お風呂でくらう、静かな「黒閃」。くどうれいんさんのエッセイを推したい夜
最近の私のお風呂時間は、Kindleを持ち込んで、至福の「ゆるゆるタイム」を過ごすのが日課。
読むのは漫画の『ゆるキャン△』。
日常の疲れをお湯に溶かしながら、物語のゆるやかな空気に浸っている。
でも時々、少し魔が差したように(?)、その合間にくどうれいんさんのエッセイを開いてしまう。 そうすると、さっきまで緩みきっていた心臓に、予期せぬ衝撃が走るのだ。
ドラマチックな物語があるわけではない。日々の徒然が綴られているだけなのに、油断していると心を突き刺されるような感動がある。
そしてごく稀に、『呪術廻戦』の「黒閃(こくせん)」を食らったような、心にクリティカルヒットが当たって、泣きそうになることもある。
今日は、そんな不思議な引力を持つ、くどうれいんさんのエッセイを「みんなに読んでほしい!」という気持ちで紹介したいです。 エッセイの良さを伝えるのってすごく難しいけれど、頑張って言語化してみます。
「共感」よりも深い場所を揺り起こされる
私が最近読んでいたのは『虎のたましい人魚の涙』。 くどうさんが20代で、会社員として営業の仕事をしながら、執筆活動を並行していた頃の心情が綴られている一冊だ。
読んでいて感じるのは、「わかる〜」という軽い共感じゃない。
自分もかつてそう思っていたような、でも言葉にできなくて飲み込んでいたドロっとした感情や、意地悪な視点。自分でも見たくなかったような心の深淵。
そこを的確に言語化されるから、「そうだ、そうだったんだよぉ!」と、深いところを揺り起こされて泣きそうになる。
「ここにいない人間は偽物だ」という言葉に救われて
特に「すげえ」と思わされたのが、東日本大震災にまつわるエピソードだった。 当時高校生だったくどうさんが、震災後に瓦礫の山を見た時の心情をこう綴っている。
そのとき(これを見ていない人間がなにを言ってもにせものだ)と思い、同時に(ここに居なかったわたしは、にせものだ)と、確信のように思った。
この一文を読んだ時、私の中にあった名前のないモヤモヤが、スッと晴れていくのを感じた。
私の住む石川県でも、先日大きな震災があった。 実家は被害を受けたけれど、私は金沢にいて、直接的な被害は少なく無事だった。家族は大変な状況なのに、私は普段どおりの生活を送っている。
当事者になりきれない、でも無関係でもない。「自分は偽物なんじゃないか」という後ろめたさ。
そんな誰にも言えなかった感情を、くどうさんが「自分もそうだった」と書いてくれていたことで、「ああ、そう思ってしまってもいいんだ」と、許されたような気持ちになった。
そんなふうに、心の奥底の想いを不意に言語化されて、「うおおおおおおおお!」ってなる。 そんな体験ができるのが、彼女のエッセイの凄いところだ。
鋭いだけじゃない。新刊の「ほっこり」も最高
と、ここまで書くと「重いのかな?」と思われるかもしれないけれど、くどうさんの魅力は「鋭さ」だけじゃない。 何気ない日常を面白がる視点や、ふっと肩の力が抜けるような優しさも同居している。
ちょうど今日(11/27)、新刊の『もうしばらくは早歩き』が発売されたばかり。 今回は「乗り物」「移動」にまつわるエッセイ集だそう。
少し読んでみたけれど、こちらは打って変わってすごく癒やされる、ほっこりするお話ばかり(のはず)。
心をえぐるような鋭い「黒閃」もあれば、温泉のように温かいエピソードもある。 だから私は今日もまた、お風呂でくどうれいんさんの本を開いてしまうのだと思います。
日常に少し疲れた人や、自分の感情の正体がわからなくてモヤモヤしている人に、ぜひ読んでみてほしい一冊です。
今日はここまで。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
