見出し画像

箱館戦争の戦術──洋式戦争に挑んだ最後

1869年、土方歳三は前線の機動で戦線を保とうとした。
だが海と陸が同時に動く戦いでは、条件の差がそのまま損失になる。
箱館戦争は洋式の条件に合わせた選択の連続だった。

冬の港は風が強く、波が硬い。
火薬と食糧を積むだけで手がかじかむ。
遠くから艦が来るだけで、戦の距離が変わる。

箱館の戦いは、刀の強さより艦隊火力で形が決まる局面が多い。
土方歳三は前線に立つが、戦線は海と陸が同時に動く。
間に合わない判断が、そのまま損失になる。

この回は、宮古湾の海戦と五稜郭周辺の陸戦をつなげて、洋式の条件にどう合わせたかを整理する。
最後に残った戦術の癖が、どこで限界に達したかまで追う。

蝦夷地で整えた戦の前提

1868年末から1869年にかけて、旧幕府側は蝦夷地へ渡り、箱館に拠点を作った。
中心にいたのは榎本武揚で、土方も合流し、港と陸の両方を回す必要が出てくる。

戦の形は「守る拠点」と「動く部隊」の組み合わせになる。
五稜郭を軸に周辺の要地で時間を稼ぎ、海からの補給をつなぐ。

ただ、守りを厚くすると前線は薄くなる。
土方は前線の動きを優先し、守る場所と捨てる場所の線引きを急ぐことになる。

海で勝負を変えようとした宮古湾

旧幕府側は、海の主導権を取れないままでは陸の守りも長く持たないと見ていた。
そこで宮古湾海戦で主力艦を奪い、条件を一気に変える狙いを立てる。

理由は単純で、差を短時間で埋めるには奇襲しかないからだ。
長期戦になるほど補給が切れ、港も封鎖されやすい。

結果は狙いどおりには進まない。
艦隊と装備の差が残り、戦局の流れを止めきれなかった。
海の条件を変えられなかったことが、陸戦の圧力を増やす。

陸で守りを崩されたポイント

箱館周辺の陸戦は、要地を連ねて守る形になる。
守りの線は伸びやすく、どこか一つが崩れると周囲が連鎖して薄くなる。

理由は、砲と銃の射程が伸び、遮蔽物の少ない場所が不利になるからだ。
さらに海からの支援砲撃が入ると、陸の守りは長く固定できない。

結果として、守備は守り切るより後退へ寄る。
要地を捨てながら時間を稼ぐが、下がり続けるほど拠点の周りに戦が集まる。

土方の機動が効いた場面と限界

戦線の切れ目を埋める役として、土方歳三の動きは重要になる。
守備の線が長いほど、短時間で兵を差し込める部隊の価値が上がる。

土方の部隊は遊撃として動き、局地で相手の進みを遅らせる。
崩れた線を立て直す時間を作り、崩れ方を小さくする。

だが局地で効いても、全体の圧力は下がらない。
火力差が残る限り、崩れる場所が次々に移り、機動だけでは追いつかなくなる。

五稜郭に収束した終盤の形

後退が続くと、戦は拠点の周りに集まる。
中心になるのが五稜郭箱館の市街だ。

理由は、補給と指揮の核がそこに集まるからだ。
外の要地を捨てるほど、拠点を守る兵が必要になり、前線で動かせる余力が減る。
ここで補給線が切られやすくなる。

結果として、戦術は収束していく。
土方の機動は狭い範囲でしか使えず、火力差を埋める手も少なくなる。
終盤は、守りの薄い場所を突かれ続ける形になる。

海と陸を同時に扱う重さ

箱館戦争では、海で負けると陸の守りが苦しくなる。
港を守るだけで兵が割かれ、前線の機動が薄くなる。

土方の戦い方は局地戦の強さと再配置の速さに支えられる。
だが火力差が残る限り、埋める穴が増え続ける。
そこが最後の限界になる。

洋式の条件に合わせた末路

宮古湾で海の条件を変えられず、陸戦は要地を捨てながら後退する形になった。
守備と機動の両立を目指しても、差が縮まらないまま終盤へ入る。

五稜郭に収束した時点で、残る手は少ない。
艦隊火力が優位な側に戦場の形を決められ、工夫も限界に達した。

前回:戊辰戦争の転戦──甲陽鎮撫・宇都宮・会津の現場

ひとつ上のまとめ:土方歳三

全体の入口:自己紹介|シリーズ入口

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集