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「利」利他的であることが利己的 

「誰かのため」は自分のため。重要なのは誰かのために生きるか、自分のために生きるかではなく、誰かのためでもあり自分のためでもある「利」を思考し、利して生きていくこと。感情と論理から考える。

みんな同じだろうと願うのは、

「他者と一緒に生きることへ喜びを感じること」

他者と共有できることが幸せで、他者がいるから幸せだ。生きる喜びと結びついた理由だ。

「他者や社会を能動的に支えて、幸せを感じる」

利己は利他を求め、これが生きる意義だと思う。そして純粋に

「他者の幸せが幸せだ」

 自分が幸せにしたわけでなくても、自分ではない存在の幸せを幸せだと思う。卒業式、お花をのせた自転車をみたまちの人は、誰かの幸せを想った幸せの表情をしていた。人って豊かだな。
喜んでる他者をみてなければ、想像できる幸せでなければならない。おいしいお茶を飲んだことのない人に、お茶は分からない。幸せはみんながわかちあえる感覚だが、呼び覚まし、教えなかったら、理解できない。苦しいも楽しいも。教えられる人でありたい。自分を幸せにできるのは自分だが、幸せを教えられる人でありたい。これまでたくさんの人がいろいろな幸せを教えてくださった。自分を幸せにできる自分でいられるのは、他者がいたから、そして、いるから。

論理的に考えれば、

「人は同じ」

 人は同じ。個性や多様性を理解するほど、人の共通性も確信に変わって、美しく感じる。感じることも。性質、環境、知識、経験、考えたことが異なるのだから異なるのは普通で、理解しあえるのは同じだから。同じだから教えられる。自己だっていろんな自分がいて、考えや感情がある。人間だって同じ。一つの自己がある、一つの人間がある。(色んな状態と感情のある)同じひとだから、自分の生きやすい社会をつくることは他者の生きやすい社会を作ることでもある。けがをすることも、病気にかかる時もある。人生は多くの共通点があって、「利ひと」は他者と自己の一部分を利する。苦しんでいる人を助ける仕組みや制度は、自分が苦しい時、助けてくれる。

「社会は利他が利己」

 『他者の靴を履く』でブレイディみかこさんがコロナの災害を例にこう書いていた。(一部中略)

ハンド・サニタイザーにしてもトイレットペーパーにしても、心からウイルスが怖くて爆発的感染を食い止めたいと思うのであれば、大量に買って自分の家の戸棚の中に眠らせておくより、世間の人々に使用してもらったほうがいい。世の中に手やお尻が不潔な人を増やし、公衆衛生を劣化させ、感染症が蔓延する環境を作ってしまう。「非常時に自分の身がかわいくなるのは人間だからしかたない」という人もいるが、自分の身を危険に晒しているのだったら、単にサバイバル法を勘違いしているということなので、「しかたがない」と見捨てるわけにはいかないだろう。利己的な行いのように思えるが、実はまったく自分のためになっていない。なぜなら、それはコミュニティ全体のためになっていないからだ。自らの行動が社会にどのような影響を与えるのか想像力がなければ、最終的には社会の不幸がダイレクトに自分の身に降りかかる。人間は利他的になったほうが自分を利する

 自分のために行動しようと考えたら、利他的であるということだ。考えれば、利他的な行動が利己的であると分かるのだ。ブレイディみかこさんの文からは利己的であるということが利社会的であることも理解できる。社会は人の共同体だ。先輩の卒業論文最終発表会をお聞きして、利自然的でもあると思った。気候変動が私たちをいつになく苦しめている。利己的な行動ができず、人も自然も利することができなかったため、人も自然も苦しんでいるのではないだろうか。利己を通して他者、社会、自然、世界が繋がっている。

 後輩が大切なことを話していた。「自分一人の責任と感じると、動くのが難しい」
利が繋がっているなら、責任も繋がってる。一人と思わず、みんなのことだと思える社会でありたい。責任は自分に対する言葉じゃなくて、自分が取らないことなんてなくて、みんなに対する言葉なはずだ。自分の責任はみんなにあって、みんなの責任は自分にある。そして、みんなを考える時は、二つの関係を考える。みんなは二つの集まりだから。自分と他者、社会、自然、他者と他者、社会、自然、一つと一つが紡ぐ(二つで)一つの集まりがみんなであると思う。「二つで一つ」が幸せであれることが大事である。二つのあいだにある利。二人のあいだが利なら、利己的で利他的で、(この利は)社会や自然にとっての利でもある。

人間は生きる。受けるだけでなく、能動的に。可能であれば「利すること」を目的として。(結果的に受動と能動は区別できないが)自分の意志で受動と能動の違いは確かに存在し、これは自分が分かることである。能動的に生き、利する人の眼は光っていて、人をいかす。利する行動は、労働と教育である。生きるためと同時に、利(己、他、自然、社会)的であるために労働するが、利を理解して利することができる人間であるため、自分を(他者として)教育しながら生きている。そして、利を大きくするために他者を教育する。教育は他者を他者自身が利せられる人間へ育み、利せられる人間を増やすことで利を生む、利的な活動なのである。人は、教員や親に限らず、教育している。話すことで、体験してもらうことで、利を伝えている。あなたと話した人、みた人、自然、多くが教育されるないしは教育している。人が生きていくために、教育は根本的な営みである。ともに生きる人も自然も仲間だ。

 最後に、「利」へ必要な自我と知性について書く。たぶんもっとあると思うから学びたい。自我のない行動は、利己的でも利他的でも、利己しない。無意識に自己を疎外し、利己も利他もできなくなってしまう。利己、利他に自我の存在が必要不可欠であることは記したいし、知性があるから「利」を理解でき、自分のいましたいことが分かる。

「利」できる人間でありたい。利己的で、利他的で、利自然的。

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