主語がデカい話をしよう。
「最近の若者は・・・・」
「これだから男は・・・」
「みんなもそう言ってたよ???」
全員、主語が大きくてうんざりする。
「最近の若者」?括るな。ライフワークバランスを求める若者も多いが、20代は経験!と言ってセルフブラック企業マインドを持っている若者も存在するぞ。
「これだから男は」??括るな。性別が違うから、どうしてもその分これまで求められてた役割や習慣が違うのは当然だろ。その背景を見ようとしろよ。
「みんなもそう言ってたよ」???括るな!というかみんなって誰だよ。個人の問題を「みんな」とすり替えて楽をするなよ。空想上の仲間で虚勢を張って脅しているつもりだろうけど、その浅はかさが透けて見える。
ご覧の通り、私は主語が大きい人がニガテです。
というか、誰かに自分を「括られる」事がとても嫌です。自分という存在を無視されている感覚になります。ご経験ある方も多いと思いますが、たまに「主語」がデカくなる人、いますよね。僕はずっとそういう人たちのことをずるいと思ってきました。デカい主語に甘えて思考放棄している気がして。
主語がデカい人に対してそんなまなざしを向けていた私ですが、実は文章を書くようになってから困ることがありました。
「自分の話ばかりしていても、何も手応えがないし誰かが読んでくれるわけもない…もしかして主語を大きくして、時代や社会について語らないといけないのか??でもそれだとあの人たちと一緒になっちゃう…どうしよう…」と。
そうです、主語デカめな人に対して否定的に見ていたせいで、自分の行動が制限されてしまったんですね。若林さんが「ナナメの夕暮れ」で忠告してくれてたのにな。
他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。
こんな悩みを抱えている時、「主語がデカい」に対する自分の解像度が低いことに気づきました。
主語のデカさには2種類ある、と。
①自分の責任を回避するための「隠れ蓑」としてのデカさ
初めにあげたような、自分の責任を主語のデカさに押し付けるやり口です。社会や時代、政治のせいにするならまだしも、嘘をついて空想上の勢力を味方につけるのは言語道断。自分を正当化するための手段でしかありません。この選択はとりたくありませんね。
②人と繋がるための「共通言語」としてのデカさ
時間がかかりましたが、気づいたのがこの2つ目です。「時代」や「社会」を語ることで共通項を見つけ、人とのつながりが生まれるのだと思います。個別具体的な出来事から抽象的な概念へと次元を上げることで、共感を得やすくなるのです。
これに気付かされたのが三宅香帆さんの「話が面白い人は何をどう読んでいるのか(新潮新書)」の一説でした。
著書の中では、読んだものや観たものをネタに変える技術を「鑑賞の技術」とし5つにまとめています。その中の1つに、「抽象」の視点がありました。抽象って、分かるようでよく分からないですよね。抽象とは、バラバラなものを1つにまとめることです。例えばブドウやりんごはそれぞれ「紫で1粒直径3cmくらい」「赤くて直径10cmくらい」といった具体的な特徴がありますが、抽象度を高めると『果物』という1つの言葉でまとめられます。
三宅さんは様々な映画や小説、ドラマの中にある共通項を見つけ、時に「時代」や「社会」というデカい主語について語っていました。特に面白かったのが、「こっち向いてよ向井くん」と「逃げるは恥だが役にたつ」の共通項が「草食系男子」であり、その姿が社会的背景と共に移ろっているという話です。(細かい内容は実際に本を手に取ってお読みください!5つの視点について2022〜24の作品をこれでもかと用いながら分かりやすく解説してくださっていてめちゃくちゃ面白いです!)

正直「令和の人文女王」と言われている三宅さんが「主語デカめ」なことを語っているのは驚きでした。なぜなら最近の風潮として、「主語がデカい」ことを語るのは“悪”とだと思っていたから。もちろん時代や社会を語る上で、その裏に入念な下調べや勉強があるとは思いますが、飄々と語っている文章を見て素敵だなと思いました。よく考えたら、「主語がデカい人」という主語もデカいですね。笑
結局、主語がデカい時に①になるか②になるかは、「括り方」の問題です。保身のために括っていたら①、人と繋がるために括っていたら②です。自分勝手な人って、ムカつきますよね。せっかく本を読んで言葉を得ているのですから、素敵な『括り方』をしたいと私は思います。それにいつまでも主語のデカさにビビっていたら、何も生み出せません。語らなければ、何も始まりません。
この世を「0か100か」で判断するよりも、「0から1」を生み出すことにスポットを当て続けようと思います。
2026.04.19
