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山梨県・身延山久遠寺──山上へ続く題目の道

身延山久遠寺は、日蓮が身延に開いた草庵から始まり、題目と祖師信仰の中心へ育った寺になる。
そこを追うと、日蓮の晩年の九年間、御廟所、菩提梯が一つにつながり、山上へ続く参詣の意味が見えてくる。

山梨県身延町の山あいに入ると、三門の奥へ長い石段がまっすぐ伸び、その先に久遠寺の伽藍が見えてくる。
ここは日蓮宗の総本山として知られる身延山久遠寺だが、建物の大きさより先に、山へ登っていく題目の道そのものが印象に残る。
しかもこの寺は、日蓮が晩年を過ごした草庵の地から始まり、御墓を守る御廟所までを含めて信仰の中心になってきた。

日蓮はなぜ身延に草庵を結んだか

久遠寺の始まりは1274年になる。
幕府への諫言を重ねた日蓮は、信者だった南部実長の招きで身延山へ入り、同年6月に西谷の草庵を住まいとした。
寺の公式由緒では、この日を身延山開創の日としている。

日蓮聖人

ここで大きいのは、山に隠れたというより、法華経を読み弟子を教える拠点を山中に定めた点にある。
日蓮は足かけ九年を身延で過ごし、1281年には本格的な堂宇を建て、自ら久遠寺と名づけたため、この寺は草庵から始まった学びと信仰の場として形を整えていった。

題目の道は何を形にしたか

身延山久遠寺の信仰の芯にあるのは南無妙法蓮華経になる。
公式の説明では、日蓮は法華経の教えを身口意の三業で受け持つことを説き、お題目を唱え、その教えを実践することを重く見ていた。

その考えは参詣の形にも残っている。
三門から本堂へ続く菩提梯は287段の石段で、南無妙法蓮華経の七字になぞらえて七区画に分けられており、登る行為そのものが信仰の実感へ近づく道として受け止められてきた。

菩提梯

御廟所と祖師信仰は何を今へつないだか

久遠寺で外しにくいのが御廟所になる。
そこには日蓮の御墓と御草庵跡があり、晩年を過ごした九年間の地と、遺命に従って建てられた墓所が一つの聖域として守られている。

この場所が重いのは、由緒を示す史跡で終わらないからだ。
公式案内でも、日蓮の御墓を守る久遠寺は多くの人の帰敬を受ける場とされており、ここでは祖師信仰が今も具体の参拝と法要の形で続いている。

御廟所

山上へ続く参詣路は何を感じさせるか

境内の入口でまず印象に残るのが三門になる。
公式案内では、この門は空・無相・無願の三解脱を表し、その先にある本堂へ向かう入口として置かれているため、久遠寺の参詣は最初から悟りへ進む筋道を意識したつくりになっている。

三門

その先の菩提梯を上りきると本堂へ着く。
石段の急さと一直線の見え方が強いため、身延山久遠寺では山に登ること、手を合わせること、日蓮の教えへ近づくことがばらばらでなく、一つの体験としてつながって見えてくる。

祈りへ向かう道ごと残った寺

身延山久遠寺の重みは、日蓮の名が大きいからだけではない。
御廟所菩提梯が同じ山内でつながっているからこそ、この寺は教えと参詣の流れを体で感じやすい場所として残っている。

山を登るほど信仰の形が見えてくる

この回の核心は、久遠寺を古刹としてだけでなく、題目祖師信仰が同じ山の中で続いてきた場として読むところにある。
そこを押さえると、身延山久遠寺が今も日蓮宗の中心として重く見られるのは、建物だけでなく、登り、唱え、墓所へ向かう一連の道が残っているからだと分かりやすくなる。

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