オフィスサンサーラとの25年 12 IBM「PS FEEL」を一緒に作った松岡裕典君と仲間たち
「PS FEEL」について話すと、それはどうしても下北沢に繋がります。それは実質的な編集部が下北沢にあったから。そして、その中心に松岡裕典君がいたから。

私のオフィスサンサーラは、実質的な仕事の受け口で、IBMの担当と直接話あい、インタビュー取材し、様々な案件を決定するけれど、その内容を紙面化するには、実際の実働部隊が必要で、その部分を担ってくれたのが、松岡君とその仲間たちでした。
松岡君は、確か早稲田の漫研で漫画が描けて、アートデレクターで、コンピュータ文化に詳しいだけではなくて、実際に使いこなし、それをわかりやすい記事にできた。まさに「PS FEEL」にぴったりの人でした。

そして、もっと魅力的だったのは、彼の周りには、そんな能力を持った多彩な人たちが集まっていたこと。漫画コラムの達人盛本康成君、コンピュータの技術情報のライター市川昌弘君とか、「PS FEEL」は、そんな松岡君の早稲田人脈の力をえて、作られていきました。松岡君はこれ以降、コンピュータ文化に関する論客として、評論家としても活躍をし続けます。
当時松岡君は、確か「大地」という名前のDTPシステムを実験的に稼働させていて、日本語のフォントが美しいこのシステムに私も惚れ込み、このシステムで「PS FEEL」の誌面を編集、データ出力したことを思い出します。
ですから私も、しょっちゅう打ち合わせで下北沢に行き、彼の事務所までの細い道を何百回往復したか。おかげで、下北沢の街には詳しくなりました。もっとも、その当時の記憶も、新しくなった現在の下北沢では、役に立ちませんが。

何度考えても思い出せないのが、松岡君たちが集まっていた事務所の名前。そして彼が飼っていた猫の名前。この猫ちゃんの毛を気にして、松岡君が当時、発売されたばかりの粘着テープのコロコロを常に手もとに置いて、コロコロしていたこと。当時、私も谷中に住み、猫に囲まれていて家じゅう猫の毛だらけで、このコロコロをここで知り、ものすごく助かったことを思いだします。
それで、次回は、ちょっと脱線ですが、この谷中の猫を、日本で最初のマルチメディア・コンテンツにした話をしましょうか。
