涙もろくなれる作家は強い
年齢を重ねるにつれて、作品や映画、あるいは自分の書いた文章に対して、以前よりも涙もろくなったと感じることはないだろうか。
「感情に流されやすくなった」「冷静さが失われた気がする」
創作をしていると、そんな不安を抱く人も少なくない。
作家にとって泣けるという感覚は、果たして弱点なのだろうか。
それとも、創作における武器なのだろうか。
もし、自分の作品を読んで自分が先に泣いてしまう作家がいるとしたら、その人は「未熟」なのか、「危うい」のか。
それとも、実はかなり強い立場にいるのか。
この記事では、「涙もろくなれる作家は強い」という少し逆説的なテーマを、感情論ではなく、創作技術・読者心理・商業的観点から分解して考えていく。
結論から言うと、涙もろくなれる作家は有利である
問いに対する率直な答えから述べよう。
涙もろくなれる作家は、創作において明確に有利である。
理由は単純で、感情が動くポイントを自分の身体で把握できているからだ。
物語は情報の連なりではなく、感情体験の連鎖である。
読者がページをめくるのは、設定が整っているからでも、構成が正しいからでもない。
「気持ちが動く」からだ。
涙が出るという現象は、感情が一定の閾値を超えた証拠である。
つまり、どこで、どのような条件が揃うと人は心を揺さぶられるのかを、理屈ではなく体感として理解している状態だ。
創作において最大の難関は、「ここは感動ポイントです」と説明しないことだ。
涙もろくなれる作家は、そのラインを越えた瞬間を説明抜きで感知できる。
これは才能というより、極めて実務的なアドバンテージである。
同じ場面でも泣ける作家は違う反応をする
例えば、こんな場面を想像してほしい。
長く対立していた親子が、物語の終盤で和解する。
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