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フルカネリとヴィクトル・ユゴーを繋ぐノートルダム大聖堂の”秘密”についてVIII章:VIII ゴシック地下聖堂:墓 ②

【黒い聖母(おこもりばあさん)の錬金術的意味】

前編では、フルカネリが『ノートルダム・ド・パリ』の「おこもりばあさん」を、黒い聖母像の暗喩として読んでいる可能性を見てきた。

では後編では、その「おこもりばあさん=黒い聖母」が、錬金術の文脈においてどのような意味を持つのかを考えてみたい。

フルカネリは、黒い聖母について、きわめて明確にこう述べている。

「黒い聖母はヘルメス学的には『原初の土』、すなわち粗鉱の状態にある第一質料であり、石のように細く砕けやすく、石のような外観を持った、脆く、重く、黒い物質である。……ゆえに、その人間化された象徴である黒い聖母もまた、地下に置かれるのがふさわしい

フルカネリ『大聖堂の秘密』VIII章

この一節を手がかりにすると、「おこもりばあさん」が単なる悲劇的な脇役ではなく、地下に置かれた黒い母性=第一質料の擬人化として読めることになる。


①【黒い聖母像の前身――イシスという「産むべき処女」】

前編でも触れたように、フルカネリによれば、黒い聖母像の前身には、古代エジプトの女神イシスがいる。
しかもそのイシス像には、のちの黒い聖母と同じ象徴性を示す碑文が刻まれていたという。

「イシスとは、受胎以前においては、天文的神統譜の中で〈乙女〉の属性に属するものであり、キリスト教以前の多くの遺物は、これを Virgo paritura――「子を産もうとする乙女」――の名で呼んでいた。
すなわちそれは、いまだ受胎していない大地であり、やがて太陽の光によって生命を与えられるものなのである。
また、「ディーの石碑」が示すように、それは神々の母でもある」

フルカネリ『大聖堂の秘密』VIII章
イシスが幼いホルスを抱く図像(Isis lactans)。「母と子」という構図そのものが、後代の聖母子像へ重なって見えてくる。wikimedia commons


ここで重要なのは、イシスが単なる「母なる女神」ではなく、まだ受胎していない大地として語られていることである。
フルカネリの言葉を整理すれば、イシス=黒い聖母には、少なくとも次の四つの性格がある。

  • 子を産もうとする乙女であること

  • ヘルメス学における第一質料であること

  • 黒く、重く、脆く、石のような外観を持つこと

  • 地下に置かれるのがふさわしい存在であること

これらは驚くほど、そのまま「おこもりばあさん」の輪郭に重なる。
地下の穴に住み、名を変え、黒い衣をまとい、しかも母でありながら「女」としてはすでに閉ざされている。
フルカネリが黒い聖母に見た象徴は、ユゴーの人物造形のなかで、ほとんどそのまま人間の姿を取っているように見える。


②【ケレス――秘儀の母としてのもう一つの顔】

もっとも、フルカネリ自身も、古代のイシス信仰そのものは、あまりに古く、細部が謎に包まれていると認めている。
そこで彼が参照するのが、同じ象徴体系に属するもう一つの女神、ローマのケレス(ギリシアのデメーテル)である。

ケレス(デメテル)が、冥界の王プルートにさらわれた娘プロセルピナを求めて松明を掲げる図。フルカネリが黒い聖母の背後に見ていた「失われたものを探す母」の相は、ここではほとんど露骨に現れている。wikimedia commons

ケレスは一般には農耕の女神として知られるが、フルカネリが注目するのは、その背後にある秘儀宗教としての側面である。
彼によれば、ケレスの祭儀は外部への漏洩が厳しく禁じられた、きわめて閉鎖的なものであった。

そして、伝えられている祭司の階級制度を見るかぎり、その構造は単なる農耕祭礼ではなく、むしろ秘教的・錬金術的な段階儀礼として読める。

「祭儀の奉仕者たちは四つの位階に分かれていた。すなわち、秘儀、松明持ち、伝令、祭壇の司祭である」

フルカネリ『大聖堂の秘密』VIII章

この四位階は、フルカネリの読みでは、それぞれ太陽・水星・月などのヘルメス的象徴体系に対応する。
つまり、ケレスは「母なる大地」であるだけでなく、変成の秩序そのものを司る母でもある。

ここまで来ると、「おこもりばあさん」の変遷が、単なる境遇の変化ではなく、ひとつの通過儀礼として見えてくる。


③【キュベレー――黒い石として降ってくる母】

そして第三の女神が、アナトリアの大母神キュベレーである。
フルカネリは、イシスとケレスに続いて、このキュベレーを同じ象徴系列のなかに置く。

キュベレーは「母なる神(Mater Deum)」として崇拝され、とりわけフリュギアでは、黒い石そのものとして祀られていたという。

「キュベレーは、天から落ちてきたと言われる黒い石の形で崇拝されていた」

フルカネリ『大聖堂の秘密』VIII章


キュベレーの背後には、クババやキュベベのような、より古い母神の名残がある。黒い聖母のヴェールの下に透けるのは、古典の神々よりもなお古く、なお地中に近い“母”である。wikipedia


ここで、黒い聖母の象徴は決定的になる。
黒い石とは、単なる偶像の材質ではない。
それは、天から落ちてきた母であり、同時に、地下に埋められるべき第一質料でもある。

黒い石=黒い大地=第一質料。
この連鎖によって、黒い聖母像は、キリスト教の聖母像という枠を超えて、はるかに古い「大地の母」の系譜に接続される。


④【三女神は「ひとつのヴェールの下の三つの顔」である】

フルカネリは、イシス・ケレス・キュベレーを、別々の神話的存在としてではなく、同じ原理の異なる表現として読む。

「イシス、ケレス、キュベレー、同じヴェールの下にある三つの頭である」

フルカネリ『大聖堂の秘密』VIII章

文化圏は違っても、三女神に共通しているのは、いずれも

  • 大地

  • 暗黒

  • 受胎前の沈黙

  • 母性

  • 再生

という象徴の束を担っていることである。

そして、この三重の象徴が、中世キリスト教の図像においてひとつに凝縮された姿こそが、黒い聖母像なのだろう。
黒い聖母とは、単なる聖母像ではない。
それは、古代から連なる「暗い母なる大地」の、キリスト教的な仮面なのである。


⑤【「おこもりばあさん」の四つの位相】

ここで再び『ノートルダム・ド・パリ』の「おこもりばあさん」に戻す。

フルカネリがケレスの秘儀に見た四位階――秘儀、松明持ち、伝令、祭壇の司祭――を思い出すなら、
「おこもりばあさん」の人生にもまた、四つの位相が刻まれているように見えてくる。

(1)パケット・ラ・シャントフルーリ
若い頃の名前。
「歌う花」という意味を持つこの名は、彼女の美しさと生命力を象徴する。
まだ母であり、まだ地上にいる時代である。

(2)ギュデル
娘を失ったのち、パリに流れ着いた彼女に与えられる名。
ここで想起されるのが聖グデュルの伝説である。
悪魔に灯火を消されながらも、天使に助けられるその物語は、失われた光をなお抱える「松明持ち」の相を思わせる。

(3)ラ・ルクリューズ
「おこもりさん」「隠遁者」。
ロラン塔に閉じこもり、祈りと悔恨のうちに人界から退いた姿である。
地上から地下へ、社会から沈黙へ。
ここで彼女は、完全に「地下に置かれた黒い母」となる。

(4)作中では固有名で呼ばれないが、最後に現れる第四の位相。
娘アニェスをかばい、自らが犠牲となって命を落とす母の姿である。
これはまさに、祭壇において身を差し出す「祭壇の司祭」の相である。

四段階が完璧に噛み合うわけではない。 それでもフルカネリの視点から見れば、ユゴーがこの人物に 喪失・隠遁・再認・犠牲という変成のリズムを流し込んでいるのは明らかだ。


⑥【母娘の再会は「醗酵」の場面である】

『ノートルダム・ド・パリ』のなかでも、とりわけ痛ましいのが、おこもりばあさんとエスメラルダの再会の場面である。

フロロの罠によって聖域から引きずり出されたエスメラルダは、彼を拒絶したために、「ネズミの穴」のおこもりばあさんのもとへ投げ込まれる。
そこで、母がかつて縫った小さな靴によって、二人は親子であることを知る。
だが、その再会は救済ではなく、直後に兵士たちによって引き裂かれ、母は娘をかばって死に、娘もまた処刑される。

物語として読めば、これは救いのない悲劇である。
しかし錬金術的に読むなら、この場面はむしろ、完成直前の最終操作として理解できるかもしれない。

「賢者の石の仕上げのにはもうひとつ、醗酵という仕上げ過程が必要だった。溶けた金と混ぜられて一定の処理を受けると質量とも増大する」

セルジュ・ユタン:『錬金術』より

醗酵とは、単なる腐敗ではなく、死によって新たな力を呼び込む工程である。
それは、すでにできあがったものに、なお最後の生命を注ぎ込む段階である。

だからこそ、この母娘の再会は「発見」ではなく、「犠牲」を伴わなければならない。
二人が出会ったその瞬間こそが、完成ではなく、完成のための破壊なのである。


⑦【「墓」から生まれるもの】

ユタンはさらに、錬金術の密閉容器――いわゆる「哲学の卵」について、印象的な言い方をしている。

「≪墓≫はあらゆる発生が腐敗から生じるように、結合した《夫婦》の死後、その《息子》が生まれることからそう呼ばれる。賢者の石は墓から生まれるのだ」

セルジュ・ユタン:『錬金術』より

この比喩は、『ノートルダム・ド・パリ』の終盤に、不気味なほどよく重なる。

地下の穴。
閉ざされた空間。
母と娘の再会。
そして、その直後の引き裂きと死。

「おこもりばあさん」は、単に悲劇の母ではない。
彼女は、墓のなかで最後の変成を引き受ける器でもある。

パケットとアニェスの再会:wikimedia commons

⑧【土星という「卑しいが、主なる鍵」】


最後に、バジリウス・ヴァレンティヌス『十二の鍵』第9の鍵に触れておきたい。

第9の鍵より

土星は、惑星の中で最も偉大であると言われているが、
我らが大業においては最も役に立たない存在である。

しかしながら、それは術の全体を開く「主なる鍵」でありながら、
最も低く、最も卑しい地位に置かれている。

…たとえ土星がこの世で最も卑しいものに見えようとも、
それは驚くべき力と効能を秘めているのだ。

…土星の調製の過程では、様々な色の変化が現れる。

…王はその王国において、華麗なるヴィーナスと共に王位を分かち合う。

…彼は荘厳な姿で王国の廷臣たちに囲まれ、

前方には、美しい深紅の旗が掲げられる。
そこには、緑の衣を纏った「慈愛」が刺繍されている。

母子の証となった、母の手作りのバラ色の靴が、刺繍された緑の袋に包まれていたのは、こんな意味があった。

このように読み解いていけば、フルカネリが『黒い聖母像』の列挙によってロラン塔の女性と失われた娘の物語を解説し直していたように、『ノートルダム・ド・パリ』そのものもまた、まちがいなく錬金術の秘儀を隠語によって語る書として読まれるべきなのだ。

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