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【荒川】オフィスサンサーラとの25年 18 荒川とサンサーラの最強コラボ時代始まる ARA2 

多分日本で最初、デジタル情報地図を実現した
 ほんとに官僚らしくない、国交相の荒川河川管理事務所長の大平一典さんとの出会いは、私たちサンサーラの仕事の幅を大きく広げてくれました。
 まず流域の川と暮らしの情報誌「ARA」の創刊でしたが、これだけであれば、いつものこと。でも、このメディアを単なる活字メディアではなく、デジタルメディアとして荒川の河川情報発信の核に位置付けたこと。当然、すぐにWeb版「ARA」が立ち上がりました。
 このWebメディア「ARA」のコンテンツ企画でも、新しくて、面白いことならば、私たちの提案を大平さんは受け入れて、実行させてくれました。
 その最大のものが、多分、日本で最初の河川のデジタル地図の作成と、それの情報メディアとしての活用。当時のホームページの地図といえば、紙に描いた地図をスキャンしてアップしたアナログな絵としての地図。
 しかし私たちは、この地図に情報を載せられないか考えた。地図のお店マークをクリックすれば、そのお店の情報が画像、テキストで表示される。今であれば、Googleで当たり前のデジタル地図が、当時はどこにもなかった。
 なかったら、自分たちで何とかしようというのが、我らサンサーラの心意気だった。当時、カナダのオートデスクという会社が、座標を持ったビジュアルとデータベースを連動したシステムを開発していた。このシステムを利用して、表示するビジュアルをデジタルで描いた地図にすれば、理屈としてはデジタルの情報地図ができるはず。
 サンサーラはシステム開発事業者ではなくて、あくまでもコンテンツ制作者。ここがサンサーラの強みであり、同時に最大の弱点だったが、まだその問題点は露呈していなくて、国内で、このオートデスクの開発者を見つけて、彼と一緒にデジタルマップの原型をつくった。
 こうしてできた雛形に、荒川のデジタルマップを載せると、動きました。
 ここまでのハンドリングも、高専でロボットのプログラムをやっていた河津勇成君のおかげ。私は、どうできた? とか、その結果に大喜びとか、じゃあ、次はこうしようとかのアイデア出し。もの作りの、一番楽しいことをやらせてもらった。
 こう考えると、どうしてサンサーラが日本のデジタルマップの先進メーカーになれなかったのか、不思議。
 でも、その最大の原因は、サンサーラの誰も、そんなこと考えていなかった。目の前のコンテンツ作りの課題で手がいっぱい。
 どのような情報地図を作るか、その情報はどうやって集めるか、どういうデザイにするか、見やすく、使いやすいデジタルマップの形を作り、その活用方を探し、実現することに精力の全部を使っていた。
 商店街マップ、河川敷の生物マップ、そして、次に大きな課題となったのが、河川防災のためのデジタルマップ。この防災情報のデジタル化が、次のサンサーラの大きな仕事となりました。
 そんなこんなやるうちに、サンサーラも人員が増えて、青谷通り裏の古いマンションの一室から、青山通りに面した、大きなフクデンビルのワンフロアーを借りることに。気がつくと社員も10名を超えていました。

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