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“その人自身を見る”ことはそんなに難しいですか?

初めましてこんばんは、きのです。
ちょっと頭がモヤモヤしているのでここで吐かせてください。同じような考えの方が見つかればなと思っております。

皆さん、いじめを経験したことはありますか?

いじめの概念として、「受けた側がいじめと感じたらそれがいじめ」という言葉がありますが、この言葉を元とするなら私は人生で2回いじめを受けたことがあります。
1回目は小学2年生の時、2回目は成人してからです。
今回は大人のいじめに関連した内容を述べさせていただきます。

高校を卒業したあたりから目上の方と関わ会話急に増えました。そのくらいの時期から疑問に思い始めた(もっと前から思い始めてもおかしくは無かった)のですが、

''皆さん、人へのイメージってどの段階で確立されますか?''

いつの時代にもありますが、「〇〇(人名)ってヤバいらしいよ」「〇〇と〇〇の関係性良くないんだって、理由は…」という会話は誰もがしたこと、聞いたことあると思います。
子どもの時はそのようなゴシップを残酷ながらも単純に楽しんでいた自分もいたと思います。
大人になった今でも大好きですけどね(笑)

ここで問題になるのが、関係性が浅い人のゴシップを聞いてしまった場合、その相手のイメージがどう変化するのかです。悪くなった場合、当人(ゴシップの被害者)は不条理なヘイトを買ってしまうという点です。

薄々気がついてるとは思いますが、私が大人になってから受けたいじめはこれが原因だったんですね。
ありもしない(断言は出来ませんが…)事を噂され、しまいには自分が好きだった居場所を奪われました。今でもこの理不尽なヘイトにモヤモヤを抱えています。

大人になって良くも悪くも誰しもが人と関わることへのリスクを考えるようになると思います。
その際に、ゴシップが担う役割は人との関係性に問題を起こさないためのストッパーとも言えるかもしれません。

しかし、私の周りにはゴシップの情報に重きを起きすぎて、肝心なその人自身を見る目が薄くなっている人が多いと感じます。
皆さんは悪い噂を聞いたらその本人とは関わらないようにするタイプですか?それとも気にしないで普通に関わるタイプですか?
どちらが正しいとは言えませんが、私には事実を自分の目で見ないでなぜその人を判断できるのかが理解できません。

私自身、人の悪い噂を聞いた時に全く影響を受けないと言えば嘘になります。人間なので、多少なりとも「そういう人なのかな」という先入観を持ってしまうことはあります。でも、だからこそ私はその人自身を見ようとします。なぜなら、人の言葉や記憶、感情なんて驚くほど曖昧だからです。

実際、今回の件で私自身も「自分の言動や当時の感情を忘れていた」という経験をしました。人は都合よく記憶を補完しますし、傷ついた時ほど感情が事実のように記憶に残ります。それ自体は誰にでもあることだと思います。しかし、その曖昧な記憶や感情だけを頼りに、他人にヘイトを向けたり、人間関係を断定したりする行為に、私はどうしても強い恐怖と嫌悪感を覚えます。

特に大人になると、「関わる人を選ぶ」という行為が増えていきます。だからこそ、ゴシップや噂話はある意味で“人を見るための判断材料”として機能してしまうのかもしれません。でも私は、その判断を他人の言葉だけで済ませてしまうことに危うさを感じています。

もし自分が誰かについて悪い噂を聞いたとしても、私は「その人自身を見てから決めたい」と思います。もちろん、その結果として距離を置くこともあるでしょう。でも少なくとも、“誰かの感情だけ”を根拠に、その人の人格全てを決めつけるような人間にはなりたくありません。

今回の経験を通して、人間関係に対して少し臆病になりました。正直、人と関わること自体が怖く感じる瞬間もあります。それでも、自分の中にある「人を雑に扱いたくない」という感覚だけは、失いたくないと思っています。

もし同じように、
「噂よりも本人を見たい」
「人を簡単に悪者にしたくない」
と思っている方がいたら、お話を聞いてみたいです。


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