短編小説『あったかいご飯は続いてく』作 あやとり
今日は娘の陽菜の離乳食デビューだ。
最近、私と旦那のご飯に興味を示していたし、首も座っているし、よだれも出てきているから、いい頃合いだろう。
「陽菜~。今日はお母さんと一緒にお粥食べてみよっか!」
「あう!」
私の声掛けに、陽菜は元気よく返事をした。
今回用意した離乳食は、米と水を一対十の割合で作ってすりつぶした十倍がゆだ。
陽菜にとっては初めての離乳食だから、一口試すくらいの気持ちでいこう。
「冷ましてあるからね~。はい、あ~ん」
「あ~」
陽菜は口を大きく開けて、お粥をぱくり、と頬張った。
そして、ごっくん、とお粥を飲み込む。
「……きゃ~!」
「あ、これ気に入ったのね」
陽菜の満面の笑みを見て、こっちまで顔がにやけてくる。
「あう! きゃう!」
「まだ欲しいの? でも今日は初めてのご飯だから、ここまでね」
「う~!」
「この後はミルクでお腹いっぱいになろう? これから少しずつご飯に慣れていこうね」
「ぶう!」
子ども用の机をバタバタ叩いて「もっと食べる~!」と主張する陽菜を見て、私は思わず笑ってしまった。
この子、きっと食べることが大好きな子に育つんだろうなあ。
陽菜は順調に離乳食をぱくぱくと食べていき、気付けば幼稚園に入園するまで成長していた。
……そして、この頃になると、ある問題が発生した。
「やだ~! にんじんさんきらい!」
そう、食べ物の好き嫌いが出始めたのだ。
「陽菜~……にんじんさん泣いてるよ~……」
「でもおやさいだもん……」
陽菜はぬいぐるみを抱えて頬をふくらませる。
う~ん……若干の食わず嫌いに見えるんだよなあ……。
でも、ただ「食べなさい」って言っても余計に食べなくなるよなあ……。
私は悩んだ末、ある作戦を決行するのだった。
まず、陽菜と一緒にスーパーに買い物に行く。
「おかあさん、おやつほしい!」
「ひとつだけならいいよ」
「やった~!」
「あ、あとね、今日は陽菜にお願いしたいミッションがあるの」
「みっしょん! なあに?」
しめしめ、食いついてきた。
私は野菜売り場に陽菜を連れて行き、陽菜にあるミッションを任せる。
「今日の晩ごはんはね、美味しい野菜さんを食べようと思うの。だから、陽菜に野菜さんを選んでほしいの」
「……え~、おやさいさん?」
陽菜の顔に「嫌だ~」の文字が浮かぶ。
私は引かずに、陽菜と交渉を続けた。
「陽菜が選んだ野菜さんはね、きっと美味しいと思うんだ。お母さんも美味しい料理にしてみせるから、ミッションのお手伝い、お願いします!」
「むう……」
陽菜は不満そうな表情をしつつも、野菜売り場のあらゆる野菜を見る。
キャベツ、きゅうり、トマト、じゃがいも……にんじん。
「……いっぱいある」
「いっぱいあるねえ。今日は、キャベツさんとにんじんさんを選んでくれたら大丈夫だよ」
「うん……」
「野菜さん選んだら、おやつ見に行こうね」
「わかった……」
陽菜はそう言いながら、まずはキャベツを見つめる。じーっとキャベツたちを見つめて、陽菜はぽつりと言った。
「なんか、おおきさ、ちがう」
「でしょ? 面白いよね」
「……おっきいのにする」
「ありがとう。じゃあ次、にんじんさんのところに行こうか」
「……うん」
陽菜と手を繋いで、にんじん売り場へ行く。
陽菜は嫌いなにんじんを見て「むむ……」と口がへの字になったが、にんじんを手に取ると、その表情がほんの少し優しくなった。
「……にんじんさん、はじめてさわった」
「そうだねえ」
「ごつごつ? すべすべ? ふしぎなかんじ」
「にんじんさんも、料理の仕方で甘くなるんだよ」
「……ほんとうかなあ」
陽菜は首を傾げながらも、手の中のにんじんをカートに入れてくれた。
「よし! ミッション終わり! がんばったね、陽菜! おやつ見に行こう!」
「やった! いく~!」
そしてその日の夕飯の支度。
私は台所に陽菜を呼び、野菜が調理されていく過程を見せた。にんじんは包丁を使うので触らせることができなかったが、キャベツは陽菜に手で破いてもらった。
陽菜にとっての、生まれて初めての料理だ。
料理に参加できると知った陽菜は、夢中でキャベツをびりびりと破く。その表情からは、野菜への苦手意識などまったく感じられなかった。
出来上がった料理は、たくさんの蒸し野菜。
私と陽菜と旦那は食卓について、「いただきます」と手を合わせた。
「ねえ、お父さん。今日は陽菜が野菜を選んで、キャベツも調理してくれたのよ」
「本当か! 陽菜はすごいなあ!」
「えへへ……!」
陽菜は照れくさそうに笑って、自分で破いたキャベツを躊躇なく口に入れる。自分で選んで、自分で調理した野菜。美味しくないわけがない。
「きゃべつさん、やわらかい~」
「そうでしょ? 蒸し野菜さんだからね、野菜さんが柔らかくなって甘くなるんだよ。にんじんさんも同じ」
「……むむ」
「……一口だけ、食べてみる?」
「……ちょっとだけだもん」
陽菜はそう言うと、自分で選んだにんじんを箸で掴み、恐る恐る口に運ぶ。
そして……もぐもぐ。
「……ん? ちょっと……あまいかも?」
「そうでしょ? それに、陽菜がにんじんさんを選んでくれたから、美味しいんだよ」
「……そっかあ」
陽菜はこの晩、ほんの少しだが、にんじんを食べることができた。今までだったら考えられないことだ。
これをきっかけに、陽菜のにんじん嫌いは少しずつ克服されていくことになる。
やがて陽菜は幼稚園を卒園し、小学校に入学した。
小学校で欠かせないものと言えば……行事に持っていくお弁当だ。
「陽菜、今度の遠足に持っていくお弁当、おかずは何がいい?」
「卵焼き! あと、たこさんウインナー食べたい!」
「卵は……暑いからなあ、お腹壊さないかなあ」
「え~、だめ~?」
「代わりに、好きなふりかけ入れてあげるよ」
「やった! じゃあ鮭味!」
遠足が近づいてくると、私は陽菜にお弁当の中身のリクエストを聞く。
そして遠足当日の朝、私は早起きして美味しいお弁当を作るのだ。
「ふわあ……ねむ……」
眠気を苦いブラックコーヒーで醒ましながら、ウインナーをたこさん状に切っていき、フライパンでじゅうじゅうと焼く。肉の焼ける良い香りが漂った。卵焼きは……やっぱり暑さが心配だったので、陽菜には悪いが今回は見送らせてもらった。お弁当は彩りも大事だ。ミニトマトやブロッコリーも入れて、野菜も摂れるようにする。他にも、アスパラガスをベーコンで巻いて焼いたおかずも入れておいた。あとはご飯。陽菜のリクエストの鮭味のふりかけをかけておく。
「……こんなもんかな」
私は出来上がったお弁当を見て、「ふう」と一息つく。
あとは陽菜の朝ごはんを作ってあげて、楽しい遠足へ送り出してあげるだけだ。
遠足、楽しんできてね、陽菜。
「お母さん、ただいま~!」
「おかえり、陽菜。遠足どうだった?」
夕方、陽菜が元気な声とともに帰ってくる。遠足で疲れているはずなのに、子どもの体力とは無尽蔵だ。
「すごかった! 大きな公園行って、みんなで遊んだ!」
「そっか! 熱中症とか大丈夫だった? お茶飲んだ?」
「飲んだ! 水筒空っぽ!」
「足りなかったか……」
「あとね、あとね!」
「うん」
「お弁当がね! 美味しかった!」
「……そっか」
「たこさんウインナーとか、ベーコンのやつ美味しかった!」
「ほとんどお肉……」
「ふりかけも美味しかった!」
「ふりかけは主食じゃないかな……」
「お母さん!」
「なあに?」
「お弁当、作ってくれてありがとう!」
陽菜は笑ってお弁当箱を手渡してきた。
その小さな子ども用のお弁当箱を受け取ると、中身が空っぽなのがすぐに分かった。
「……美味しかったみたいで、良かった」
私はこれから大きくなっていくだろう小さなお弁当箱を撫でながら、胸がいっぱいになるのだった。
陽菜は小学校を卒業し、中学生になった。
子どもというのは、中学生になるといろんなことに興味を持つようで。
「あの、お母さん」
「ん? どうしたの、陽菜」
「今度からさ……料理、一緒にやってみたい」
「え、急にどうしたの?」
「やっぱり、何か特技があったらいいかなって……。料理だと、将来何かと役立つでしょ? お母さん、料理上手だし……」
「……そうねえ」
思えば、陽菜に包丁はあまり触らせてこなかったなあ。
……今後のことを考えたら、確かにいい経験になるかも。
「……よし! じゃあ、早速明日から少しずつ一緒に晩ご飯作ってみようか!」
「やった! ありがとう、お母さん!」
「まずは包丁を怪我なく使えるようになるところからね。ゆっくりやっていきましょう」
「は~い」
次の日から、私と陽菜の料理の時間が始まった。
「陽菜、包丁はね、上から押すんじゃなくて引くように使うと切れやすいよ」
「こ、こう……?」
「そうそう! あ、あと食材を押さえる手も気を付けてね。さっき言った猫の手だよ」
「わ、分かった!」
最初は包丁の扱い方から。
食材によって異なる皮の剥き方や切り方も、少しずつ教えていった。
「お母さん、火加減はこんな感じでいいの?」
「そうね。味噌汁は沸騰させないように気を付けてね」
「は~い」
「あ、火を使っているときは火元から目を離さないようにね。火事になったら危ないから」
「分かった~」
陽菜はどんどん料理を実践で吸収していった。ちょっとした料理なら任せられるくらいだ。
旦那も「陽菜もお母さんの味を受け継いでいくんだなあ」としみじみしていた。
……隣で料理を教えてる私が、一番しみじみしてるわよ。
私は陽菜の様子に注意しつつ、陽菜の料理の腕が上達していくのが嬉しいような、どこか寂しいような心地を覚えるのだった。
そして陽菜が高校生になると、少しずつ大学受験の勉強で忙しくなり始めた。
私は陽菜に「いったん料理の練習はストップして、勉強に集中しよう」と言い、彼女を学業に打ち込めるようにした。
陽菜は受験勉強にもよく取り組んでいた。夜遅くまでシャーペンを握り、大学受験のプレッシャーに耐える。
私はそんな陽菜を、美味しいご飯やおにぎりとみそ汁といった夜食を作って支えることしかできない。
でも、陽菜が美味しそうにご飯を食べてエネルギーを蓄える様子を見ると、「ああ、この子は大丈夫だ」と思えるのだ。
やがてやってきた、大学受験の合格発表日。
陽菜の努力は報われ、彼女は見事に第一志望の大学に合格することができた。
「陽菜~! 合格おめでとう!」
「陽菜、よく頑張ったな!」
「やった~! ありがとう、お母さん、お父さん!」
結果発表を見て、家族で歓声をあげる。
これはお祝いをしないと!
「陽菜、頑張ったんだからお祝いよ!」
「そ、そうだ! 陽菜にご褒美だ!」
「まずはご飯ね! 何が食べたい? 好きなもの、食べに行きましょう!」
「焼肉でも寿司でも、豪華なもの言っていいぞ!」
陽菜にぐいぐいと質問した私と旦那に、陽菜はきょとんとした後、恥ずかしそうな顔を見せた。
「あ~……。えっとね……じゃあ、リクエスト、いい?」
「いいぞ! 何でも言え!」
「そうよ! 陽菜、何食べに行く⁉」
陽菜は「へらっ」と笑って、私たちの質問にこう答えるのだ。
「……お母さんのあったかい味噌汁、飲みたいな」
陽菜が大学に進学して一人暮らしを始めてしばらくしてから。
私のスマホに、陽菜から電話が来る。
陽菜から電話?
珍しいわね……何かあったのかしら……。
「もしもし、陽菜? 電話なんて珍しいわね、どうしたの?」
『あ、もしもし、お母さん? ちょっと頼み事があって』
「あら、何かあった?」
『あ~……えっとね、ちょっと聞きたいんだけど』
「うん」
『……お母さんがお父さんの胃袋を掴んだご飯って、何だった?』
「……あら」
あら。あらあらあら?
これは、ひょっとして?
私が年甲斐もなく「きゃー」となっていると、陽菜は続ける。
『……あのさ、彼氏、できたんよね。で、今度、ご飯ごちそうすることになったんだけど……何作ればいいのか分からなくて』
「……あらま~」
『……お母さん、からかってない?』
「まさか。わくわくしてるわ」
『それをからかってるって言うんだよ』
「親心よ。それにしても、何を作るか、ねえ……」
私は「う~ん」と考えてみる。
私は陽菜と彼氏さんの関係をよく知らないし、彼氏さんの好みも、苦手な食べ物も、アレルギーも知らない。
そして、私が旦那の胃袋を掴んだ食事も、いまだによく分からない。
「お母さんがお父さんの胃袋を掴んだご飯は……よく分からないのよねえ」
『え、そうなの』
「そうなのよ。で、お母さん、陽菜の彼氏さんのこと、知らないでしょ?」
『……うん』
「陽菜から直接、彼氏さんに『好きな食べ物はなに?』とか『食べられないものはなに?』とか『アレルギーある?』って聞いてあげた方がいいと思うわ。二人で会話して、ちゃんと価値観が合うかどうかも考えていかないと」
『……そっか』
「それに、本当に陽菜のことを大事にしてくれる彼氏さんなら、何を食べても、一緒に素敵な食卓が囲めると思うわ」
『……そうかも。……うん、しっかり話してみる』
「気負い過ぎないでね」
『ありがとう、お母さん。また何かあったら連絡するね』
「うん。待ってるね」
それにしても、あの子ももうそんな年なのねえ。
私はお茶を飲みながら、恋する乙女だった陽菜の声色を思い出す。
あっという間に大人になるのね、陽菜。
そして陽菜は付き合っていた彼氏さんとその後も上手く関係が続き、結婚することになった。結婚式では、私も旦那も大号泣である。おまけに幸せはこれだけでは止まらず、一年後には陽菜が妊娠したとの連絡が来た。
もういい年なのに、私と旦那は家で小躍りした。
ベビー用品は、孫のおもちゃは、陽菜のフォローは、そんなことを言っているうちに陽菜は母親となった。
私と旦那は可愛い男の子の孫を持つおばあちゃんとおじいちゃんだ。
互いの家はそんなに離れていなかったため、私は今でもたまに陽菜の家にお邪魔させてもらっている。
「まあ~! 日向くん~! おばあちゃんがきましたよ~!」
「だあっ!」
「お母さん、来てくれてありがとう。おかげで少し家事が進むよ~」
孫の名前は日向。
陽菜を連想させるいい名前だ。
陽菜は日向を子ども用の椅子に座らせて様子見を私に任せ、キッチンで何やら準備している。
「ほら、日向も首が座ってきたでしょ? それに、私と旦那がご飯食べるの見て『僕も~!』って言ってるんだよね。よだれも出てるし。だから、離乳食始めようと思って」
そう言いながら陽菜がキッチンから持ってきたのは……お粥。
私が陽菜に初めて食べさせた離乳食と同じ、十倍がゆ。
思わず、息を呑んだ。
「じゃあ日向、今日はお母さんと一緒にお粥食べてみよっか!」
「だあ~!」
孫の日向は、陽菜が持っているスプーンに興味津々だ。
「ちゃんと冷ましてあるからね~。はい、あ~ん」
「あ~」
日向は、かつての陽菜がそうだったように、口を大きく開けてお粥をぱくっと頬張る。
そして、ごくり、とお粥を飲み込んだ。
「……きゃっきゃっ!」
「あ、美味しかったみたい!」
陽菜は口元にお粥をつけた息子を見て、慈愛の表情を向けた。
ああ……私のときと似ている。
私の目元がじわじわと熱くなってくるのを感じた。
「今日はここまでかな。あとはミルク飲もうね~」
「だあ~っ!」
「ごめんよ~。これから少しずつご飯に慣れていこうね~」
「……陽菜」
「ん? どうしたの? お母さん」
涙混じりの私の声を聞いて、陽菜が不思議そうに問いかけてくる。
私は……私は目元を拭いながらも、娘と孫を見つめて言うのだ。
「あなた……お母さんになったのねえ」
いいなと思ったら応援しよう!
少しでも応援の気持ちをいただければ幸いです。
もちろん、読んでいただけるだけで嬉しいですし、シェアなんて感涙ものです。