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島根県・松江城──水の都に浮かぶ黒

松江城は、堀尾氏が江戸時代初期に築いた城で、今も天守が残る数少ない城の一つになる。
そこを追うと、堀尾吉晴が残した城と堀と城下町が、水の都・松江の形をどう作ったのかが見えてくる。

松江の町を歩くと、城だけが単独で立っているのではなく、水路と橋と町並みが一つの景色になって続いている。
その中心にある国宝天守は、黒く重い姿を見せながら、周囲の堀川と結びついて、水辺の城としての印象を強く残す。

松江城の面白さは、建物の古さだけにない。
城を置いた場所、周囲をめぐる水、そこから広がる城下町松江まで見ると、この城が町の骨組みそのものだったことが分かりやすくなる。

松江城 城下町

なぜ松江に新しい城を築いたのか

関ヶ原の戦いのあと、出雲・隠岐へ入った堀尾吉晴は、いったん月山富田城に入ったが、松江の将来性に目を向けて城地を移した。
そのうえで城と城下町を整え、今の松江市の土台を築いたと公式サイトでも案内されている。

堀尾吉晴

築城は1607年に始まり、1611年にほぼ完成した。
城は市街地中心の亀田山に築かれ、山城のように山奥へこもるのではなく、町を支える近世の城として姿を整えていった。

黒い天守は何を語るか

松江城天守は、今も残る現存12天守の一つで、中国地方では唯一の現存天守になる。
さらに、近世城郭最盛期を代表する建築として国宝に指定されており、江戸時代初期の城の重さをそのまま伝える存在になっている。

見た目で強く残るのは、白さよりも黒さになる。
天守の大部分は黒い下見板でおおわれ、公式解説では、その黒は柿渋やすす、漆などを混ぜた染料によるものとされている。
そのため松江城は、水の町に浮かぶ黒い城として記憶されやすい。

水の都を支えた堀はどう作られたか

松江城のまわりをめぐる内堀と外堀は、城を守るためだけでなく、町の形そのものを決める役目を持っていた。
城下では堀が張りめぐらされ、今も城を取り囲む水辺の景色が残るため、松江は水城の印象を強く残す町になっている。

今もその水の回路を体感しやすいのが堀川めぐりで、観光協会の案内では、築城時につくられた堀を船で巡れる形が続いている。
城を眺めるだけでなく、水の上から町を見ると、松江城が堀と一緒に設計されたことがよく分かる。

松江城 堀川めぐり

城下町松江はどう形づくられたか

松江の城下は、城に近い場所へ侍町、その外側や橋南へ町人町、さらに別の位置へ足軽町や寺町を置く形で計画された。
城のまわりには武家屋敷や町場が段階的に配置され、戦うための城と暮らすための町が一体で作られていた。

しかも道はまっすぐ通すのではなく、鉤型路や袋小路を設けて、敵が一気に入りにくいよう工夫されていた。
松江城の価値は天守だけで完結せず、堀と町割りまで含めて、江戸時代初期の都市設計が今も読めるところにある。

城と水が一緒に残った町

松江城の重さは、黒い天守だけにない。
堀川と城下の形が今も続いているからこそ、松江城は建物一つではなく、水の都の中心として見えてくる。

黒い天守が町の骨組みを見せる

この回の核心は、松江城を名城として眺めるだけでなく、城下町と堀を含めた都市の中心として読むところにある。
そこを押さえると、国宝天守の黒さが目を引くだけでなく、水の都・松江そのものを形づくった核だったことが見えやすくなる。

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