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ちいかわみたいな君と

息子は「ちいかわ」が大好きだ。
一緒にちいかわのアニメを観ていたとき、ふと気づいた。

「息子、ちいかわと似ている」

ちいかわはほとんど言葉を話さない。
一緒にいるハチワレがいつも代弁してくれる。表情は豊かなので、言わんとしていることはよく伝わってくるが。

「息子がちいかわで、私がハチワレやん」

息子と会話することはまだ難しい。
傍から見ると、私が一人でしゃべっているように見えるかもしれない。
だが、彼なりの反応や言葉らしきもの(いわゆる宇宙語)は返ってくるので、コミュニケーションはわりととれている。
最近、こちらが言った言葉を真似るようになり、少しずつだが言葉を習得しつつあるように感じる。

3歳の息子は言葉に遅れがある。
2歳1か月のときに受けた発達検査では、「言語・社会」領域は10か月相当という結果だった。
「あーやっぱり1歳いかないか」
私の体感とも合っていたので、まあそんなものなんだろう。

2歳半ごろから宇宙語をよく話すようになったが、明確な言葉はなかなか出なかった。単語すら出ないので、二語文、三語文なんて夢のまた夢だ。

これだけ言葉が遅いと真っ先に発達障害を疑われるだろうが、息子には特性らしきものは見当たらず、医師や幼稚園の先生からも指摘されたことはない。今のところ集団生活においてもトラブルはなく、運動の発達はやや遅いものの、言葉を話せない点以外に気になるところはない。

いろいろ調べていく中で「レイトトーカー」という言葉に出会った。
レイトトーカーとは、聞こえ、知的な発達、コミュニケーション、ことばの理解などに問題がないにもかかわらず、ことばに遅れがある子どもを指す。

現状、息子はこれに近い気がしているが、素人なのでよくわからない。レイトトーカーについての書籍を読んでみたが、親にとってはなかなか気が滅入る内容も含まれており、最後まで読み通すことができなかった。
(読みたいとは思っている…)

言葉を話す子どもを見ると胸がチクリと痛む。
会話をしている親子を見るとうらやましくなる。
息子よりずっと後に生まれた芸能人のお子さんがもうしゃべると知って少し落ち込む。
「話せない」ということにとてもコンプレックスを抱くようになってしまった。

今もその気持ちに変わりはない。
いちいちうらやんだり、へこんだりする毎日である。
だが、心の持ちようが変わる転機が訪れた。

息子は4月から児童発達支援の教室へ通い始めた。
そこで、息子と似たような子どもと出会ったのだ。

同じ年齢で似たような状態の子の存在を目の当たりにし、息子だけではないのだと知った。
息子のようなケースは決して珍しくないのだろうが、身近に似たような子を見たことがなかったので、「本当にいるんだ」と安堵した。

その子のお母さんと少し話し、「私と同じように悩みながら頑張っているお母さんがいるんだ」と励まされた。自分たちだけではない、と思えることがこんなにも力になるとは。
自分の中で何かが吹っ切れて、明らかに心が楽になった。

教室での先生の息子への関わり方にも学ぶところが多く、家でも取り入れてみたら、息子と遊ぶ時間が楽しくなった。
やはりプロはすごい。頼るべきである。

息子は明確な言葉こそ出ないが、表情豊かで、時には身振りを交えて何かを伝えようとしており、伝えたいのであろうことはなんとなくわかる。
他方、こちらの言っていることは概ね理解しているようで、それなりに指示は通る。以前と比べれば、格段にコミュニケーションがとりやすくなった。彼なりに確かに成長している。
それに比例してかわいさも増した。
コミュニケーションがとれるとこんなに楽しいんだなあ。

周りと比べれば遅いかもしれない。
それでも、ちいかわみたいな君と一歩一歩進んでいければいい。
君のペースで、君の歩幅で。

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