ニュース断ちの結果:気が滅入るのはニュースのせいじゃない
ニュース断ち→ニュースを追う現状
この頃、経済ニュースを熱心に追っている。
ラジオを聞くことが多い。
そんな私だけど、一時はニュースというニュースを遮断していたことがある。
世の中の動きを把握していないとな、とニュースを一応チェックするものの、見るたびにため息がもれる日々に嫌気が差したから。
なんといつの間にか総理大臣が変わっていて、しかもそれが日本初の女性首相だというから驚いた。
それくらい、徹底して情報を避けていた。
それで気づいたのは、ニュースを見ないからといって別に心の平穏は訪れないということ。
ニュースを見ていると、アレとコレとで情報が繋がってむしろ面白いこと。
そして、気が滅入るのはニュースという情報のせいではないことだ。
本当にストレスの原因になっていたものは
私が見たくないと思っていたのは、ニュース=世の中の動きの方ではない。
ニュースを発信する人たちの、ネガティブな見解や問いかけから逃げたかったんだと思う。
状況に対して不満や困りごとをコメントする一般人。
争う街中の人々。
政治のここが問題だと呈する有識者。
彼らの怒りや悲しみや偏見や失望感が、ニュースというものに付随して流れてくる。
ニュースを見るだけで気が重くなるのは、気が重そうな人がそこに映っているから、というだけのことだったのかもしれない。
私は、自分で自分の状況の悪さを際立てていたらしい。「世の中は大変なことになっているっぽいけど、私は大丈夫だよね!」とはなかなか考えづらいから。
自分の状況はニュースの内容とゆるく関係する程度でも、「自分にも困難が波及するかも」やら「この先どうなっちゃうんだろう」やら、漠然とした不安が湧き出してくる。
じゃあ、その不安ってなんなんだ?
現状自分が困っていること。
誰かが困っていること。
自分が明確に不安に感じていること。
誰かが不安に感じていること。
自他と事実と感情が入り混じって、実体のない大きなストレスになる。ストレスは判断力を鈍らせるので、よけいに区別が下手になって「なんか困っているような」気になる。
特に情報番組は苦手だった。ニュース部分とエンタメ部分の温度差で風邪を引きそうだった。
そういうわけで、私はニュースを見るのをやめた。
そして、自分の気持ちの問題だったことに気がついて戻ってきた。
ニュースを知らなきゃ困る?
ニュース断ちしていた間のこと。無論、人が喋っていることがわからないなんてことは頻発した。
でもニュースで語られるようなことは、「表層」や「結果」なのだ。大事なことはその影響だとか、その背景に何があったのか、ということ。
“過去”と“未来”を読み解くツールとして、ニュースは機能するものだ。
自分が渦中にいるなら、ニュースよりも早く、望むと望まざるとに関わらず、話は入ってくる。それには実感がともなう。
わざわざ「ニュース」を持ち出さずとも、同じ前提のもと話は進む。
興味があることなら調べるので、知りたいことを知りたいように知ることができる。知らなくても困らないことなら、無理やり聞かされたって頭に入らないと私は思うし、人は誰しも偏っているものなので、明らかに疎い分野があってもあまり気にしなかった。
私含め、自分に関係の深いニュース以外は、ただそういう風に報道されたということしか知らない人が多かったし、話がわからなくても特に困ることはなかった。
世間話のように持ち出されるニュースの話題は、せいぜい“今”知っていることの確認作業くらいにしかならないから。ついでに「やばいよねー」なんて共感フェーズを挟み、5分後には忘れる。
事件に関して意見を求められたって、大して事情も知らない「表層」をもとに考えることなんか感想の域を出ない。「当事者でもないし、これだけでは何とも言えないよね」と前置きして、表に出ていない「事情による論」を展開することでお茶を濁した。
こんなのって、天気の話をするのと何が違うというのか……。
たどり着いたシンプルな情報収集のしかた
ちなみに、総理大臣が誰か知らないなんて言わなければバレない(私も、目の前の人がそれを知らないなんて考えたことがない)。
そして「誰が総理大臣をしているか」よりも「政府が何をしているか」がわからないほうがよっぽど不安を増長するよなあと思った。経済については特に。
なのでこれに関しては知りたいと思って広報サイトで政策を調べてみたところ、カネについて調べるだけでも世の中の動きは大まかに把握できるのでは?と思い至った。
結果、経済ニュースだけ追うことに。
まあ起きていることは変わらないのだけれど、下手に不安を煽られる機会は減る。
私はなんにも知らないのだとはっきり知ることができただけでも、“一応”ニュースを追っていたときより気持ちは安定した。
ニュースはただの情報。材料となるのはただの現象。心をかき乱すのは、いつだって事実じゃなく感情の応酬。
その点経済ニュースは、「カネの動き」に重点を置くものなので「気持ち」の部分はあまり取り沙汰されない。ニュースの内容は同じなのに、受け取る情報量は全然違う。
渦中の人の姿が中継されたりしないし、番組を間違えなければ語り手の思想が入ってくることもない。淡々としていて実に快適。ノイズなしの情報提供をしてくれる。
世の中が大変じゃないということにはもちろんならない。けれど、意図を持って挟まれる「ニュース以外の情報」は避けるまでもなく削られている。だから私は、想像を膨らませることなく情報収集を終えられる。
考えたいことに集中できるようになってようやく、心の平穏が手に入った。
ニュースを見ないことではなく。
それでは、よい日を。
