見えないものを、見る力――ミロ、クリント、曜変天目/3つの美術展と私の想像力
私たちは、目に見えるものだけを見て生きているわけではありません。
むしろ、ほんとうに心を動かすものは、目には映らない何か。
たとえば、音、感情、宇宙、あるいは、目に見えない誰かの想い。
——そんなものではないでしょうか。
今回訪れた3つの美術展は、
まさに「見えないもの」を描いた作品たちとの出会いでした。
表現のジャンルも、国も、時代も、違うけれど、
不思議なほど共通していた、ある「まなざし」。
それはきっと、「見えない世界を、見る力」だったのです。
・ミロ:音が聴こえる絵
・クリント:超自然的な空間
・曜変天目:宇宙が広がる茶碗
目に見えない世界が、三者三様に広がる美術展で、
私が「見た」ものたちをまとめてみました。
ミロ展
まずは、ミロ。東京都美術館です。
ここでは、「音のない世界に、音楽を宿す」ような作品たちと出会いました。

ミロ、大好きなんです。
美術と音楽と文学がフュージョンしている感じが。
初期の写実的な作品も新鮮でしたし、
陶芸やオブジェ、現代アートそのものの作品まで盛りだくさんで、
「ミロのすべてがここに」という煽りのとおりの内容でした。
初期の写実的な作品。
たくさん並んだカボチャが丁寧に描かれていて……新鮮な感動。
1つ1つ全部違うんです。当たり前ですが。

解説に、ミロが友人にあてた手紙の一節が掲載されていました。
誰もが木々や山々の大きな塊ばかりを求め、それを描こうとしますが、草の葉や小さな花の音楽を聞くこともなく、渓谷の小さな石に注意を払うこともありません
――それはとても魅力的なのに。
意識しなければ見えてこないものへのまなざし。
それは、どの「ミロ」からも伝わってきます。
もちろん、星座シリーズも……

画面から音楽が聴こえてくるような作品も、
ミロすぎるミロで、ゾクゾクするほど素晴らしいのですが……

私は、突然現れた『夜の中の女たち』に不意を突かれました。

これは、岡山県倉敷市の大原美術館の所蔵品で、
私がミロを好きになったきっかけのような作品です。
こんな作品に東京で再会できるとは、嬉しい驚きでした!
ここから、撮影OKゾーンに入りました。
これは、FCバルセロナ75周年記念のポスター。

ミロは、日本の詩や文学からもインスピレーションを受けている、
とのこと。
印象派の画家を中心に、日本の影響を受けたという画家は多いですが、
日本の「文学」というのは、あまり見かけないような気がします。
はっきりと、禅画の影響を受けた作品もあって……。
「太陽の前の人物」。
これなんか、ミロ的にアレンジされた禅画そのものです。

空白の中に宇宙を感じさせるような不思議な絵。
描かれたものより、描かれなかった“余白”が語ってくる、
そんな印象でした。
【参考】禅画(仙厓義梵『○△□』)
(英語圏などでは"The Universe"(「宇宙」)という
タイトルで呼ばれているそうで……。直球ド真ん中です)

このあたりは、岡本太郎の美術館にいるみたいで、楽しすぎる一角。

キャンバスを燃やした作品も。
激しい怒りが伝わってきます。


大作、花火。
想像していたよりはるかに巨大でした。
これは、夜空そのものです。


戦争への怒りだったり、新しい芸術表現への挑戦だったり、
いろいろなミロが鑑賞できて、大満足でした。
そしてそのすべてに共通していたのは、
見えない「音」や「詩」を見ようとする、繊細な感性。
見ようとしなければ、見えないもの。
それでも、そこに“在る”ことを信じて、描きつづけたように思えます。
「芸術家とは、ほかの人々が沈黙するなかで何かを伝えるために声を上げる者であり、その声は無駄なものではなく、人々を助けるものであることを証明する義務を負う者である」
ヒルマ・アフ・クリント展
次に訪れたのは、「見えないもの」を壮大なスケールで描いた画家。
絵画を通じて、宇宙の法則、生命の循環、
そして霊性までも可視化しようとした――
まるで錬金術師のような存在。
それがヒルマ・アフ・クリントです。

今年2回目となる東京国立近代美術館。
クリントという画家は、正直なじみがなかったのですが、
近年、大注目で、今年の美術展界隈の目玉的扱いになってます。
毎年買っている「日経おとなのOFF 絶対見逃せない美術展」の2025年版の付録では
表紙を飾っていました。

これを見て、去年から「絶対行く!」と決めてました。
そこで、雑誌を2冊購入して、念入りに予習。
芸術新潮と美術手帖。
競うように、どちらも4月号でクリントの大特集を組んでいました。
どちらも、めちゃくちゃ詳しくて、読み応えあります。
好みの問題かもしれませんが、どちらか1冊選ぶなら、
「美術手帖」でしょうか……。
「美術史」や「抽象絵画」という枠組みを超えた、あらゆる物理現象、生物の生成やその様相、宇宙や自然界の成り立ちを理解するために描かれた体系図のような作品群から、私たちはいま、何を見ることができるのか。
クリントの作風は、一言でいうと、神秘主義。
昔の作品を見ると、写実的な植物画、人物画、児童書の挿絵など、
相当な技量を持った画家であることがわかるのですが……。
あるときから、スピリチュアリズム(心霊主義)。
霊的なインスピレーションをもとに、
自ら構想した「神殿」のための絵画を描くようになります。
心霊主義と聞くと、今の私たちからすると、
「なんか怪しそう」と感じてしまいますが、
当時は、エジソンが電気を、キュリー夫妻がラジウムを、
レントゲンがX線を発見するなど、
目に見えないものが次々に発見されていた時代。
「目に見えないもの」という観点でいうと、
科学の世界と精神の世界を切り分けるのは困難だと思います。
そのような時代において、
心霊主義が注目されるのは、当然といえば当然の流れでした。
むしろ、当時の最先端だったはずで、
それを「非科学的」と笑うことは、私にはできません。
逆に、内面世界を、
ここまで卓越した技術で描写していることに感動します。
特にすごいのは、『10の最大物』。
最大というだけあって、テーマも、実際のサイズも、
とんでもなく大きいものです。(3メートル超)
幼年期から老年期まで、10枚の作品で構成され、
展示は、幼年期からはじまり、青年期、成人期を経て、
老年期に至ります。


また、幼年期から順に見ていくと、ぐるっと回って、
老年期から、また幼年期につながる展示になっています。
始まりと終わりが溶け合う世界観。
円環の構成は、ただの演出ではなく、
「時間という概念の超越」を感じるものでした。
それから、創作のノートなども一部展示してあるんですが、
これは、全部で124冊あるそうです。
総計2万6000ページ超。
このバイタリティと溢れ出るイマジネーション!
こんなとんでもない人が、美術史に登場しないまま埋もれていたなんて……。
これもまた、
見えない存在がようやく見えてきたということなのかもしれません。
展覧会の最後には、「神殿のための絵画」の全作品が
一覧表示されていて、これまた圧巻!
時間を忘れて、見入ってしまいました。

とにかく、クリントには、
ただひたすら、圧倒されるのみでした。
ものすごく科学的で、宇宙的で、神秘的で、芸術的な曼荼羅。
100年以上前に、すでにここまでの内面宇宙を描いていたことを思うと、
彼女の筆は、未来を視ていたのではないかとさえ感じます。
芸術が“未来の記録”だとすれば、
私たちがこれから向かうべき「見えない世界」は、
彼女の絵の中に、すでに描かれているのかもしれません。
黒の奇跡 曜変天目の秘密
最後に向かったのは、最も静かで、最も深い世界。
たった「一碗の器」に、宇宙を見た――
そんな言葉を、真顔で語れるほど、圧倒的な“見えなさ”に満ちた存在。
「曜変天目」という茶碗との対面は、
むしろ“見ようとする自分自身”と向き合う時間でもありました。

丸の内の静嘉堂文庫美術館で開催されている
『黒の奇跡 曜変天目の秘密』展では、
曜変天目を中心に、それ以外の茶碗や、根付、重箱、刀剣まで、
「黒」をテーマとしたさまざまな日本美術が展示されています。
お目当ては、もちろん、国宝「曜変天目」。
「曜変天目」は恩田陸さんの傑作短編集『象と耳鳴り』の中の一編、
「曜変天目の夜」を読んで以来、茶碗とか芸術とかの枠を超えて、
「宇宙そのもの」という印象を持っています。
ちなみに、『象と耳鳴り』は、
恩田陸さんの代表作『六番目の小夜子』の登場人物の家族(元・刑事)が主人公となる連作ミステリーです。
ミステリーだけでなく、幻想からホラー風味まで、
名手・恩田陸のさまざまな球種を楽しむことができます。
世界でも、日本に3碗しかない、陶芸の最高傑作「曜変天目」。
(すべて「国宝」)
「器の中に宇宙が見える」と言われるのが、
まったく大げさに感じられません。
公開期間が限られているので、見られるときには見ておかなければ
ましてや、今回は「丸の内」のイベントに合わせての旅行なので、
ここに立ち寄らない理由がありません。
美術館に入って、まずは曜変天目だけが飾られている一室に直行。
並んで、見て、部屋から出たら、また並ぶ——
4回見ました(笑)。
さながら、テーマパークのアトラクションですね。
展示品の中で、曜変天目だけが撮影禁止でしたが、
これは、写真に撮ったところで、その美しさはまったく写りません。
かといって、「夜空の星のように煌めいていて」……
などと文章にしたところで、あのキラキラ感はまったく伝えられないのですが。
ポスターに「高台を初お披露目」と書いてあるとおり、
茶碗の外や中だけでなく、下の部分(高台)も、
鏡越しで見ることができました。
そして、下の写真は、ミュージアムショップで売っている
ほぼ実物大のクッション、もとい「ぬいぐるみ」。
(ぬいぐるみ⁉)

ミュージアムショップにしては珍しく、「店内撮影OK」との注意書きが。

「SNSへの投稿」もOK!
というか、「写真撮ったからには発信するように」という、
美術館サイドの強い意向を感じましたので、
このようにアップさせていただきました。
このぬいぐるみ。
よく紹介されているので存在は知っていましたが、
実物は、思っていた以上にかわいかったです。
さて。
まるで、曜変天目しか存在しないような紹介になってしまいましたが……
やはり、曜変天目の存在感は別格です。
器の中に宇宙がある、という言葉を、私はこれまで何度も目にしてきました。
でも今回、ようやくその“意味”がわかった気がするのです。
あれは、「宇宙が入っている器」ではありません。
「こちらが、宇宙を見る目を持てるかどうか」を、問うてくる器なのです。
最後に
3つの美術展をめぐって、私は、たしかに「見えない世界」を旅しました。
それは、遠い世界の話ではなくて、
私たちがふだんの暮らしの中で見落としがちな、
小さな感情、ふとした気配、誰かのまなざしのようなもの。
アートが教えてくれるのは、
「目に見えない世界は、すでにここにある」
ということなのかもしれません。
そしてそれに気づく力は——
私たちの中に元々備わっているもの。
ちゃんと「見よう」と意識するだけで、
呼び覚まされるのです。
たくさんのnoteの中から、私の記事を見つけて読んでいただき、
ありがとうございました。
「なんかいいかも」と感じていただけたら、
スキやフォローで合図を送ってもらえると、とても励みになります。
どうぞ、よろしくお願いします。
