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AI創作が楽しくなくなった理由。名作を“消化”してしまった日


こんにちは、Kinoです。

最近、「本末転倒感」がすごいんです。

いや、何がって、AIを使った創作活動のことです。


もともと私は、「こんなアニメ作ってみたいな」「自分の妄想を形にしたいな」っていう、純粋なワクワク感からAIミュージックビデオやドラマ制作を始めたはずなんです。

https://www.youtube.com/@Obsidian_aimusic

あの映画やアニメで見た感動を、自分でも表現したい!みたいな。

そこから派生して、「AIってこう使うといいかも!」っていう発信も始めたんですが…


気がつくと、昔あれほど好きだった音楽やアニメを、心から楽しめなくなっている自分がいるんです。


作品を見ていても、「これを消化したら、次はAIで何か作らなきゃ」みたいな。
常に何かに追い立てられていて、エンタメを味わう時間すら「タスクの一部」になってしまっている。


「あれ、そもそも、何のためにこれ始めたんだっけ?」

完全に、目的と手段が入れ替わってるんですよね。





昼休み『超かぐや姫!』という超名作を雑に消化する


その「異常さ」にはっきり気づいたのが、つい先日。
Netflixで『超かぐや姫!』を見た時でした。


これ、普通に見たら超絶名作です。
・ストーリー良し
・作画よし
・歌よし


部屋でじっくり2時間没頭して見たら、間違いなく感動で泣いちゃうやつです。(まじで、これだけのために一瞬ネトフリに入ったほうがいい)

それを私、どうやって見たと思います?

昼休みの休憩中に、弁当かきこみながら、スマホで細切れに見ていた。

しかも、「あ、いい演出だな」とか思いつつ、頭のどこかで「午後の仕事」や「次のAI生成」のことを考えてる。

名作を味わうどころか、まるでジャンクフードみたいに、ただ情報を胃に流し込んでるだけ。


見終わった後、なんとも言えない虚しさに襲われました。






"枯渇"する文化資本と、壊れたサイクル

そんな時に、サトマイ(佐藤舞)さんの『あっという間にお金はなくなるから』という本を読んで、ハッとしました。

本の中で「自然資本」や「文化・教養資本」という考え方が出てくるんですが、要は人間としての「深み」みたいなものです。
ここにお金(金融資本)や時間というリソースを割り振っていかないと、人生のバランスが崩れちゃうよ、という話。

これを読んだ時、「うわ、いまバランス、めちゃくちゃ崩れてるわ」って確信しました。

本来、僕の創作のサイクルってこう始まりました。

  1. なんとなく映画やアニメを見る

  2. 感動がコップからドバッと溢れ出す

  3. 「これを作りたい!」という衝動で手が動く

今の私は、1の「なんとなく見る」時間を「無駄」だと切り捨てて、無理やり3の「作る」だけを回そうとしている。


インプットのコップが枯渇しているのに、ポンプで無理やり水を吸い上げようとしているようなものです。
そりゃあ、苦しくなるし、続くわけがない。


このサイクルを、意識して自分で回していかないと、創作なんて長く続けられないなーと痛感しました。





「感動」をスケジュールに予約する

じゃあどうするか。
もう、「意識的に取り入れる」しかありません。

「暇ができたら見る」じゃなくて、「土日のこの時間は映画館に行く」とかって、スケジュールに入れちゃう。
何を見るかも決めて、その時間はスマホを切って、全身でその世界に浸る。

「楽しむこと」をスケジュール管理するなんて、ちょっと変な話かもしれません。
でも、今の私みたいに「効率化の病」にかかっている人間は、それくらい強制的にリハビリしないと、文化資本が枯れ果ててしまいます。



というわけで、今週末はAIのことを一旦忘れて、ただの「観客」に戻ろうと思います。

皆さんも、もし「最近、心から楽しめてないな」と感じていたら。
それはきっと、あなたの中の「文化資本」が悲鳴を上げているサインかもしれません。

疲れ果てて、急に放り出しちゃいたくなる前に
一緒に、リバランスしていきましょう。

ではまた。


今日はここまで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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