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大好きな先生

「どうして、いつもいつもこんなことをするの。何で私の言うことがわからないの。あーどうしよう、また〇〇先生や〇〇先生に怒られちゃう。〇〇子どうしよう」
 のようなことを延々と言われているのは小学校1年の私です。怒っているのは担任で目鼻立ちのはっきりした小柄な女の先生でした。何でと言われても頭がぼんやりしてよくわからないし、嫌なことがあったとは思うのだけれどこういう時は何も言わないのがい一番だと緘黙をきめこむ。
 小学校は徒歩で5分だった。だから勝手に家に帰るなどということは何度もやっていたのだろうと推測できる。だからこの日は帰らなければいいのだろうと昼休みに幼馴染の5年生のお姉さんの教室に行ってせつせつと訴えたわけだ。お姉さんもお隣の〇〇ちゃんのため人肌脱ごうと考えたんだろうな結局教室の後ろにあった戸棚に潜伏したのはいいけれど、気配でバレて教室中がパニックになり・・・・・この後の出来事は幸せなことに覚えていない。それで冒頭のシーンになるのだけれど、さすがにこの後は脱走はしなかった、いまだに。先生はとっても正直な人だったのだと思う。怒るより叱れとか言うけれど私の場合は怒ってくれた方がよかったのでしょうね。だって、教頭なのか学年主任なのか知らないけれど怒られると思ってワナワナしているみたいだったから。とにかく人を困らすようなことはしてはいけないと自覚したのです。

 2年生の時の先生も女の先生でした。色白で日本的な顔立ちをしていて大好きな先生でした。当時の私は態度が悪いだけではなく勉強もできなかった。特に算数が壊滅的でアナログ時計の問題などは何を聞かれているのかもわからない状態でした。学習障害でしょうね。先生は熱心に教えてくれました。毎日居残りで勉強をみてくれました。それが独占しているようでうれしくてね。何とか喜ばせたくて頑張ったのだけれどだめで、わかったふりをするような芸当もできないし、そもそもそんなことができるならこのような状態にはなってはいないと思うのです。

 とても残念なことにこの先生は翌年には異動になってしまいました。それで勉強をみてくれたお礼のつもりでお手紙を書きました。ハガキで返事をもらって、うれしくてうれしくてすぐにまた手紙を書きました。かなり長い間文通をしていつ途切れたのかも覚えていないのだけれど、中学に入ってからは文通はしていないと思います。

 これで終われば面白いことの少なかった小学校時代のいい思い出になっていたでしょう。ほんの5年ほど前の事です。この話を母にしたのです、当時は80代後半ぐらいでした。そしたらあの先生はとても私のことを怒っていたというのです。もうね、ショックのあまり固まりました。何でも他の教科は普通なのに時計だけがわからないなんて私をバカにしていると言っていたそうで。それで、アーっと思ったのだけれどこの時私は右と左がわからなかった。加えて言うならば右と左がわからないということに気づいたのが数年後だった。だから時計の右回り左回りなんてわかるはずもなかったわけだ。それにしても何で50年もたってから言うかね、もう弁明をすることもできないではありませんか。

 悩みましたよ本当に。逆の立場になれば、教え子だけれどかなり変わった子供から頻繁に手紙が来たらもしかしたらかなり怖かったのではないだろうか。返事を出さなければ次はどうなるのだろうかというような。 
 教師として当然の行動を好意だと思いきり誤解して執着してしまったというお話だけれどさすがに人に話したり書いたりはできなかった。noteのおかげでやっと解放することができました。それししてもトホホですね。これでは困った人どころか人を恐怖に陥れているではありませんか。

 私には他の人が生まれた時から持っている教科書がなかった。だから今まで生きてきたことが教科書の代わりなっている。喜んだり落ち込んだり悩んだり執着したり、すべて書いているけれど修正したり消したり変化する。
 私の教科書はまだない。だから代わりの教科書を手放すことはまだできない。


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