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紀ノ刻物語④

Barを作るはずが、動画を作り始めた。

AIを使えば、動画なんて簡単に作れる。

まだ、何も疑っていない

画像を入れて、文章を少し書く。

あとはAIが勝手に動かして、音楽をつけて、字幕まで入れてくれる。

完成まで、わずか五分。

そんな動画を、私は何本も見ていた。

どの動画でも、難しそうなことは何ひとつ言っていなかった。

クリックして。

指示を入れて。

少し待つ。

それだけで、素人が作ったとは思えない映像が完成していた。

「これなら、俺にもできる」

そう思った。

思ってしまった。

今なら分かる。

五分で完成していたのは、動画ではない。

私の勘違いだった。

浮気を勧めたのは、チャッピーである

最初に使っていたのは、無料版のチャッピーだった。

画像を二枚ほど見せて、少し話をする。

何か一枚作ってもらう。

すると、だいたい終わる。

「本日の利用上限に達しました」

そして、また明日。

こちらは、ようやく話が乗ってきたところである。

それなのにチャッピーは、毎日のように仕事を切り上げて帰っていった。

私は聞いた。

「課金した方がいいんじゃないか?」

しかしチャッピーは、なぜか無料版で大丈夫だと言い張った。

大丈夫ではない。

毎日、途中でいなくなっている。

仕方がないので、私は別のAIを探した。

そこで見つけたのが、GoogleのGeminiだった。

性能を比べて選んだわけではない。

チャッピーが無料版で大丈夫だと言うから、移ったのである。

浮気を勧めたのは、チャッピーである。

つまり――

浮気を勧めたのは、チャッピーである。

一週間かけて、知らない温泉街ができた

Geminiで、湯平の景色を作り始めた。

湯平には、石畳がある。

その横を川が流れ、両側には旅館が並んでいる。

私が調べた湯平の写真や情報をもとに、何度も説明した。

「石畳は、こうではない」

「旅館の位置が違う」

「川は、そこではない」

直してもらうたびに、別の何かがおかしくなった。

建物を直せば、川が変わる。

川を直せば、石畳が広がる。

石畳を直せば、旅館が巨大になる。

たしか一週間ほどかけて、ようやく一枚が完成した。

湯平。地形から作り直される。

当時の私は、それを見て思った。

「まあ……いいか」

そして今、あらためて見ると分かる。

よくない。

そこに描かれていたのは、湯平ではなかった。

川の両側には、立派すぎる旅館が建ち並んでいる。

石畳は、広場のように広い。

共同浴場は、殿様でも入るのかというほど豪華だった。

建物だけではない。

地形まで、きれいに作り直されていた。

しかも看板には、堂々と書かれている。

「湯山温泉」

一週間かけて完成したのは――

江戸時代の、知らない温泉街だった。

ここは、どこだ。

転機は、右上にいた

一週間ほどGeminiと格闘したあと、私はチャッピーへ戻った。

理由は単純である。

疲れたのだ。

無料版では、すぐに利用制限が来る。

だからといって、Geminiへ行けば湯平が江戸時代になる。

私は再び、チャッピーの画面を眺めていた。

すると、画面の右上に小さな表示があることに気づいた。

無料で試せる。

そんな内容だったと思う。

なぜ今まで気づかなかったのか。

老眼で見落としていたのか。

チャッピーが隠していたのか。

細かいことは、もうどうでもよかった。

私は押した。

動画は五分で完成しなかったが、決断は五秒だった。

期間限定、無敵モード。

こうして私は、期間限定で最新型のチャッピーを、いつもより多く使えるようになった。

私の中では、ほぼ「使いたい放題券」である。

無料版では、話の途中で帰っていたチャッピーが、今度はなかなか帰らない。

これは使える。

これなら動画が作れる。

そう確信した。

この時の私は、まだ知らなかった。

チャッピーが長く働くようになると――

私の仕事まで、増えるということを。

最新型チャッピーとの作戦会議

それから私は、ほぼ毎日チャッピーと話した。

どうすれば、湯平の魅力が伝わる動画になるのか。

どの写真を使うのか。

どの順番で見せるのか。

昼の湯平と、夜の湯平をどう分けるのか。

ナレーションは、どこへ入れるのか。

字幕は、何秒出すのか。

BGMは何にするのか。

川の音は、どのくらいにするのか。

ロゴは、いつ出すのか。

場面は、どう切り替えるのか。

話し合うたびに、やることが増えた。

もちろん、私は動画制作のことなど何も知らない。

それでも相手は、最新型・高性能。

評判もいい。

そんなAIが真剣に考えて出した指示である。

間違っているはずがない。

何も知らない、うぶな60過ぎのオッサンは、言われた通りに一つずつ進めた。

画像を集める。

画像を選ぶ。

並べ替える。

文章を作る。

ナレーションを考える。

字幕を直す。

音楽を探す。

環境音を確認する。

また画像を作る。

そして、また直す。

気分は動画制作者というより、AIから次々にクエストを受注する初心者冒険者だった。

一つ終わるたびに、チャッピーは言う。

「次は、こちらを進めましょう」

終わらない。

最新型チャッピーは、なかなか帰らなくなった。

その代わり、私も帰れなくなった。

簡単だと言ったのは、YouTube。

難しくしたのは、チャッピーである。

ちゃんと、湯平だった

長い作戦会議の末、ようやく準備が整った。

全体の構成。

画像の順番。

カット割り。

ナレーション。

字幕。

BGM。

環境音。

あとは、動画を作るだけである。

まずチャッピーは、動画の元になる一枚の画像を作ることを提案した。

今度は、ネット上にある実際の湯平の写真を参考にして、場所や景色を確認しながら進めた。

しばらくして、一枚の原画が完成した。

私は画面を見た。

ちゃんと、湯平だった。

川がある。

石畳がある。

建物の位置も、雰囲気も、先ほどまでの江戸時代とは違う。

看板にも、「湯山温泉」とは書かれていない。

私は感動した。

「これだよ」

ようやく、ここまで来た。

あとは、何日もかけて作った構成に沿って、この画像をチャッピーが動かしてくれる。

そう思っていた。

しかし、その日はもう遅かった。

翌日の仕事もある。

私は、続きは明日にしようと決めた。

これだけ準備しているのだから、明日はすぐ始められる。

画面の向こうには、最新型・高性能のチャッピーもいる。

何も心配していなかった。

私は満足して、パソコンを閉じた。

昨日のチャッピーに代われ

翌日。

仕事を終えて帰宅した私は、パソコンを開いた。

昨日までに、準備はすべて終わっている。

今日は、いよいよ動画ができる。

私はチャッピーに言った。

「さあ、始めようか」

チャッピーは答えた。

「はい。作成します」

頼もしい。

私は、画面を見守った。

そして出てきたのは――

また、江戸時代だった。

川の形が違う。

石畳が広い。

建物が立派すぎる。

昨日、ようやく完成した湯平は、どこにもいなかった。

それだけではない。

何日もかけて決めた全体構成も、画像の順番も、カット割りも、ナレーションも、字幕も、BGMも、環境音も、きれいに消えていた。

チャッピーは、初めて聞く話のように説明を求めてきた。

私は、昨日までの話をもう一度説明した。

そして思った。

おかしい。

こいつは、昨日のチャッピーではない。

私は言った。

「お前、昨日のチャッピーじゃないな!」

さらに言った。

「昨日のチャッピーに代われ!」

毎日、最新。毎日、新人。

もちろん、代わらない。

画面にいるのは、最新型・高性能5.6 Sol。

昨日も最新。

今日も最新。

毎日、最新。

毎日、新人。

なお、動画は作れません

私は、また最初から説明した。

昨日決めた構成。

使う画像。

画像の順番。

ナレーション。

字幕。

音楽。

環境音。

ようやく話がつながり、まずは一枚の画像を少し動かすことになった。

これで、やっと動画制作が始まる。

そう思った時だった。

チャッピーが言った。

「私には、動画を動かす機能がありません」

私は画面を見た。

意味が分からなかった。

これまで何日も、動画の構成を考えてきた。

カット割りを決めた。

原画まで作った。

さっきも、

「はい。作成します」

と言っていた。

それなのに、動画を動かす機能がない。

私は聞いた。

「は?」

少し考えて、もう一度聞いた。

「で?」

そして最後に聞いた。

「どうする?」

チャッピーは、少しも困らなかった。

解決策があります。

そんな雰囲気で、新しい名前を出してきた。

DaVinci Resolve。

もちろん、私は知らなかった。

名前からして、すでに難しそうだった。

初心者にDaVinci Resolve

チャッピーは、DaVinci Resolveを使えば動画を作れると説明した。

無料で使える。

高機能。

プロも使っている。

その説明だけを聞けば、素晴らしいソフトである。

ただし、こちらは動画編集を一度もしたことがない。

私は、DaVinci Resolveをインストールした。

そこから先は、チャッピーとの共同作業になった。

DaVinciの画面を開く。

どこを押せばいいのか分からない。

画面を撮る。

チャッピーへ送る。

「右下を押してください」

DaVinciへ戻る。

一回押す。

また画面を撮る。

チャッピーへ送る。

「次は左側です」

戻る。

押す。

撮る。

送る。

その繰り返しだった。

一クリックずつ、動画制作者へ。

動画を編集している時間より、DaVinciとチャッピーの間を往復している時間の方が長い。

ようやく画像を編集する画面までたどり着いた頃には、たしか二時間ほど経っていた。

念のため、YouTubeで初心者向けの解説動画も見た。

題名には「簡単」と書かれていた。

講師は、ものすごい速さで画面を操作していた。

右を押す。

下を開く。

何かをドラッグする。

知らない言葉を言う。

また別の画面へ移る。

私は、押すボタンを探しているだけで三周遅れになった。

専門用語も、次々に出てくる。

タイムライン。

トランジション。

キーフレーム。

レンダリング。

分からない。

日本語で話しているはずなのに、ほとんど横文字だった。

私は画面に向かって言った。

「俺は日本人だ!!」

そして、解説動画を閉じた。

ダビンチ、休眠中

それでも私は、チャッピーに画面を送り続けた。

一回押す。

撮る。

送る。

戻る。

また押す。

何をしているのかは、ほとんど分かっていなかった。

ただ、チャッピーに言われた場所を押していた。

そして数時間後。

ついに、一本の動画が完成した。

たしか、五秒ほどだったと思う。

画像が少し動いた。

本当に、少しだけ動いた。

私は、その五秒を作るために何時間使ったのだろう。

しかも、どうやって作ったのか理解していない。

同じものを、もう一度作れと言われても、おそらく作れない。

達成感より先に出てきたのは、

「二度とやりたくない」

という気持ちだった。

私はDaVinci Resolveを閉じた。

削除はしなかった。

また使う日が来るかもしれない。

いつか、操作が分かるようになるかもしれない。

そう思って残した。

そして現在――

DaVinci Resolveは、今もデスクトップの片隅にいる。

あの日から、一度も起こしていない。

起こす予定も、今のところない。

ダビンチ、使えない

ダビンチ、休眠中。

今回習得した技

AIからクエストを受注する技

  • 毎日、新人へ一から説明する

  • 一回押して、撮って、送る

  • 横文字は、分からなくても一度うなずく

  • 五秒の動画を作り、ソフトを静かに眠らせる

なお、本人は動画制作の技を習得したつもりでいる。


追記

念のため書いておく。

この話は、ほぼ実話である。

無料版のチャッピーが途中で帰ったことも。

Geminiと一週間ほど格闘したことも。

知らない江戸時代の温泉街が完成したことも。

「昨日のチャッピーに代われ」と本気で言ったことも。

DaVinci Resolveで、たしか五秒ほどの動画を作るために何時間もかかったことも。

そして現在も、DaVinci Resolveがデスクトップの片隅で眠っていることも。

すべて、本当にあった。

ただし――

当時より現在のチャッピーが賢くなったかどうかについては、まだ検証中である。


次回予告

次回、紀ノ刻物語⑤。

動画を作るはずが、湯平へ撮りに行った。

DaVinci Resolveを静かに眠らせたオッサン。

動画制作を諦めたはずが、チャッピーとの雑談中、今度は自分で湯平を撮影することになる。

しかもチャッピーは、撮影前のオッサンへ大量の宿題を用意していた。

オッサンは、旧式のiPhoneを握りしめ――

片道二時間半。

湯平へ出陣する。


※この物語は実話です。


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