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「僕が僕であるために」異常と正常、精霊と社会「悲しみよこんにちは」


ルーズ・ベネディクト氏の「文化の型」の中から、「精霊」と「占い師」、「社会」と「異常」について抜粋します。

社会における”不適応者”の位置

 異常者が、文化的にかれらの中で選ばれた者としたら、”異常な”タイプが一つの社会構造で有用な働きをしていることはせかいのどの地域でもみられることである。シベリアのシャーマンはかれらの社会を支配している。シベリアの人々の考えによると、かれらは精霊の意志に従うことで、重い病気ー発作の襲来を治療してもらった人びとであり、このことで偉大な超自然的な力と比類まれな活動力と健康を獲得した人々である。何人かは、お召しの間、数年間というものは、激しい狂気の状態のままになっている。何人かは、いつも監視していないと雪の中にさ迷い出て、こごえ死んでしまうような無茶なことをするし、他の者は病気になって、死ぬほどやつれてしまう。ときには血の汗を噴いて。かれらの治療をするのはシャーマンの務めであり、シベリアの降神術の会が非常に力を尽くして、かれらを休息させ、すぐに同じ行為ができる状態にするのである。強硬症の発作は、シャーマンの行の本質的な部分とされている。
 シャーマンの神経症的な状態と、そのシャーマンをまわりの人々がどのように見ているかということを、古く、キャノン・キャラウェイが、見事に描きだしている。かれは南アフリカのズル族の一老人のことばをかりて、次のように述べている。
 占い師になるための条件は次のようなものである。はじめは丈夫そうに見えているが、だんだん身体が衰弱してくる。別段どこが悪いというのでもないのに、身体が弱ってくるのである。かれはいつもある種の食べ物を嫌がり、好きな物だけを偏ってとり、それもたくさんは食べない。
 いつも身体のあちこちが痛いと訴え、そして河の水に押し流された夢を見たと他の人に告げる。いろいろの夢を見、かれの身体は(河のように)泥だらけになる。まるでかれ自身が夢の住家になってしまったように、いろいろな夢を見続け、目がさめると友だちにこういうのである。
 ”今日、わたしの身体は汚れている。たくさんの人が寄ってたかって、わたしを殺そうとする夢を見た。どうやって逃げたかはわからない、が目をさめてみると、身体の一部が他の所とまったく違ったような感じがする。もう全体が一つの身体だという感じがしないのだ”
 そして、その男は本当に病気になってしまう。そこで、人々は占い師の所にお伺いを立てにゆく。占い師もすぐには判断をしかねるが、やがて、病人の頭が柔らかくなり始めていること、すなわち、シャーマニズムに関係のある感受性をもち始めたことを見出す。占い師だからといって、真実を知ることは難しいので、さまざまな無意味なことや、間違ったことを話したあげくに、この病人のもっているすべての家畜を、部族の精霊の食物として供え捧げるように命令する。その病人の財産を全部捧げても、病気はなおらない。病人の家畜が一匹も残らずなくなってしまうと、占い師たちは途方にくれてしまう。そこで友人たちが病人のために必要なものをととのえてやる。こうしているうちに、一人の占い師があらわれて、他の占い師たちのいうことはすべて間違っているという。”かれの中で動き回っているのだ。ある者は「いや、わたしたちの子供を傷つけたくはない。そんなことをしたくない」といっているのだ。かれの病気が良くならないのはみなこのせいである。お前たちが精霊の邪魔をすれば、この男を殺してしまうことになるのだ。なぜなら、かれはもう占い師にもなれず、かといって人間に戻ることもできないのだから”という。
 そうしているうちに、二年あるいはそれ以上の間も、その男の病気は癒らないままで、かれは家の中に閉じこもり、ついには頭の毛もまったく抜け落ちてしまう。身体はかさかさに渇き、フケだらけになるが、身体に油を塗ることも嫌がる。あくびをし続け、始終クシャミをして、占い師になり始めているきざしを見せる。かれがかぎ煙草を大層好み、煙草なしで長時間すごせないことからもそれはうかがえる。そして人々は、かれが何かしら良いものを与えられたのだということを知り始める。
 その後、かれは本当に病気になり、けいれんを起こし、水をかけるとしばらくの間、けいれんはおさまる。かれは絶えず涙を流し、はじめはひそやかに、しまいには大声をあげて泣き続け、人びとが眠っているときに騒がしい音をたて、歌をうたって人々の目をさます。かれは歌を作曲したのだ。男も女も起きてかれといっしょに合唱する。こうして村中の人々が睡眠不足に悩まされる。占い師に変わり始めた者は眠らずにほんのわずかなうたたねだけで、いろいろな歌をうたいながら目をさます。かれの近くにいる村人たちは、夜、かれが大声で歌うのを聞くと、村を離れていっしょに歌いに出かけて行くのである。かれは朝まで歌い続け、だれも眠らない。そしてまた、かれは蛙のように家の周りを跳びはねる。こうして、家のなかはもうかれにとっては狭くなってしまい、外にとび出して、歌ったり、水の中で草のように身体を震わせたり、汗でびっしょりになったりする。
 こんなかれの姿を見て、人びとは毎日、かれが死んでしまうに違いないと思っている。かれはもう骨と皮ばかりになって、人びとは明日の太陽はもうかれを生かしておきはすまいと思う。このとき、人びとはかれが占い師になるように励ますために、多くの家畜を殺して食事を供にする。ついに(夢の中に)古い祖先の精霊があらわれてかれに教える。精霊はかれに告げる。”だれだれの所に行くがよい。お前のために催吐剤(これを飲むことがシャーマンの入門式の一つになっている葉)を調合してくれるに違いない。そしてお前は本当の占い師になれるだろう。”かれはその葉をもらうために占い師の所におもむき、数日間静かにしている。そして今や浄められ、真の占い師となり、まったくの別人になって帰ってくるのである。
 それから後のかれは、生涯を通じて、精霊がのり移ると出来事を予言し、失せ物を探し出しすのである。
 ここに明らかなように、文化は、このように非常に不安定なタイプの人間にさえも、存在価値を与え、社会的に役に立つものとすることができる。もしも文化が、こういった人々の異常な特殊性を、人間の行動のもっとも価値のある変形として取扱うなら、この問題の人びとは、(このタイプは社会的に適応できるが、今一つのタイプはそれができないというわたしたちの通念とは無関係に)危急に際して、手腕をふるい、社会的な役割を果たすだろう。
 どんな社会でも、適切な働きができない人びとというのは、けっしてある特定の”異常な”性質をもっている人びとのことではなく、かれの社会への反応の仕方が文化の制度に支持されなかった人びとだということは十分ありうる。このような常軌を逸した人びとの弱さというのは大部分架空のものである。それはかれらが生きて行くのに必要な力に欠けるために生ずるのではなく、かれらの生来の反応が社会に認められないことから起こってくるのである。サピアの言葉を借りれば、かれらは、”とても我慢のならないこの世界から疎外されている”のである。

「文化の型」ルーズ・ベネディクト  米山俊直訳(講談社学術文庫)


動画は消えてしまったようですが、下記の内容と繋がっています。

その文化がこういった種の「異常」に対して占い師や、シャーマンというような役割を与えるとき、その文化の中に根源から湧き出る「悲しみ」を受容した、ホントウの意味での優しさを持つ個体を生成することに成功する。

少年はうつむきながら歩く。
何か大きな「力」が少年の心を地に強く押し付けていた。

少年はいつも何かが悲しくて、
悲しくて、
悲しくて、悲しくて
悲しくて、悲しくて、悲しくて、

次第に「悲しみ」を知覚する私を「善」として、そうでない「凡て」を「悪」としました。

「凡て」は人間ではなく、
肉の塊であり、
水の器であり、
大きなものに動かされて、
張り付いたツラと、
それでも人間と錯覚している傲慢な「ナニカ」でした。

「はじめにロゴスが居た」生きていく力について:導入「すいそう」


信じているから。

あなたが優しさという境地に辿り着けること。

人の価値は優しさ


想像していただきたいのが、そういった個体が一人でもいる集団と、
たとえば「統合失調症」といったような症状名を設定して薬漬けにすることで排除していく集団があったとして、ホントウの意味で人々が幸せに暮らせる「社会」はどちらなのだろうか。

あなたの中で「善」と「悪」は巡り始めましたでしょうか?



ところで、人びとは自分に関するあらゆる情報をクラウド神(いつわりのみたま)様に捧げるようになりました。
後々にはクラウドの中で「あなた」を再現できるようになるでしょう。

もしあなたがここまでで述べてきたような、

ホントウの意味でのやさしさ、
ホントウの意味での自立、
ホントウの意味での大人、

そうなるために根源から生じる「悲しみ」と向き合う「時」がきたとき、はたしてあなたの家族は、友人は、狂ったあなたと、クラウド内に作られたみんなの総意としての「いつも」の「あなた」の、どちらをホントウのあなたと「認識」するだろうか?

あなたの「悲しみ」を、あなた以外の人々はあなたの一部だと思って、想ってくれるでしょうか?

あなたと供にうたってくれるでしょうか?


そんなこと考えるのもしんどいですか?


残念ながらあなたは既に「あなた」になってしまっているのかもしれませんね泣泣泣



今日ひとつだけあなたの中の「許せない」とたたかえたなら…

明日ひとつだけあなたの中の「ほおっておけ」とたたかえたなら…

あなたに脊髄反射的に訪れる「気持ち悪い」とたたかうことができたなら、もしくは、許せることができるのなら…

そうやって誰かの存在を祝福できたのなら


その積み重ねが、最期の瞬間まで、
あなたをあなたたらしめるでしょう。


自分との闘いは認知的不協和との闘いの側面がありますが、その機能は自身を危険から守るためのものであり、必ずしも否定すべきものではないのです。

そうすると自分との闘いとは、「相手を疑う弱さ」と同時に「相手を信じる強さ」とも闘うことだと言えるのです。

一義性から解き放たれるタタカイ

https://note.com/kinuzuka/n/n0039dfbb6faf


魂を巡らし続け、心を揺らし続けてください。


最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。


〇今回の音楽



〇タイトル画像
ココペリイラスト - No: 1296861|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC

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