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箱館戦争の最期──五稜郭へ散る副長

土方歳三は戊辰戦争(新政府と旧幕府側の内戦)の終盤、蝦夷へ渡り旧幕府軍の戦いを支えた。箱館で陣地戦と野戦が続く中、前線で指揮を取り続け、箱館戦争の末期に倒れるまで退路より戦線の維持を優先した。

海風が強く、港の湿り気が衣に残る。京都の取締りから始まった戦いは、ついに蝦夷まで広がった。箱館の要所には五稜郭があり、守りと攻めの両方がぶつかる。

土方は新選組の副長として知られたが、この終盤では前線の指揮官として働く。残る兵をどう動かし、どこで持ちこたえるかがそのまま生死に直結する。

蝦夷へ渡った旧幕府軍

鳥羽伏見の敗北後、旧幕府側の一部は海路で北へ向かう。中心にいたのが榎本武揚で、艦と兵をまとめて蝦夷へ渡った。

彼らは現地で蝦夷共和国(榎本らが名乗った政権)を掲げ、持ちこたえる形を作ろうとした。だが新政府側も追ってきて、戦いは箱館戦争として終盤の局面に入る。

五稜郭と箱館の戦い方

箱館の戦いは、街と港を押さえる動きが中心になる。守る側は五稜郭を拠点にし、周辺の道と高地で陣地を固める。

攻める側は上陸して箱館の外周から迫り、拠点同士の連絡を切ろうとする。銃と砲が主になり、砲台の配置と補給の段取りが勝敗に直結する。

副長が担った前線指揮

土方は土方歳三として前線に出て、動ける兵を集めて戦線を作り直す。守りに閉じこもれば包囲されるので、機動で崩れを遅らせる必要があった。

そこで土方は遊撃隊(機動部隊)を率い、各地の小競り合いで時間を稼ぐ。隊の顔より現場の手当てを優先し、新選組の残兵も含めて指揮の線を保とうとした。

最期と残ったもの

1869年、戦線が詰まると撤退の余地は狭くなる。土方は退路の確保より前線の押さえを選び、降伏の前に倒れたと伝わる。

一方で榎本らは明治政府と交渉し、降伏へ向かう。ここで戊辰戦争は終わりに近づき、戦い方も組織の形も大きく変わっていく。

最後まで前線に残る

箱館で土方が担ったのは、勝ち筋を作ることより崩れを遅らせる仕事だった。兵の動きを揃え、持ち場を守らせ、次の手を打つ時間を稼ぐ。

土方歳三は最後まで前線に立ち、五稜郭の戦いを終盤まで支えた。副長としての厳しさは、この場面では現場を回す手順として出た。

終盤で見えた土方の仕事

箱館戦争の末期は、名乗りや旗より補給と陣地がものを言う戦いだった。そこで土方は、動ける兵をまとめ、前線をつなぐ役に徹した。

榎本が政治の出口を探す一方で、土方は現場の出口を探した。敗走の中で形を保つ仕事が、次の時代に渡る線引きになった。榎本武揚戊辰戦争の終わり方は、その対比をはっきり残す。

前回:鳥羽伏見の崩れ──幕府軍が退く瞬間

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ひとつ上のまとめ:土方歳三

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