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【映画批評】#69「エミリア・ペレス」 メキシコの悲惨な実情を伝えるルチャ=闘い

メキシコの麻薬カルテルのボスが過去を捨て、性別適合手術を受けて女性として新たな人生を歩みはじめたことから起こる出来事を、クライム、コメディ、ミュージカルなどさまざまなジャンルを交えて描いた「エミリア・ペレス」を徹底批評!
半分以上はミュージカルシーンと思われるぐらい、歌とダンスの連続。マニタス→エミリア・ペレスというひとりの人格の変遷とともにメキシコという国の実情を炙り出すチャレンジングな取り組み。こういう姿勢は好きです!


鑑賞メモ

タイトル
 エミリア・ペレス(133分)

鑑賞日
 3月29日(土)8:15
映画館
 なんばパークスシネマ(なんば)
鑑賞料金
 1,400円(購入特典クーポン)
事前準備
 予告視聴
体調
 すこぶる良し


点数(100点満点)& X短評

75点


あらすじ

弁護士リタは、メキシコの麻薬カルテルのボス、マニタスから「女性としての新たな人生を用意してほしい」という極秘の依頼を受ける。
リタの完璧な計画により、マニタスは姿を消すことに成功。
数年後、イギリスで新たな人生を歩むリタの前に現れたのは、新しい存在として生きるエミリア・ペレスだった…。
過去と現在、罪と救済、愛と憎しみが交錯する中、彼女たちの人生が再び動き出す⸺。

「エミリア・ペレス」公式HPより引用

ネタバレあり感想&考察

情熱系変則ミュージカル映画
決して自分を明け渡さない闘争を描く

ものすごく歪な映画だった。
うまくいってる部分もうまくいってない部分も多分に感じるが、そのねじれ自体が魅力の映画である。とにかく変な映画。
今年のアカデミー賞ノミネート作品の鑑賞は、#61「アノーラ」、#66「教皇選挙」に続いて3作目。

正直に言うと序列は
教皇選挙≧エミリア・ペレス>>>>>>>アノーラ、といった感じ。

主演のカーラ・ソフィア・ガスコンの過去のSNS不適切投稿によってケチがついたため、本作が作品賞最有力だったが脱落したと後で知った。その代わりが「アノーラ」ってのもなぁ…。だったら物議醸すの上等でこれで良かったんじゃないの?と思う。日和見で押し出されたアカデミー賞作品賞とか何の魅力もない。どんどん「アノーラ」の評価が下がっていく現象。まだ続くのだろうか?「サブスタンス」も軽く飛び越えてほしい。実は一番期待している。

メキシコ本土から本作に非難の声があるようだが、実は本作でガッツリ描かれる国内の悲惨な実情は事実であり、そこを真っすぐに取り扱っているのは評価すべきだと思う。新日本プロレスとも交流のあるメキシコの団体CMLLをそこそこ知っている筆者からすると、LGBTQについてはわりかし寛容な国であることは承知している。

だからメキシコがLGBTQに不寛容なように映るじゃないか!的な批判も見受けられた。実際、性別変更も容易にできる国とのことだから気持ちは理解できる。しかし、その批判自体がLGBTQに配慮すべきだ!とした一辺倒な反応はあまり好きではない。この映画の主人公のトランスジェンダー設定はあくまで話を動かすドライバーであって、トランスジェンダーへの理解や実情を知ってもらうことがメインではないことぐらい、観ればわかる。

性別適合手術を受ける(エミリア・ペレスになる)前のマニタスは、ゴリゴリの男性暴力社会かつ常識が通用しない、弱みを見せては生きられない世界のトップの存在だった。幼いころからの性自認の葛藤が増幅し、性別適合も含めて女性として生きなおすには現在の自分を塗り替えるしか方法がない状況。国内での手術は身バレのリスクが付きまとうし、国外逃亡、戸籍抹消などに行き着くのは合理性がある。

この設定自体は作品内世界では十分都合がついていると思うし、お話を面白くするうえでも考えられた設定で個人的には全く問題なかった。メキシコという国はあまり関係なく、LGBTQを打ち明けることなど到底できない特殊な世界で生きてきたことを背景としたものだ。マニタスが性別適合手術をするために取る行動の背景としては十分な舞台設定。

たとえば、某菱団体のトップが性別適合手術をするとなった場合、好奇の目に晒されないわけがないだろう。そうなると人知れずそうしたいのは当然のことだという想像がなぜ働かないのか?そういう前提で批評を進めたい。本作はどうでもいい変な言いがかりがつけられすぎだと思うので。
(ただ監督もいらんこと言ってるのは事実であり…一旦そこは無視する)

まず押さえておかないといけないのは、エミリア・ペレスは性別適合手術後も、マニタスとして生きていたころと本質的には何も変わっていないということだ。女性として生まれ変わったこと、争いと殺戮が当たり前の環境から離れたことで、表面的な凶暴さは薄まったが、他者を自分の思い通りに動かそうとする身勝手さは一切変わっていない。

ゾーイ・サルダナ演じる弁護士のリタは弁護士として、権力者の汚職やスキャンダル裁判の弁護士として超有能だったが、黒人であるがゆえに出世の道は閉ざされている様子。彼女に目を付けたマニタス(エミリア前)は拉致監禁する形でかなり強引に、性別適合手術と新たな人生の道筋作りを彼女に依頼する。無事それは完遂、マニタスは世間的には死去したことになり、エミリアとして生まれ変わり、国外で静かに暮らす。リタもその報酬を元手に自由を勝ち取る。

その4年後、ロンドンにいたリタのもとにエミリアが接近、スイスに隔離させていた元妻と息子2人とともにメキシコで暮らしたいからその手立てをしてほしいと依頼する。この時点で「なんやこいつ!?勝手なやっちゃのぉ!」となって、筆者はおむつかり。もちろん、物語上のこととわかってのこと。ここでこの映画、性自認で本当に生まれ変われるんだということを伝えたいわけじゃなさそうだな、と心の準備ができた。

エミリアは最初から経済力と百戦錬磨の経験を背景に、自分を明け渡さないことができる強い人間である。だから本質的な主人公ではないのだ。
リタは彼女と再会してからは協力者として譲歩し、対等な関係を築けているが、それもエミリアの過去を知る唯一の人間だからであり、気を遣う必要があった。元妻や息子たちへの態度は完全に支配下に置くための言動でしかなく、マニタス時代から連綿と続く非常に不快な人間性をのぞかせている。

隔離している間にスイスになじんでいた息子たちは、無理やりメキシコに戻されたことで戸惑い、スイスを懐かしんでいる。元妻のジェシーはマニタス(=エミリア)の計らいによる庇護を受けているとはいえ、自身で人生をコントロールできない抑圧はいまなお続いている。そこにマニタスの遠い親戚と称する金持ちの得体の知れない叔母さん(=エミリア)が息子たちの子育てにまで口出ししてくる。いくら良い生活を与えてくれるとはいえ、たまったもんじゃない。なお、クライマックスまでジェシーはエミリアの正体には気づかない。ややムリのある設定にも感じるが、そういうものとして受け取って観ることにした。

それと同時にエミリアは国内に10万人超いるとされる行方不明者捜索のための慈善団体を立ち上げ、身バレ上等で自らが首長となり、活動家としてメディアにガンガン露出する。もともと麻薬カルテルのトップとして数多の人間を始末し、させてきたであろう存在が行方不明者の家族に同情し、慈善団体を立ち上げるなどマッチポンプもいいところだ。しかし、エミリアの動機や情動に打算めいたものは感じられない。贖罪のようなものも少なからずあったのだろうが、そこもあまり感じさせず、ピュアに活動しているように映る。

実はそこが怖いところで、私は生まれ変わって別人になったし良いことしてるんだからいいでしょ、のようなものも同時に読み取ることができる。自身の暗い過去はお構いなし。まるでメタ認知ができていない。事実だけを並べるとエミリ・アペレスになって以降も独善的な側面を垣間見せている。自分がしている良きことが相手も同じように受け取られているはずだという根拠なき自信が常にある。そりゃジェシーがブチギレるのも当然だ。

マニタス→エミリアという実は終始、身勝手なふるまいを続ける怪獣によって振り回される周囲の人間模様を描いたのが物語の主軸である。そのマニタス→エミリアという一個人の変遷から、メキシコという国の悲惨な実情を半ば強引に炙り出していく本作のチャレンジングな姿勢は大好きだ。
行方不明者の家族がただ単に血縁者が行方不明になったからと悲しみに暮れていたわけではなく、見つかることで地獄が再開するかもしれないという側面をエピファニアに割り当てている。通り一遍ではなかなか捉えられない事象を拾い上げている本作はキライになれない。ことごとくブチこまれるミュージカルシーンも強引に押し切れるだけの力強さに溢れている。

エミリア、リタ、ジェシー、エピファニアをはじめとしたメキシコの市井の人々それぞれが運命を受け入れつつも「自分の心まで明け渡さない」ことを求め、実践していく。エミリアとジェシーのそれは相克してしまい、あっさりと悲惨な末路を辿り、二人は死ぬことになる。ギリギリのところで果たされたものの、たった一人、心を明け渡すべきだったのはエミリアだった、とオチがつくのはなかなかに厳しい皮肉を描いている。

彼らの死後、リタは曲がりなりにも自身を引き上げてくれたエミリアに恩義を感じているからだろうか、息子たちを代わりに育てる決意をする。エピファニアはエミリアの意思を引き継いだのだろうか、市民を引き連れ「心を明け渡さない」ことを高らかに歌い上げる。エンドロールに入り、徐々に冒頭の出張買取トラックの音楽に切り替わっていく。家電だ、冷蔵庫だ、何でも買うよ、何でも売ってね、みたいな歌だったと思う。

このラストはもはやどう思えばいいかわからず、呆気にとられながら圧倒されたというよくわからない感情に持っていかれた。大筋の話の流れは変なことはないが、登場人物の大きな情動と情熱的な歌と作り手の熱意の総量で成り立たせてしまった不思議な魅力に溢れた作品だ。

「決して自分を明け渡さない」というのは難しいことではあるが、各々が果たしたい大義でもあるはず。それは大事にしたい。

とにかく熱量を持って伝えたい
その姿勢は大林宣彦に似たものを感じた

前章ではあまり触れなかったが、誇張抜きに半分以上はミュージカルシーンだったんじゃないかと思う。

このミュージカルシーンの歌詞というかセリフと一体となっているため、いちいち止まることなく、話が進んでいく。133分フルにあらゆる手段を使ってこちらの言いたいこと、伝えたいことを作品内に詰め込みに詰め込むぞといった気概に溢れている。リタがまだ性別適合手術の執刀医を探す段階で、クリニックに出向き、医者に話を聞きに行く最中でもミュージカルで小気味よく、どういった種類の手術があるかであったり、その内容を歌にのせて教えてくれたりと今までになかったアプローチのミュージカルが様々観られる。

メインで伝えたいことは腐敗しきったメキシコの実情や、悲惨な運命の中にいる人々の悲しみだ。この市井の人々の苦しみ、悲しみを描く作家性とその熱量は大林宣彦みたいやなぁ、と思った。特に大林監督のキャリア最終周辺の「この空の花 長岡花火物語」「海辺の映画館 キネマの玉手箱」のような良くも悪くも頭がおかしくなりそうな映画に通ずる狂気性を感じる。
もちろん、ハリウッド製作なのでルックやテンションは全く違うし、これらの映画とは観やすさは断然「エミリア・ペレス」に分があるが、なぜか同じ匂いを感じたのだ。

とにかく伝えたいことがあるんだ、という熱量とハチャメチャな演出で押し切ってしまう豪快さが、明らかな弱点を覆い隠せるほどの魅力になっている。こういう映画は個人的には大歓迎である。かなり評判が悪くなってしまっている「エミリア・ペレス」だが、歪な作りなのは認めたうえでも好きにならずにはいられない謎の吸引力がある。オレはこの映画を推す!


まとめ

何度も言いますが、本当に歪で変な映画です。
好きな作品ではありますが、アカデミー賞作品賞最有力だったのは意外に感じるテイストだと思います。カーラ・ソフィア・ガスコンのSNS騒動は本当に残念ですが、本作がアカデミー賞作品賞に近かった存在だったという事実はポジティブに捉えたいです。


最後に

メキシコの英雄。銀と金の王、ミスティコ!

2023.2 筆者撮影

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