大化の改新──孝徳天皇はなぜ改新政権の中心に立ったのか
孝徳天皇を名目上の存在として見ると、大化の改新は中大兄皇子たちの改革だけに見えやすい。彼の視点から読むと、大化の改新を朝廷の意思として示すために、天皇が表に立つ意味が見えてくる。
大化の改新は、中大兄皇子や中臣鎌足が進めた改革として語られやすい。
たしかに、乙巳の変で政局を動かし、その後の改革へ踏み込んだ人物として、中大兄皇子の存在は大きい。
しかし、それだけで見ると、改新が「誰の政治として示されたのか」が見えにくくなる。
改革を一部の人物の動きで終わらせず、朝廷の意思として示すには、表に立つ中心が必要だった。
その位置に立ったのが孝徳天皇である。
孝徳天皇を中心に置くことで、改新政権は単なる政変後の勢いではなく、天皇を軸にした政治へ向かう形を持ちはじめた。
孝徳天皇はどんな局面で即位したのか
孝徳天皇が立ったのは、乙巳の変で政治の流れが大きく動いた直後である。
蘇我入鹿が倒され、蘇我氏に強く傾いていた政治は大きく揺らいだ。だが、政敵を倒しただけでは、次の政治の形はまだ見えてこない。
ここで必要になったのは、新しい政治を誰の名で進めるのかという問題だった。
孝徳天皇は、その局面で即位し、改新政権の表に立つことになる。これは単なる人事ではない。政変後の政治を、朝廷の正式な形へ整えるために重要だった。

乙巳の変は、強すぎる豪族の力を抑える出来事だった。
しかし、そのあとに必要なのは、王権の側から政治を組み直すことである。孝徳天皇の即位は、その王権再編を表に示す役割を持っていた。中大兄皇子たちの動きを、朝廷の政治として見せる意味があった。
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