白村江の戦い──扶余豊璋はなぜ百済再興を背負ったのか
扶余豊璋を倭に助けられた百済王子として見るだけでは、白村江の戦いの切実さは見えにくい。彼の視点から読むと、百済再興は失われた国と王統を取り戻すための重い選択だったことが分かる。
白村江の戦いは、倭が百済再興を助け、唐・新羅の連合軍と戦って敗れた出来事である。
倭の側から見ると、この戦いは中大兄皇子の対外判断として見えやすい。だが、百済の側から見ると、まったく別の切実さが見えてくる。
その中心にいたのが扶余豊璋である。
扶余豊璋は、倭に助けられただけの人物ではない。滅んだ百済をもう一度立て直すために、王統の立場を背負って動いた人物だった。
この視点で読むと、白村江の戦いは単なる倭の敗戦ではなくなる。
国を失った側が再起を図り、それを支える倭と、押し返す唐・新羅がぶつかった百済再興の戦いとして見えてくる。
扶余豊璋はどんな立場に置かれていたのか
扶余豊璋を考えるとき、まず押さえたいのは、彼が国を失った側の人物だったという点である。
百済は新羅と唐の圧力を受け、滅亡へ追い込まれた。そのあとに残されたのは、失われた国をどう取り戻すのかという重い問いだった。
扶余豊璋は、その問いの中心に立つことになる。

彼は単なる亡命者ではない。百済の王統に連なる人物として、再興を望む人々から期待を向けられる立場にあった。
国を失ったあと、再び百済を立て直すには、象徴となる人物が必要だった。
兵を集めるにも、人々の心をつなぐにも、ただ抵抗を続けるだけでは足りない。王統の正統性を持つ人物が立つことで、百済再興の動きは形を持つ。
その意味で、豊璋は戦いに巻き込まれただけの人物ではなかった。
失われた百済をもう一度立て直すという願いを背負い、そのために前へ出なければならない立場に置かれていた。
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