オフィスサンサーラとの25年 14 IBMの内永ゆか子さんが断言した、ソフトバンクの孫正義さんは大きくなると
IBMの「PS FEEL」が登場した1993年ころ、IT業界では技術変革の真っ最中でした。もっとも大きな変化が、インターネットの登場と、その最初のブラウザー「Mosaic」の登場。それまでは、かなりマニアの領域だったパソコン通信の世界が、爆発的に広がったわけですが、この当時、まだ日本の業界関係者の多くは、この技術のインパクトを読みきれていなかった。その1人が私だった。
その当時、通常は月に2回ほどの定期会議でIBMの大和研究所に通っていました。そして時々内永ゆか子さんから色々な依頼を受けていました。今考えると、当時のIT技術の最先端の方達と親しくしていただき、新しい領域への事業の挑戦もさせていただいた。普通に考えると、我がオフィスサンサーラは、先頭にいた企業として、大発展してもよかった。しかし、結果としてそうはならなかった。なぜ? というのが、今回の隠れテーマです。
例えばこんなことがあります。
「大嶋さん、PS FEELの読者向けのホームページを作らないと」と内永さんに言われる。ホームページの名前くらいは知っているが、その実際なんて知らない。でも「わかりました、すぐに対応します」とか言って、下北沢の松岡君のところにいく。すると、みんながPCのモニターを見つめている。そこには、なんだか不明の縞模様が表示されている。
「なにそれ」と聞くと
「最新のインターネットのMosaicなんだけど、ずっとこのままなんだ」
すると、突然、画面が広がって、「プレイボーイ」のヌード写真の上半身が出てきた。
「チクショウ、もう少しなのに」と全員が落胆する。そんな時代でした。
そんな時に、また内永さんに呼ばれた。
「うちのソリューションを使った、アプリケーションを一般にも売りたいけど、何かアイデアはない」と問われて、
「じゃあ、アプリのショーケースを作りましょう」と答えた。
具体的には、別に新しくもない、CD-ROMにアプリのサンプルを入れて、サンプルを使って気に入れば、正式にアプリの本体を購入する仕組みのパッケージ。

この「CD ショーケース」、確か安価で売ったと思う。それができたとき、内永さんが
「これをどうしても売りたいという新しい会社があるので、行って、話してみてくれる」と。その会社の名前はソフトバンクといった。
当時箱崎にあったソフトバンクまで出かけました。黄色い四角い変な建物があって、それがソフトバンクの小さな事務所だった。
やたら元気のいい、営業担当者が出てきて、IBMのOKが出ているので、具体的なデータのやりとりの手順を決めて、あとは、営業同士の話としてそこを後にした。
IBMに戻って、内永さんが
「どうだった、どんな会社でした」と聞くから、元気のいい販売会社でしたというと、
「そうでしょう、あそこば絶対大きくなるわよ、孫さんは、大きくなるわよ」と断言した。その口調があまりに断固としていることに、驚きました。
なぜなら、その時の私は、他人の会社のアプリケーションの販売代理で、いったいいくら稼げるものか、そこに将来性があるとは、とうてい思えなかったから。
しかし、結果はその後数年で出ます。ソフトバンクは、もののわかった? 業界関係者の嘲笑を浴びながら、ADSLの街頭の露店販売で、大きく業績を伸ばします。
ソフトバンクについて、内永さんに確信できて、私がダメだったことは、なんだった のか。単に、私に商才がなかった、ということだけではない。決定的な違いがそこにあったと、今ならば思い至るのです。
