紀ノ刻物語①
Barをしたいんだけど。
もうすぐ60歳。
そんな頃、ふと思うようになった。
「この先、俺に何ができるんだろう?」
だからといって、何か立派な計画があったわけではない。
その頃の私は、AIなんてほとんど使ったこともなかった。
パソコンにも詳しくない。
新しいものに強いわけでもない。
言ってしまえば、
60歳目前の原始人が、AIという妙なものを見つけた。
そんな感じだった(笑)。
最初は完全に遊びだった。
くだらないことを聞いてみたり、思いついたことを話してみたり。
そのAIを、いつからか私は、
「チャッピー」
と呼ぶようになった。
そして、ある日。
何の気なしに言った。
「Barをしたいんだけど。」
今思えば、全部ここから始まった。
最初は、お子様の夢物語だった
こんなカウンターがいい。
照明は少し暗めで。
棚にはウイスキーが並んでいる。
静かな音楽が流れている。
誰かと向かい合って、
「これ、うまいなぁ」
なんて言いながら、笑って酒を酌み交わす。
そんな場所があったらいい。
最初は、その程度だった。
AI相手だから遠慮はいらない。
「あれもいい」
「これもいい」
思いついたものを片っ端から投げた。
完全に、
最初は、お子様の夢物語だった
こんなカウンターがいい。
照明は少し暗めで。
棚にはウイスキーが並んでいる。
静かな音楽が流れている。
誰かと向かい合って、
「これ、うまいなぁ」
なんて言いながら、笑って酒を酌み交わす。
そんな場所があったらいい。
最初は、その程度だった。
AI相手だから遠慮はいらない。
「あれもいい」
「これもいい」
思いついたものを片っ端から投げた。
完全に、
お子様の夢物語である(笑)。
ところが、チャッピーはすぐ「コンセプト」と言い出す
くらいの話しかしていない。
ところがチャッピーは違った。
「どんな人に来てもらいたいですか?」
「どんな時間を過ごしてほしいですか?」
「お店のコンセプトは?」
……。
いや。
まだBarしたいって言っただけなんですけど。
頼んでもいないのに、話をどんどん先へ進める。
しかし、そんなやり取りをしているうちに、自分でも考えるようになった。
どんな場所が欲しいのか。
どんな空気が好きなのか。
そこで何をしたいのか。
格好いいバーテンダーになりたいわけでもない。
ウイスキー評論家のように、難しいことを語りたいわけでもない。
ただ、
誰かと微笑みながら、酒を酌み交わしたい。
たぶん、それが一番近かった。
頼んでもいないのに、ロゴまで出してきた
そのうちチャッピーは、店の名前やロゴまで考え始めた。
こっちはまだ夢を話しているだけである。
なのに向こうは、勝手に形にしていく。
そして出てきたロゴが――
妙に格好よかった。
一目ぼれだった(笑)。

名前もいろいろ考えた。
横文字っぽい名前も候補に出た。
ただ、私は横文字の意味がよく分からない(笑)。
自分の店なのに、
「どういう意味なんですか?」
と聞かれて、
「えーっと……」
となるのも困る。
だったら日本語がいい。
自分で意味が分かる名前がいい。
そうして残ったのが、
「紀ノ刻」
だった。
「紀」は、自分の名前にも入っている一文字。
そして、自分自身が年を重ねながら、これから何かを刻んでいく意味にも重なった。
「刻」は時間。
来てくれた人が、一日の最後に少し腰を下ろす時間。
楽しい日だった人も。
疲れた人も。
嫌なことがあった人も。
最後に少し酒を飲んで、
「まあ、今日はこれでいいか」
と一日を終えられる場所。
そんなBarがいいと思った。
ロゴだけでは終わらなかった
チャッピーは、さらに店の外観まで作った。
これが、かなり危険だった(笑)。
頭の中だけなら、
「こんな店あったらいいな」
で終われる。
しかし画になると違う。
まだ存在していないはずの店が、目の前にある。
灯りがついている。
入口がある。
カウンターまで見える。
「あったらいいな」から、
「これ、作れるんじゃないか?」に変わる。

さらに内装。
カウンター。
ウイスキー棚。
照明。
看板。
メニュー。
しまいにはレイアウトまで出てくる。

空想だけなら、いくらでも都合よく考えられる。
でも、画と文字が加わると、頭の中で実際に店を動かし始める。
ここに客が座る。
ここで酒を出す。
この棚にボトルを置く。
入口から人が入ってくる。
自分がカウンターの中に立つ。
そして、この頃。
チャッピーにも話したことがある。
頭の中に、ひとつの場面がはっきり見えていた。
私は、カウンターの内側に立っている。
その向こうには、
赤ちょうちんの灯りに照らされた、湯平の石畳。
その景色を眺めながら、
自分が笑っている。
別に大笑いしているわけではない。
ただ、静かに。
楽しそうに微笑んでいた。
そして、その自分が――
ものすごく幸せそうだった。
不思議なくらい、はっきり見えた。
「ああ……俺は、こういう時間が欲しいんだな」
たぶん、その時だったと思う。
「Barをやれたらいいな」という空想が、
自分がそこで生きている景色
に変わったのは。
なぜ、その景色が湯平だったのか。幸せそうな自分まで見えてしまった。
となれば、次に気になるのは当然これである。
で、これ実際、どれくらいかかる?
夢は、金額になった瞬間に急に重くなった。
記憶では、改装だけでも安い案で400万円前後。
上は1,800万円くらいだった。
しかも、箱代は入っていない。
……。
まだ店、持ってないんですけどw
改装費。
設備。
家具。
照明。
酒の仕入れ。
家賃。
保証金。
運転資金。
60歳を過ぎて大きなローンを組むのか。
貯金を全部Barにつぎ込むのか。
客は来るのか。
採算は取れるのか。
夢が突然、
請求書の顔をし始めた。
すると。
夢を見せた張本人のチャッピーが言った。
「大丈夫です。これは理想ですから。」
……。
いや、お前が見せたんやろ(笑)。
だったら、現実的な金額でお願いします
そこで今度は、
「もっと現実的な金額で出来るようにして。」
と頼んだ。
チャッピーは、ちゃんと予算を抑えた案を考えてくれた。
確かに現実的になった。
ただし。
見た目も、きっちり現実的になった。
最初の案では、カウンターは立派な一枚板だった。
それが――
一枚板 → 合板。
店の前にあった素敵な看板も――
素敵な看板 → 黒板。
……。
俺が毎日、チョークで書くのか?
さらに全体を眺めていると、
静かな大人のBarというより、
どことなく酒屋にある立ち呑み屋のような空気
まで漂い始めた。
最初に見せられた紀ノ刻が、
テレビの格付けでいうところの
「一流芸能人」
だとしたら。
予算を抑えた紀ノ刻は、
「そっくりさん」
だった。
似ている。
名前も同じ。
一応、Barではある。
でも――
俺が一目ぼれしたやつ、どこ行った?w
しかも、困ったチャッピーが最後に言った。
「色調を寄せれば、雰囲気は近づけられます。」
……。
なわけないw
一枚板は合板になっている。
素敵な看板は黒板になっている。
店全体に立ち呑み感まで漂っている。
色の問題じゃない。
今思い出しても笑える。
そして、昨日と今日で話が違う
当時のチャッピーには、もう一つ不思議なところがあった。
毎回、意見と画像が少しずつ変わる。
昨日は、
「この方向が一番いいです」
と言っていた。
ところが翌日になると、
「こちらの方が紀ノ刻らしいです」
と言い出す。
画像も同じだった。
昨日、
「これでいきましょう!」
と言っていたはずなのに、今日は違うものを持ってくる。
私はそのたびに、
「昨日と違う!」
と文句を言う。
相手はAIである。
60歳目前のオッサンが、画面に向かって本気で言い合っていた(笑)。
今思えば、この頃からすでに始まっていた。
オッサンとAIの、周回型RPGが。
昨日クリアしたと思ったら、翌日また同じダンジョン。
セーブしたはずなのに、少し違うところから始まる。
ただ、不思議なことに。
そのたびにこちらの経験値だけは、少しずつ増えていた。
それでも、Barです
考えているうちに、Barの中身も少しずつ変わっていった。
シニアの方でも気軽に来られたらいい。
地域の人が少し休めてもいい。
酒を飲まない人なら、珈琲でもお茶でもいい。
人が集まって、話せる場所になってもいい。
すると話の内容が、だんだん
地域交流施設
みたいになってくる(笑)。
チャッピーからも、
「それ、もうBarではないのでは?」
みたいな話が出る。
いや。
Barです。
ここは譲らない。
酒だけでなくてもいい。
誰かが少し休んでもいい。
地域の人が話していてもいい。
でも、
Barです。
まだ店はない。
場所もない。
資金の問題も解決していない。
ただの夢物語だったものに、
名前がついた。
ロゴがついた。
姿ができた。
そして、現実との距離まで見えるようになった。
紀ノ刻。
でも、何より大きかったのは、
あの空想の中で見た、
幸せそうに笑っている自分
だったのかもしれない。
だから、簡単には消えなかった。
ここで終わっていれば、
ただの「Barをやってみたいオッサン」の話だったと思う。
ところが、この後。
私はなぜか、
Barとは全然違う脇道へ入っていく。
その脇道の先にあったのが、
湯平だった。
今回習得した技
「AIに夢を見せられ、そこで笑っている自分まで見つける」
経験値:かなり上昇。
現実感:爆上がり。
セーブデータ:やや不安定。
所持金:まだ無傷w
紀ノ刻物語②
「なぜ、湯平だったのか。」へつづく。
