言葉の違和感を覚えたら、人生を変えていくチャンス
「言葉は身の丈」ということわざがあります。
その人から出てくる言葉(話すこと、書くこと)には、性格やこころ模様、もっと言えば品性があらわれるといった意味になります。
言葉と思考(頭の中)がつながっていることを考えれば、頭の中のことが言葉として出るのと同様に、出てくる言葉を変えれば、逆に思考(頭の中、考え方)、ひいては、性格すら変えることができるともいえます。
マザー・テレサの有名な言葉に、
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
があります。思考が言葉をつくり、その言葉(思考)をもとにした行動につながります。
反対に、行動(何を言うか)を変えると、思考も変えられます。
そう、使う言葉によって、その人の品性が磨かれますし、反対に、卑しくなることも出てきます。
そうやって、自分が発する言葉、日々出会う言葉を点検してみると、違和感を覚える言葉も結構あります。違和感があるということは、何か変える余地があるということですし、変えることで変化が促され、快適な生活にもつながっていきます。
最近、私が生活の中で違和感を覚え、変えよう(使わないでおこう、使い方を変えよう)と感じた言葉を紹介します。よかったらお付き合いください。
1 「絶対(に、~だ)」
教養がなく、視野が狭くなると
「絶対的な正解がある」
というスタンスでコミュニケーションを図るので、自分と異なる考えや意見を尊重するより、叩く方に行ってしまいがちです。
そして、口癖が「絶対にそうだ」「間違いない」になりますし、
「持ち家が一番良くて、マンションはダメだ」とか
「読書するならビジネス書だ。漫画には価値がない」
などと、すぐに優劣をつけて、決めつけがちです。ある意味、白と黒の間にあるグレーゾーンに対する知識や経験が薄いので、「何もわかっていない」ことによる断定を好みやすくなります。
教養が身に付いてくると、
「ケースバイケース」
「一概には言えない」
「見方を変えれば、いいところがある」
「光の当て方によっては、強みになる」
・・・
と、同じ人、出来事、映画、芸術などに触れてもさまざまな側面が見えてくる(見えている)ので、その背景になるもの、事情にも思いを寄せられます。よって、
誠実な人
世の中の事を広く知ろうとしている人
慎重な人
ほど、「絶対」と言わなくなってきます。
人の話の聞きかじりを吹聴したり、受け売りをする人間に限って絶対という言葉を使いたがります。「絶対=ほかに対立するものがないこと」なので、不完全な私(人間)が、全ての選択肢を考慮して、これこそえ「絶対」と言えるはずもありません。
だから、絶対と言いそうになったら、まだまだ、自分が知らない(理解しいない)だけで、他の可能性もあるのでは・・・と考えるようにしています。
2 「~で」いいよ、を「~が」いいに。
「今日の晩御飯、カレーとハヤシライスだったら、どっちがいい?」
と聞いて、カレー「で、いいよ」と答えられたら、どう感じるでしょう?
食べ物ぐらいなら、スルーできるかもしれませんが、パートナーや家族に関わる事、仕事で大切な案件で使われると、違和感、いや、がっかりした感じが付きまといます。
というのも、「~で、いい」とは、どちらでもいい、自分には関係ない、好きにして、「不本意であるけど、あなたを立てて」というような思いが何となく伝わる言葉だからです。
同じことでも、カレー「が、いい」と言われると、その人の思いを強く感じられます。
同様に自分自身の選択でも、「~がいい」は、自分の強い思いが入ります。
自分の選択に、自分が責任をもつという意味からも、「~でいい」より「~がいい」という言葉を意識して使いたいと思います。
3 「無理でしょ」を「できたら、天才!」に
いろいろあって、「あ~疲れた」というのと「あ~よくやった(よくがんばった」というのでは、後者の方が前向きになれますし、プラスの意味を感じやすくなります。状況や経験した出来事が同じでもです。
同じく、やれるかどうかわからない、可能性が低いという時、言い訳がましく「無理だよね」と予防線を張るのではなく、「できたら、天才!」「できたら、英雄」などなど、ポジティブな気持ちになる言葉を使うようにしています。
先ほどのマザー・テレサの話ではありませんが、使う言葉をポジティブに変えることで、思考回路も前向きに変えていくことができます。そうしたら、普段以上の力が出せるかもしれません。それが無理と思える事でも成功に導いてくれます。
4 「してあげる・与える」を使わない。
買っておいてあげる
作ってあげるね
などなど、「~してあげる」は、何となく恩着せがましい思いが伝わります。
また、「影響を与える」という言い方は「影響を及ぼす」でも十分、意味が伝わります。与えるというのも、何か「上から下へ」という対等な関係ではない感じが伝わってしまいます。
なので、意識して、「してあげる」「与える」という言葉を使わないようにしています、特に人間関係、生活の中で。
5 もう~ を まだ~
特に年齢に関して「もう80歳」を「まだ80歳」と変えたら、随分と見え方感じ方が変わります。
同じ年齢でも、まだまだやれることはある、その年齢ならではの幸せ、行動があると思えるだけで、かなり前向きになれます。
「もう、●歳」と言ってしまうと、年齢を重ねてマイナス面ばかりが見えてきて、それこそ、動けなくなったり、挑戦しなくなったりで、結局さらに老け込んでしましいます。
アメリカの心理学研究チームの追跡調査に、
「私はまだ40歳」と考える1000人のグループと「私はもう40歳」と考える1000人のグループのその後について
調べたものがあります。
この時点で何となく結果が分かる気がしませんか(笑)。
そう、「私はまだ40歳」と考えた人たちのほうが長生きしたそうです。
しかし!
予想をはるかに超えて、驚くべきは、その長生きの期間(単位)!
何カ月単位での長生きではなく。
10年という単位で平均寿命が長かった!!
もちろん、個人差はありますが、「10年」という平均はかなり大きな差です。
「もう」と思うか、「まだ」と思うかで、10年寿命が違っていくということです。
考えてみれば、「もう●歳」と思う人は、きっと、節目、節目に「もう40歳」「もう50歳か」「ああ、もう60歳になってしまった」「61歳…62歳・・・もう70歳・・・」
書いているだけで気が滅入ってきました(笑)。
きっと、こうやって自己暗示をかけるようにして、自分で自分を追い込む、老け込ませていきます。
逆もまた然り。
「まだ40歳」「まだ50歳」・・・と言っていると、まだまだ何かできるという挑戦心を湧きおこさせてくれますし、人生まだまだ、これからって感じがしてきます。
考えてれば、人生80年として、仮に1日として見れば、
20歳は朝の6時。
30歳は朝の9時。
40歳は正午12時。
まだまだ、人生、これからって感じがします。
日本の教育者、教育学者として活躍した曻地三郎(しょうちさぶろう)さんという方がいます。特に、日本で初めて知的障がい児通園施設しいのみ学園を設立、運営したことで有名です。
教育における功績も多々ありますが、生き方も魅力的な方でした。
107歳で亡くなられるまで、生涯現役を全うされました。
90歳を超えてから4か国語の勉強を開始されたり、その語学力を生かしての世界一周講演旅行も達成されました。
公共交通機関だけを利用した「最高齢世界一周旅行者」として、ギネス記録にも認定されました。
普通だったら、「もう●歳・・・年だし・・・」と何か始めることに躊躇したり、ブレーキをかけてしまいそうなものですが、曻地さんの中には、そんな年齢は頭になかったようです。「まだ100歳」というイメージだったのだと思います。
新紙幣の顔、資本主義の父と言われる渋沢栄一さんのお孫さんである鮫島順子さんが社交ダンスを始めたのは70歳からだそうです。90歳を超えてもいつも元気に2時間立ちっぱなし、しゃべりっぱなしの講演をこなされていたとか・・・。
やはり、「まだ●歳」の意識だったんだと思います。
お二人のことを知ると、何かを始めるのに遅いなんてことはないと思います。冒険する、何かを始めるのには、「まだ●歳」が合言葉、
さて、何を始めましょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
