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春休み企画! 全員掌編掲載祭り! その⑥

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『その花の名は』みかん/MIKAN:その⑥

 桜が咲きそうになっている。 
 素人目にも判別つくぐらいつぼみの先が開いている。もう二、三日もすれば開花するだろう。
 そのことに気付いたのは、隣にいる友人も同じようだった。

「お。咲きそうじゃん、桜」
「そうだね」きわめて簡素な相槌を打つ。「桜が咲いたら――大学生か」

 僕の言葉に、彼は初めてコーヒーを飲んだときの顔をして舌を出した。

「なんでそんな嫌そうな顔を……」
「いやだって。花粉症シーズンじゃん」
「今に始まったことなの、それ。ていうか、今年は二月から飛んでたらしいじゃないか」

 僕の正論に、友人は押し黙った。しばらくして、小さい声で白状する。

「――進路、別じゃん」
「あー……」

 曖昧に相槌を打つ。それしかできなかった。
 友人は東京の、僕は地元の大学に進学する。頭のいい友人と比べ、僕の成績は凡。一緒の高校に入学できたのすら奇跡、なぐらいの出来の差だ。

「それが嫌なんだよー!」
「……三月下旬にもなって駄々こねるなよ」

 合格通知を貰う、いやもっと前、二年生の段階から互いの進路については決まっていたことだ。最初友人は酷く驚いたようだったが、時間と共に納得はしてくれた。が、心のどこかではしていなかったのだろう。
 僕より頭ひとつ高い背、無駄に甘いルックス、明朗快活な性格、教室の中心に常にいた友人。別離が惜しいと感じているのは、この人気者も同じだったのか。

「連絡とり合えばいいだろ」
「おまえね」途端にじとっとした視線を向けられる。「自分がモテること自覚しろよ。どーせ俺のこと忘れて地元で彼女つくるんだ! ばーか!」

 自分にも当てはまることに気付いていないらしい。幸せ者だこと。僕は突っ込まず、ただアスファルトを見つめた。

「……」

 帳のように、沈黙が下りる。
 僕らは恐れている。六年間いた相手を、綺麗さっぱり忘れてしまうことを。だんだん、だんだんと消しゴムで消していくみたいに薄れていってしまうことを。こんなにも長い間、一緒にいたのに。
 忘れるのは仕方のないことだ、と諦めるには想い出が大きすぎた。
 手を振って笑顔で別れられるほど、僕も友人も大人じゃなかった。

「どうせなら付き合っちゃう?」
「え」
「大学で『彼女いるの?』『合コン行こう』の猛攻が始まるよ、きみは」
「まあ俺、顔が良いし」

 自信満々に言われると腹立つが、事実なので黙っておく。

「だからさ――僕のこと、虫よけにどう?」

 冗談半分のつもりだった。ビジネスパートナー、ビジネスライク。そんな言葉があるのだから、こんな関係があったっていいだろう。彼女いる? には『良い相手が』、合コン行こうぜには『付き合ってるやつがいるから』と誤魔化せばいい。東京と地方だ、少なくとも友人の知り合いにはバレない。
 友人は目を白黒させている。再度「どう?」と上目遣いで見つめれば、彼は口元を手で覆って笑った。

「はー……相変わらず面白いなぁ、おまえ! さすが脚本担当!」

 それはもう喜劇でも見た直後のように愉快そうだった。僕は肩をすくめる。

「そりゃあどうも」

 友人はおもむろに右手を差し出した。僕はその色白な手を見つめ、

「交渉成立、ってことかな?」

 と首を傾げた。友人は頷く。
 壊れ物を扱うように僕は、彼の手を取った。包み込み、握って、軽く上下に振る。少し高い友人の体温が、僕の手のひらに染み込んでくる。

「メリットしかないぜ、俺にとって」
「そりゃまあデメリットを提示してませんし?」
「おのれぇ、謀ったなー!」

 さすが元演劇部トップスター、迫真の演技だ。
 友人に髪の毛をもみくちゃにされながら、僕は考える。
 残りの半分を知ったら、おまえは六年間の友情と、一時の嫌悪感を天秤にかけるだろうか?
 一体いつからだろう、その長身を目で追っていたのは、耳心地のいい声が好きになったのは、教室ではしゃぐ姿を録画しだしたのは。
 おまえが僕に歩幅を合わせてくれているのを気づいたときの衝撃は忘れられない。
 おまえの姿を最前線で見たかったから、たいした興味もない演劇部に所属した。
 ――いつの間にか、僕の世界はおまえを中心に回っていた。
 桜を見れば桜だと分かるように、花が開けば種名が明らかになる。感情だって同じだ。白日の下に晒されるのが怖いから隠しておいたのに、今更あんなわがままを言うから魔が差した。

(馬鹿なやつ)

 デメリットは、腹の底に未解明の感情を抱えた僕と一緒にいることだ。
 春の陽が、僕と友人に降り注ぐ。暑いからと言い訳をして、僕は友人の手から離れて日陰に入った。これ以上日差しを浴びると、あの桜のように咲いてしまいそうだ。
 友人が小走りで追いかけてくる。足音で振り返った先、僕の視界に桜の木が映る。枝先についた重たいつぼみで、枝がしなっている。もうすぐ開花を迎え、やがて満開になるだろう桜。
 ――花が開いて綺麗だと称えられるおまえが憎い。

(根元から折れてしまえ)

 なんて戯言を願いながら、僕は追いかけてくる友人を見つめていた。

【了】

『1畳の春』矢張 宗輔:その⑥

 鉄格子のついたすり硝子の窓、その隙間から、ひとひらの桜の花びらが舞い降りてきた。どうやら外には春が訪れたらしい。自宅のトイレに閉じ込められた俺は、この桜のおかげでようやく季節の移ろいを実感することができた。

 あれはまだ肌寒い風が吹く頃、まだ納期には余裕がある案件を1つ片付け、たまには庭の手入れでもするかと外に出ていた時だった。新築、庭付きの一戸建て、これが俺の、フリーランスプログラマーとしての成果だった。なんとなく雑草に見える草を引っこ抜きながら、俺は自分が誇らしくなって大きく息を吸い、満足感と共に鼻息を排出した。家を建てると近所付き合いが面倒だというから、引越しのあいさつも町内会の勧誘も全て絶ってきた。おかげで近隣住民からは若干の不審な目を向けられているが、それがどうした。俺が俺の家に住んで何が悪い、という信条によって、俺は今まで堂々と生きてきた。
 仕事をするのにはコーヒーが欠かせない。そして思い返せば、そのまましばらく外に出たのが間違いだった。冷気が膀胱を収縮させたのか、急激な尿意が俺を襲った。人間性やプライドが全て流出してしまうという危機感が頭の中で警報を鳴らす。すぐさま勝手口を開け、靴を脱ぎ捨て、ドタドタとみっともなくトイレを目指している最中でも、スマホをポケットからダイニングテーブルに出しておくことだけは忘れなかった。トイレの中には無数の細菌、糞便の飛沫、その他多種多様な悪しきものが漂っている。そんな魔境に、仕事道具であるスマホは死んでも入れるわけにはいかないのだ。いよいよその時が差し迫ったのを悟ったと同時に、俺は見事にトイレのドアノブを掴み、ドアを力の限り閉め、ベルトを外し、排尿を邪魔する全てのものをずり降ろして便器に腰を下ろし、押し留めていたものを開放した。生命をかけた緊張が一気に緩和し、サウナでいう整いと同じような恍惚感に包まれた。俺は間に合ったのだ。その事実だけで世界が輝いて見えた。後始末をして、さぁこの狭い空間を出ようとしたとき、俺はようやく異変に気付いた。ドアノブの手応えが異常に軽いのだ。機械については全くの門外漢だが、いろんな部品が組み合わさった工業製品がこんなにも虚しい手応えを返すわけがない。まさかな、と思い、もう一度ドアノブを回す。ドアノブは空転した。冗談かと思い、俺はしばらく現実が飲み込めず、乾いた笑いを浮かべながらドアノブを回し続けるしかなかった。傍目から俺を見る人がもしも存在したなら、それはあたかも遊具を回転させ続けるハムスターのように見えたことだろう。次第に、この部品への対処へのしようがないこと、外部への連絡手段がないこと、自分が閉じ込められていることに気付きはじめ、顔から血の気が引いていくのを感じた。人には聞かせられない悪態をつきながら、何度かドアに体当たりする。だが、俺の身体が虚弱であることは俺が一番理解しているのだ。こんなことで、このドアが開くはずはなかったのである。必死の大声も風の音に掻き消されてしまう。こうして、俺はトイレに閉じ込められ、監獄のような格子窓からやってきた桜の花びらに癒される羽目になったのだ。

 閉じ込められてから何日経ったか知らないが、気がつけば寒い隙間風は止み、陽光は優しくなり、ホトトギスがうららかに鳴いていた。血文字で「たすけて」というメッセージと住所を書いたトイレットペーパーを、偶然格子に止まったよく分からない野鳥の足に括りつけもした。俺がトイレからできることは全てやりつくした。もう一枚、桜の花びらが落ちる。これが、俺が最後に感じる春なのか。こんな場所で誰にも知られず死んでいくのか。なんて儚い、春の夢のような人生だったのだろう。視界が大きく歪み、涙があふれてきた。深い絶望が俺の心を覆いつくす。必死の抗いも今や虚しく感じてきた。便座に深く腰を落とし、小さな窓から外を眺め、今生最後の春の空をぼんやりと目に焼き付けた。
 その時だった。どこかからガラスを割る大きな音が聞こえた。サイレンが聞こえなかったので救急隊の類ではない。この家はオートロック、さらには誰にも合鍵を渡していないので、この音を立てた主は強盗か、はたまたその他の種類の暴漢かに絞られる。だが、それが何であれ、俺にとっては救世主であることに違いなかった。
「ここだ、俺はここにいるぞッ、開けてくれぇッ」
何度もドアを叩く。注意深く移動していた足音が、こちらに向かって近づいてきた。やった、俺はこれでこのトイレから脱出することができる!有り金を全て盗られようが、たとえ殺されようが構うものか!この桜が俺の最期の春だなんて、それだけは嫌だッ!
 どん、とドアを硬い物体で殴りつける音がした。俺は壁に背をつけ、何度も殴られ、変形し、破片を飛び散らせながら朽ちていくドアを、期待を込めて眺めた。
 穴が開く。ぎらついた眼が俺を見た。


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