【完全理解】平安時代その恐るべき実態〜日本の”軍事オンチ”は平安時代から始まった!?
平安時代時代の歴史の概要。非常にわかりやすく説明されています。
また、単にわかりやすいだけでなく、現在にどのように繋がっているのかも述べられていて本当に素晴らしいなって感じました。
いくらかの学者さんはこういった大枠を捉えて現在と結びつけるような歴史の見方を嫌います。「史資料を恣意的に繋げて解釈する軽率な行為」、という見方です。
良いか悪いかではなく、少なくとも今現在「そういうもの」、ということなのですが、この態度が多くの人々にとって歴史が「関係ないもの」になっている要因の一つだとは感じてしまうのです。
▽動画の全体像
・平安時代は全体の区分としては、桓武天皇による平安京への遷都(794年)〜鎌倉幕府成立までで、大きく「前期」、「中期」、「後期」に分けられる。
•前期に嵯峨天皇と平城上皇との間に「薬子の変」があり、それに勝利した嵯峨天皇は統治体制の変革のため優秀な側近を集める。
そこには中期の摂関政治体制の基礎を作った藤原冬嗣がいた。
•摂関政治とは何か
簡単にいうと、天皇家に藤原氏が娘を嫁がせて、外戚(母方)の一族として影響力を待つこと。幼い天皇(摂政)に代わって藤原氏(関白)が政治を行なっていくようになる。
「後期」は藤原系が母でない後三条天皇が即位。白河天皇から始まる「院政(自身が次の天皇へ譲位して上皇となった後、政治の実権を握ること)」により藤原氏の影響力が上皇に移る。
・藤原氏も上皇も直接的武力を持たなかった。
一時期の日本の軍事嫌いはWGIPや左派的な教育の影響だけでなく、このころからのもの(実際は縄文や弥生も考慮に入れる)なのではないか。
この根底に流れているのが「ケガレ思想」なのではないか。
・当時の権力者たちは蝦夷(東北勢)たちの制圧や白村江の戦いの敗戦がひと段落ついた時、武力を捨てた。この捨てた、というのは治安維持のレベルのものまで捨てた、ということで、それは国内は芥川龍之介の「羅生門」に表現されたような治安の乱れが生じさせた。
この結果地方の住民たちは独立で武装組織を立ち上げていった。これが武士となっていった。
ケガレ思想により直接武力を持つことを嫌う貴族たちは武士を雇うようになっていった。これが後に源氏や平氏にも繋がっていく。
▽感想
「白村江の戦い」と「天智系」、「天武系」については非常に重要なので、今後もしかしたら記事にするかもしれませんが、是非ご自分でも調べてみてください。
摂関政治を行なった藤原北家ですが、後に五摂家として別れ現在に至ります。
近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家
この内、近衛家からは近衛文麿という「先の大戦」時の総理大臣を輩出しています。彼も参加した第一次世界大戦のパリ講和会議で、当時の欧米列強勢力の植民地支配が常態化している中、一応の戦勝国として日本は「人種的差別撤廃提案」を主張し近衛文麿もこれに賛成していたといいます。
しかしこの提案は国際連盟の提唱者ウッドロウ・ウィルソンの手によって不採択に持っていかれたのです。
ちなみにこの近衛文麿ですが、以前から「コ〇ン〇ルン」という組織とのつながりが疑われているのです。
様々な時代と地域、領域を行き来して、善と悪をグルグルと巡らせてみてください。
https://note.com/kinuzuka/n/n734dc95945d4
それがあなたの「ブレーキ」となりますから。
https://note.com/kinuzuka/n/necbe3408a3e0
▽関連
https://note.com/kinuzuka/n/n98ff06aef1ad
