10代の頃に読んだ本を買いなおす
10代の頃に読んだ本が本棚の奥の方にあったのでパラパラとめくっていたら、なんかかゆい!ハウスダストアレルギー的な?!
ヘッセの「デミアン」を、カフカの「変身」を、三島由紀夫の「音楽」を、めくっていたらほんとかゆい!
パラパラ読んでいられない。
でも捨てるのは惜しい。若い頃に読んでいた本をもう一回読んでみたいブームが私の中で巻き起こっているのです。
そんなわけで買いなおしました。
まずは「デミアン」を。

開いてすぐハッとしました。
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したに過ぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」
1980年代後半、高校生だった私はこれをノートにきれいに書き写していたことを急に思い出しました。当時、気に入った文章があるとノートにきれいに書き写していたのです。
そのノートは捨ててしまって残念ですが、文章の内容が気に入った場合もあれば言い回しが素敵、ということもありました。
三島由紀夫は完全に後者が多かったです。
そしてヘッセのこの序文に関しては「困難かな?」と思った次第で、言い回しが気に入った、という高校生らしい反応でこの文を書き写したのでした。
第一次世界大戦の時代の人とバンドやろうぜの時代の人の違いですね。
しかし戦争で命を奪われることと、組織や学校で個性を奪われることは一人の人間の物語の軽視であることに変わりはない、と当時の私は尾崎豊並みに真剣に考えていたのでした。
悪童に魅かれる気持ちと安全圏内にいたいという気持ちの葛藤もとてもよくわかります。
何せ1980年代はヤンキー文化全盛期でしたので、町中みんなチンピラで、そんなチンピラの中にもなぜか魅力的な人と言うのは結構いたのでした。

ロケ地も栃木だし生々しくて、私らの記録映画か、と感心しました
人見知りをしない私はヤンキーたちが家に遊びにくることも多く、そしてなぜか身の上話をしてくるヤンキーたちなのでした。
家族の話が多かったのが印象的です。
主人公のシンクレールと違い、安寧な場所は家庭にはなく、友達、それも悪事で繋がる友達しかいない彼らの話はなかなか深刻である場合が多かったです。家族や運命は選べないし気が付けば巻き込まれているのはどの時代も同じですね。
そして、ヤンキー社会というのはサラリーマン社会よりも厳しい上下関係、いつでもマッポにパクられる危険も孕んでいるので、私は安全圏というのがいかに安心で清らかかを彼らといると思い知るのでした。
私は私で壮絶な闘病の後でしたし、そんななかで形成された何かが私のなかにあり、それが彼らの心の暗い部分に触れたのでしょう…って、そんな大袈裟なものではなく単に、下らないから学校行かない、と堂々と学校に行かない私の部屋の居心地が良かっただけだと思われます。部屋が庭から入れる便利な位置にあるとたまり場になりやすいんです。私は学校は嫌いでしたが勉強は好きだったので彼らの遊びに付き合うことはありませんでした。当時から読みたい本もたくさんありましたので。
「デミアン」のほかにカフカの「変身」が出てきましたが、これは買いなおすか微妙です。もう一度読みたい本には入ってないかも。
プラハに行ったらカフカに関するものがあちこちにあってカフカがチェコ人であったことを初めて知りましたが、チェコでドイツ語を習得してドイツ語で執筆してたのですね。私は日本語で読むからそんなこと気にしてませんでたが、母国語以外で執筆なんて本当に大変そうです。
インド系移民の米国人であるジュンパ・ラヒリがイタリア語で執筆に挑戦した「わたしのいるところ」という小説がありますが、私はシンプルに情景だけを書いたようなこの小説が大好きで、英語ではなくイタリア語だったからこうなったのかな、と思ったりもしました。全体的にずっと小雨が降っているような落ち着いた印象の小説でした。
「デミアン」の次に何を読み返すかまだ決まってませんが、意外と外国のものが多そう。ジッドやツルゲーネフとかに行きそうな予感です。
