WW3:三笠宮崇仁親王と日本人の誇り「日本人が真の日本人たり得ていないから」

三笠宮崇仁親王が戦時中に総司令官や幕僚に対して行った直言およびその背景についての具体的な事実を記述します。

三笠宮崇仁親王は、昭和18年(1943年)1月から中国の南京にある支那派遣軍総司令部に「若杉参謀」という秘匿名で赴任しました。現地での見聞や当時の行動における客観的な事実は以下の通りです。

  • 現地での見聞と認識

    1. 三笠宮は現地赴任後、日本軍による軍紀の乱れや暴行・略奪、捕虜や民間人に対する不法な殺害行為(虐殺など)の実態を直接見聞しました。これらが原因で現地住民の離反を招き、事変の解決が妨げられていると分析しました。

  • 幕僚への叱咤と「内省」の要求

    1. 進駐先にて、事態が解決しない理由について部下(約200人)に記述式の答案を書かせた際、「日本人が真の日本人たり得ていないから(皇軍がその名に反する暴行略奪を行っている)」という趣旨の回答をした1人のみを及第としました。その上で、「今の皇軍に必要なのは装備でも計画でもない、“反省”だ」として部下たちを厳しく叱責しました。

  • 講話「支那事変に対する日本人としての内省」

    1. 昭和19年(1944年)1月、三笠宮(若杉参謀)は総司令部の若手幕僚らを前に講話を行いました。この内容はのちに『支那事変ニ対スル日本人トシテノ内省』という文書にまとめられ、当時の現地軍の姿勢を厳しく批判し、自粛と内省を求める激烈な内容であったことが確認されています(この文書は1994年に国立国会図書館で発見されました)。

  • 総司令官への直言

皇族という立場を伏せた参謀という立場でありながら、当時の軍上層部(総司令官など)に対し、現地軍の一部に見られる軍紀の乱れや暴挙を深く反省すべきであると直接進言しました。これにより、一歩間違えれば命の危険すら伴う状況の中で、現地の過激な軍事行動や政策に対する批判的な「ブレーキ役」としての役割を果たそうと試みた事実が残されています。

https://www.j-orient.com/wp/wp-content/uploads/2026/03/2026-03-24_Statement_pdf.pdf

とりわけ⽇本政府には、わが国が国是とする平和主義の原則に⽴脚した、公正な視点 からの、毅然とした外交努⼒が⼗全になされることを要請します。

日本オリエント学会

これは、三笠宮様のメッセージ、皇室からのメッセージとして読み替えてもいいような内容ではないですかね。

毅然とした外交努力になっていますかね?高市政権。

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