露のひとつ―あの花を描いたのはあなた
思い返す中で印象に残っている記憶のひとつは、
保育園で先生に泣きついている自分の姿だ。
お昼寝の時間だったことも覚えている。
どうして泣いたのかも。
4人姉妹の末っ子だった私は、
闘病中だった一番上の姉への同情を
自分にも分けてもらおうと躍起になっていた。
やれ足が痛い、耳が痛い、頭が痛いだの、
しまいには目がよく見えないとまで言い出し、
大学病院で診てもらったら「視野狭窄」と
診断された。
思い込みとはすごいものである。
病名のようなものがついた私は面会日に意気揚々と姉の病室に行き、
お姉ちゃんみたいに入院するのかなと
ワクワクして話していた。
次女と三女は引いていた。
そして姉は、
姉は、静かに笑って(或いはしんどかったのかも)、
「すずらん、見たことある?」と聞いてきた。
私はせっかく自慢していたのに何を関係無いことを、
と憤慨しつつ、
そこらじゅうに咲いている別にこれといって特徴のない花がなんだと返した。
実際、住んでいた町の町花になるほど咲き乱れていたすずらんは私にとって見慣れた花だったのだ。
「すずらん、描いてほしいの。絵、上手でしょ?」
と姉が紙を差し出してきた。
当時5歳の優越心をくすぐるには十分すぎるお願いに、
私は機嫌を良くし、ものの数分で描き上げた。
「ふぅん…こんな感じなんだ…」
5歳児が描いた絵などたかが知れている。
見たことがあるからといって正確に描写出来るわけがない。
しかし、私が自慢気に差し出した、
チューリップだかコスモスだかすずらんだか、
はたまた物干し竿に引っかかってる洗濯物だか
見分けもつかない絵を見て、
姉は馬鹿にするでもなく、
それをすずらんとして受けとめた。
その時初めて知った。
姉がすずらんを見たのがこれが初めてだったということを。
当時ピッチ(PHS)すら持つのも珍しい時代に、
見たことのない花を病室で調べる術など無く、
絵を描くのが好きなだけのガキに頼らざるを得なかった姉が、
今思うと不憫でならない。
だが姉も姉だ。
渡したすずらんの絵を、大人に、
本当にこれがすずらんなのかと確認することもせず、
その絵をすずらんとして模写した。
あまつさえ、
自分の書いた詩の挿絵としてたくさん描いた。
書いた詩は姉にとって渾身の作品で、
誰もが褒め称えた。
病棟にも大きく貼り出し、
中には泣きながらコピーを頼む患者もいた。
姉が亡くなったあと、
母達がその詩を姉の代わりのように大事にする姿を見て、
罪悪感で胸が痛んだ。
余白に描かれた花を、元気のないチューリップだの、
泣いてる花だのと言う大人に、
これはすずらんだと言えるほどの勇気はなかった。
子供ながらに悪夢を見た。
姉が、「よくも私に恥をかかせたわね…」と迫ってくる夢を。
汗だくで飛び起き、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがと叫んで飛びついてきた私に、
先生は優しく背中を撫でて、
「うんうん、会いたいよね、寂しいね」と慰めの言葉をくれた。
見当違いの優しさに涙が出た。
後悔の涙が。
どうしてあの時、私はすずらんなんて描いたことがないと言わなかったのか。
描けないなら描けないで、大人に言って写真を撮ってきてもらうことも、なんなら摘んで病室の窓の外から見せることだって出来た。
家に帰って、A2で拡大コピーされて居間に鎮座する詩をぼーっと眺めていると、
母がやってきた。
「お姉ちゃんの詩、忘れないでね。」
そう言って誇らしげに詩を見る母に、
私はついに、真実を告げた。
「あのね、あの花…すずらんなんだよ」
「えっ、知ってるけど?」
母はなにを今更とでもいうような顔で私を見つめた。
「知ってたの?じゃあ、どうしてこんな、チューリップみたいな変な形してるのかも?」
と聞くと、
「いや、それは、ほら、お姉ちゃんがすずらんだよって教えてくれたときは、え?って思ったけど、
頑張って描いた絵なんだし!変ななんて!」
と慌てて姉を弁護し始めた。
姉は、私が描いたものだということは言わずに、
堂々と母にすずらんだと告げていたのだ。
なかなか外に出られない姉をみんなが可哀想だと見つめるなかで、
姉は、私はすずらんだってわかるのよ!と見栄を張ったのだ。
さすが弱っても私の姉である。
その後悪夢を見ることは無くなった。
姉がそれをすずらんとしたならそれで良いではないか。
私が罪悪感を持ったり、本当はこういう事があってねなどと親に言うのは姉に対して失礼ではないかと思い直したからだろう。
そのうちに視野狭窄も落ち着いていった。
姉が欲しがらなかった同情なんて、
なにも価値がなかったのだと気がついた。
ただ、今も飾られている詩を前にすると、
姉と私の見栄が垣間見えて少し目を伏せるのだった。
