恐れ多いから自粛します)。いやおそらく制作陣は泣かせに行っていますよ。演出が過剰だし、そもそもあれが無くても物語としては成立するので、あれは蛇足だったと今なら冷静に思える。
 でも泣いてしまった。まんまと制作陣の罠にかかってしまった。ズルイとは思いますよ。でもこのドライな私を泣かせた時点で名作だと認めざるを得ません。

 ソーニャの物語の帰結としてならあのシーンは100点満点です。ただ、この作品が本当に伝えたかったことはそこではないと思うので、もうちっとだけ続けます(※辛口注意報発令)。

2.どうしても言いたいこと(閲覧注意)

 名作だからこそ、わりと重要な部分が引っかかり、そこをどうしても言いたいのです。

2-1.能力と個性の混同

 違和感を感じた部分というのは、まずドラえもんのこちらの台詞。

 ドラえもんは静かにのび太を見つめる。
「ダメ小学生なんて言ったけど……、本当は……そのままの、のび太くんが……」

ノベライズ版より引用

 次に、のび太のこれらの台詞。

「価値がない……? ドラえもんは、僕のそばにいてくれるよ……」
 のび太はゆっくりと立ち上がる。
「一緒に泣いてくれるよ……。一緒に笑ってくれるよ! いらないものなんかじゃない!」
(中略)
「しずかちゃんはちょっと強情なところもあるけど、とっても優しい!」
 そして右腕をつかんでいるスネ夫の方を見やり、つづける。
「スネ夫は意地悪だけど、仲間思いだ!」
 そして左腕のジャイアンを見上げた。
「ジャイアンだって乱暴者だけど、誰よりも勇敢だ!」

ノベライズ版より引用

 前者はドラえもんがのび太を、後者はのび太がドラえもん、しずか、スネ夫、ジャイアンを肯定する発言です。「世界パラダピアン計画」(人の心を操り全人類をパーフェクト人間にする)に対するアンチテーゼとして「パーフェクトでなくとも、そのままで良い」と言っているのです。

 本当に、そのままで良いのでしょうか?

 否、人間が社会を生きていくには、“成長”をしなければなりません。ましてや小学5年生の時点で「そのままで良い」とはならない。

 かと言って、人の心を操る洗脳という形で無理矢理成長させることが良いわけも当然ありません。どちら側の言い分も腑に落ちないのです。

 何故このような違和感を抱いたのかを私なりに考えましたが、おそらくこの作品は『能力と個性を混同』してしまっているからなのだと思います。

 優等生になりたいのび太が、ソーニャに「ここなら誰でもパーフェクトになれる」と言われ、パラダピアでの生活を所望します。この時のび太の思い描いた“パーフェクト”の具体例がこちら。

 テストはいつも100点、野球に参加すればいつもホームラン、しずかには憧れられ、出木杉にはうらやましがられ、先生には褒められる、まさしくパーフェクトな小学生の姿がぼんやりと頭に浮かぶ。

ノベライズ版より引用

 これらはいずれも“能力”の話なんですね。成績優秀、スポーツ万能、あまつさえ好感度も高い。良いことずくめじゃないですか。悪いことなんて一つもない。

 そののび太が後半で仲間を肯定したのは“個性”です。これについては先程引用した通りですが、その少し後に「いろんな人がいるから面白いんだ!」とも言っている。やはり個性の話をしています。面白いかどうかは置いておき、この理由でパラダピアを否定したら「パーフェクトになれる」という良い面も否定することになってしまいます。

 これが能力と個性の混同なわけです。パーフェクト(優等生)になることと、個性の尊重は、本来は両立できるはずです。

 私はAqoursやLiella!、虹ヶ咲のライブを良く観るから思うのですが、彼女たちはそれぞれ違う個性を持っているのが魅力でありながら、パフォーマンスでは誰もが例外なく能力の高さを見せてくれます。それは成長しているからです。

 のび太も能力と個性を混同していますが、一方のパラダピア側も「心を操る」という方法の是非は置いておき、能力は良いとしても性格まで操る必要は無かった。こちらも能力と個性を混同した結果です。パーフェクトという言葉で一括りにして伝えてしまったのは勿体なかったと思います。

2-2.そもそものび太は恵まれている

 もう一つ気になった点があります。最後の最後にのび太が「だってこの世界は、はじめから素晴らしいんだもん!」と発言したシーン。これを結論みたいにしてはいけなかった。

 素晴らしいのは、のび太のまわりに限定した話であり、“世界”ではありません。今でも世界のどこかでは戦争が起きています。しかも前作『宇宙小戦争』で国同士の戦争に巻き込まれたばかりののび太に「世界は素晴らしい」なんて言ってほしく無かった。

 戦争も食糧飢餓もない日本という平和な国で衣食住に恵まれ両親も元気に生きており、ひいてはドラえもんまで傍に居るのび太は恵まれた立場の人間であり、そんな彼が世界は素晴らしいと言っても説得力に欠けます。

 人間に成長が必要なように、世界も変わらなければなりません。それにレイ博士は気づいていました。

「何をやってもうまくできない……。みな私をバカにした!(中略)過去も未来も人間は同じだ。互いを理解しようとせず、常に恨み、憎しみ、争う……」

ノベライズ版より引用

 博士のしたことは間違っていましたが、考え方はそれ程ズレてはいなかったと思います。

2ー3.考えるきっかけを作ってくれたのは良かった

 色々書いてきましたが、のび太の出した結論「人間はそのままで良い」「世界は素晴らしい」は、ドラえもんという作品世界の中での結論としてなら正しいと思います。暴力的なジャイアンや意地悪なスネ夫が存在しないと物語を作れないからです。

 ただ、それを現実世界の子どもたちにメッセージとして伝えるべきでは無かったと思います。確かに堂山卓見監督のインタビューを見てみると、良いところを突いたと思います。

ずっと通底していたのが、「のび太はダメな子と言われているけれど、ダメな子って本当にダメなのか。ダメと言われている子の中にもいい部分があるのではないか」ということ。最初に(脚本の)古沢さんが「今の子たちはいい子過ぎる気がする。周りの目を気にする時代になっていて、それは子どもも大人も同じ。それでいいんだろうか」とおっしゃったのです。それを聞いて、みんな、はっとしました。古沢さんはこの時代を生きている子どもたちが直面している問題をしっかり捉えていらっしゃったのです。

『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』堂山卓見監督インタビュー/永瀬廉の魅力はレスポンスの早さと吸収力より

 ダメな子にも良い部分がある。のび太なら射撃の才能であり、実際そのシーンもありましたが、それをもっと強調して伝えるべきだったかなと思います。例えば声優・楠木ともりさんの名言「出来ないことより出来ることに目を向けて」を借りるだけでも充分伝わります。せっかくインプットは良かったのに、アウトプットの仕方に惜しさを感じてしまいました。

 ただ、このように本作は色々なことを考えるきっかけを作ってくれます。だから大人にこそ見て欲しい。各々が考え、各々の意見を出し、未熟な子どもたちに教えていくべきです。

3.余談

 今作のギャグシーンは総じて微妙だったのか、特に前半は客席の子どもたちの反応が薄かったです。しかし、中盤のソーニャが初めて笑うシーン(のびドラの「フンフン」の言い合い)で客席からも初めて笑い声が聞こえてきました。このシンクロは偶然にしても凄すぎです。制作陣がそこまで狙っていたのだとしたら天才です(そんなわけない)。

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