朗読台本『冷気とレースと、お腹の虫』
朗読台本:『冷気とレースと、お腹の虫』
ふう、と息を吐く。
なんだか、さっきから肌寒い。
首元をきゅっとすぼめて、部屋の隅に目をやった。
窓はちゃんと閉まっている。鍵もかかっている。
なのに、どこからか、ひゅう、と頼りない風が吹き抜けた気がした。
「すきま風かな?」
そう呟いて、立ち上がる。
築年数の古いこのアパートだ、どこかにガタがきていてもおかしくはない。
私はお気に入りの、アンティーク調のレースのカーテンをそっとめくってみた。
……異常なし。窓の外は、静まり返った夜の街。
じゃあ、この寒気はどこから来ているんだろう。
……いや、本当は薄々気づいている。これは部屋の寒さじゃない。
私の「緊張」だ。
明日、人生初の健康診断がある。
それも、あの恐怖の胃カメラが待っているのだ。
喉を通る時のあの違和感、想像するだけで胃のあたりがキュウと収縮する。
今も、緊張のあまりお腹の底が冷え切っている。だから寒く感じたのだ。
「はぁ……憂鬱(ゆううつ)だなぁ……」
前日の夜9時以降は絶食。
お腹はとうに空っぽ。緊張と空腹のダブルパンチで、私のメンタルは完全に限界を迎えていた。
その時。
ぐううぅぅぅ。
……静かな部屋に、情けない音が響いた。
すきま風の正体は、私の胃袋の悲鳴だったらしい。
現金なもので、お腹が鳴ったら急に、明日「胃カメラ」が終わった後のご褒美のことばかりが頭に浮かび始めた。
何を食べよう。
そうだ、ずっと行きたかった、あの駅前のちょっといい和食屋さんに行こう。
贅沢に、カニ尽くし御膳なんてどうだろう。
ぎっしり身の詰まった、甘いかにの刺身。
アツアツの、かに会席。
最後にかに雑炊で締める。
想像しただけで、さっきまで凍えていたお腹の奥が、じんわりと温かくなってくるのが分かった。
よし。明日の午前中さえ乗り切れば、そこにはパラダイスが待っている。
そう思えば、あの細いカメラの管なんて、カニの足を飲み込む予行練習のようなもの……かもしれない。
私はレースのカーテンを閉め直し、明日のご褒美のために、早めにベッドに潜り込むことにした。
(終わり)
こちらのお題に参加させていただきました。
