全て、貴方のせいです。 第14話
概要
殺人鬼の心臓を移植され、殺人の衝動を受け継いでしまった水越万里菜。彼女は何故、臓器移植をしたのか?
殺人の衝動
「ただ、笑いたいだけなのに…」
色と欲が渦巻く、浅草の夜。商店街を歩いていた時の事。
胸を抑えながら、うずくまる。誰も助けようとはせず、食べ歩きをしながら通り過ぎていく。
地面を眺めながら痛みに耐えていると、視界の端に鳥の足が見えた。顔を上げると、そこに居たのは黒い鳥。
「お前の望みを言え。どんな願いも叶えてやろう」
鳥の口は開いていない。直接脳内に語りかけてくる。
死の瀬戸際で幻覚か。笑えない。
――僕は作曲する元気を失っていた。
笑顔で生きていたかった。いつもの病室で同じ壁と天井を眺めているだけじゃ、笑えるはずもない。そんな時、テレビで見た浅草の漫才が面白かった。久しぶりに笑った。だから病院を抜け出してここまで来たのに、こんな体じゃ、劇場まで辿り着かない。
僕が望むもの、それは――
「僕は音楽をやりたいんだ。でもこんな体じゃできない。だから、新しい心臓が欲しい…」
絞り出すような、か細い声で願った。すると、どこからか女性の声が聞こえた。悪巧みをしているかのような品のない発音で、女性にしては低い、大人びた声で――
「契約、成立…」
それに反応して鳥は飛び去っていく。その拍子にいくつかの黒い羽根が舞い散る。その間から、人影が見えた。
雪駄を擦って歩く、砂利の音。灰色の着物を身にまとった女性が近付いてくる。恐らくこの女性が声の主なのだろう。
彼女は僕の前に来て、おもむろにしゃがみ込んだ。おどろおどろしい木彫りの般若が、僕の顔を睨んでくる。
僕は恐怖で硬直し、言葉も出ない。
困惑の最中、彼女は僕の胸に、勢いよく手を突っ込んだ。吐血した液体が、彼女の白い腕を赤く染める。
彼女は、僕の心臓を掴み取った。
咳き込み、血を吐きながら目を覚ました。視界に入ってきたのは般若の仮面。
「心臓移植は終わった」
その言葉で、脳裏に蘇る気絶前の状況。胸の位置に手と目を動かす。
――ない。
僕は確かに、胸を貫かれた。彼女の腕が赤く染まったのを見た。なのに、傷跡や痛みがない。だが、鼓動は確実にある。
現状が理解できなかった。僕は辺りを見渡した。
シャッターの降りた商店街。人っ子一人いない街並みは、夜更けであることを表している。
般若の女が顔を近付けてきた。
「お前が本当にやりたい事をやれ」
生まれた時から病弱だった。体育の授業には1度も出席した事が無い。早退もよくした。教室に居る時間より、病室に居る時間の方が長かった。だから虐められたし、その事が余計、学校に行くのを億劫にさせる。
僕は不登校児になった。
家庭では、よく夫婦喧嘩を見た。母親は怒鳴り散らかし、父親は物を投げつけて、うちの家族は機能不全に陥っていた。
数日後、母親が蒸発した。数百万の借金だけ残して。
取り立て屋が家に来ると、父親はビール瓶を持って殴りかかっていた。
この世にうんざりする。生きるにはあまりにも辛すぎる悲劇だ。
ある日の朝。僕は自室に篭もり、カーテンを閉め、ベッドの上で体育座りをしながら震えていた。
カッターを手首に当て、何度も切り裂いた。赤黒い血液が垂れ、青白い肌を染めていく。
「お前の望みを言え」
脳に声が響く。咄嗟に腕を動かすと、陰になっていた所に黒い鳥が居た。驚いた拍子、掛け布団に血飛沫が付着する。
とうとう幻覚に悩まされるようになったかと、自分を笑う。
「この世に望みなんてある訳ない」
「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな」
瞬きを1回した間に、黒い鳥は消え去っていた。
頭を抱えた。鳥の言葉に心揺さぶられ、脳内に考えが巡る。
――僕は、こんな所で死んでいいのか。否、そんなはずはない。今死ねば、負け組で終わりじゃないか。虐げられたままでいいのか?
自分に問いかける。答えは分かってる。
決心した。急いで僕は手首に包帯を巻いた。階段を駆け下りる。
居間に座って瓶ビールを飲んでいる父親を、勢いよく蹴り飛ばした。その拍子に瓶が転がり落ちる。それを拾い、こう叫んだ。
「お前のせいだ」
呪文のように何度も発しながら、瓶で殴り続けた。馬乗りになり、無心になって殴打する。
血飛沫が目に入り、我に返った。いつの間にか動かなくなっていた父親。潰れた顔面と、血塗られた瓶。
赤い水玉模様になったパジャマを脱ぎながら、思い返す。制服に着替えるのは、いつぶりだろう、と。
学校へ行き、久しぶりに現れた僕に驚くクラスメイト。彼らを横目に、机を蹴飛ばし、椅子を放り投げた。
女のかん高い悲鳴が響く。近くにあった誰かの筆箱からカッターを取り、女を追いかけ回して刺していく。
何度も、何度も、執拗に突き刺す。飛び散った血が顔を彩る。
彼女に侮辱された時の言葉が、頭の中を駆け巡る。
「死ね」
パトカーや救急車のサイレンが轟く中、僕は3階の窓の縁に座り、街を見下ろしていた。
クラスメイトは皆、教室で横たわっている。悲鳴を聞いた隣のクラスの担任が止めに入ったけど、取っ組み合いの中で何とか胸を突き刺し、僕は取り押さえられずに済んだ。
曇空の下。鬱屈とした街に反吐が出る。
無視され、馬鹿にされ、殴られ、脅され、屈辱的な理不尽と不公平を味わってきた。
「こんな社会に適応してる方が間違っている」
魂の叫びを町中に響かせた後、僕は飛び降りた。
気が付いた時には、病院で寝ていた。手足が折れているのか動かない。起き上がろうにも、首すら上がらない状態だった。
白を基調とした病室。鼓膜を破りそうな雷鳴。
鉄格子の付いた窓に影が現れる。黒い鳥だ。
「これで良かったのか?」
本質を突く問いかけに、何も言えずに俯いた。
確かに、僕を苦しめた奴らにやり返したいと思っていた。でも、そんな事したとて、何一つ笑えなかった。むしろ、嫌な事を思い出すばかりで、ちっとも楽しくない。
「復讐したって、何も笑えない」
顔を上げた時には、黒い鳥は居なくなっていた。窓には強風で雨が打ちつけ、ガラスが小刻みに揺れている。
つまらなくなって脳内で音楽を奏でる。白い天井を見つめていたって、何ひとつとして笑えないから。
それにも飽きて、テレビを付けた。お笑い番組。漫才師が観客を沸かせている。
画面を眺めながら思った。
――僕が本当にやりたかった事ってなんだろう?
般若の面を見つめながら、僕は理解した。間違っていた。やり直す機会はあったのだ、と。
音楽を通じて他者と関わっている時、僕は確かに、生き甲斐や楽しさ、幸せといったものを感じていた。
彼女は僕に背を向け、去っていく。
「待って…」
訴えたところで、立ち止まってはくれない。
突然、僕の心臓が連呼する。
「殺せ!」
「殺せ!!」
「殺せ!!!」
僕は彼女に駆け寄り、肩を掴もうとした。着物に触れるやいなや、無数の黒い羽根と化し、消滅してしまった。
呆然としながらも、心臓の叫びが大きくなる。殺人の衝動が抑えられない。理性を保っていられなくなる。
混乱の中、自分が置かれている状況を飲み込んだ。人殺しの狂人に成り果てたのだ、と。
泣きそうになりながら呟く。
「ただ、笑いたいだけなのに…」
