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英彦山神宮

英彦山神宮
主神  正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊
配神  伊邪那岐尊  伊邪那美尊

奉幣殿


境内からみる石段参道


英彦山は、古来より霊山として信仰されてきました
御祭神の天忍穂耳尊は、天照大神の御子、日の子であることから
日子山と呼ばれていました。


旧英彦山小学校の教室


弘仁10年、(819年) 日子の字を彦に改め、享保14年(1729年)に英の一文字を承り、英彦山と改称された。

英彦山のスロープカー花駅は、平成14年まで「英彦山小学校」として実際に使われていた校舎です
現在は、スロープカーの駅、お土産売り場として活用されています。

スロープカー乗り場
スロープカーからの眺め

英彦山神宮の弊奉殿は、修験道時代の「霊泉寺」のもの
霊泉寺の開祖、中国北魏の僧 善正が日本へ渡り仏教を広めたという
九州北岸に到着した時に、樹木で覆われた日子山の秀麗な姿に心を惹かれ、石室をつくり住むことにしたという
これが霊泉寺の始まりとなる
その年は531年という…

善正は北魏の第13代孝武帝の子で、孝武帝が宇文泰に殺される3年前に日本に渡り、豊後国日田郡の狩人の藤原恒雄と出会い霊泉寺をふたりで造った
藤原恒雄はのちに「忍辱」、豊国法師となる。

肥前鐘の梵鐘

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