善意はいつ支配に変わるのだろう。
善意とは、何でしょう。
私は、「相手に幸せになってほしい」と願う心だと思います。
苦しまないでほしい。
失敗してほしくない。
力になりたい。
そんな温かい思いから生まれる行動です。
だから、善意そのものは、とても尊いものです。
でも、人の心は、とても繊細です。
相手を大切に思う気持ちが強くなるほど、
「こうした方が幸せになれる。」
「こうした方がうまくいく。」
と思うようになります。
その思いは、最初は純粋な願いです。
けれど、その願いが少しずつ、
「だから私の言う通りにした方がいい。」
「私の言うことを聞かないから、うまくいかない。」
という思いへ変わったとき、善意は静かに形を変え始めます。
息子が不登校になった頃、私は、すごく辛くて苦しくて、
私は本当に息子のために動こうとしているのか、それとも、この苦しい状況から早く抜け出したくて、自分が楽になりたいだけなのか、わからなくなってしまった時があって、
親だから苦しい。
親だから何とかしたい。
そう思うのは自然なことだと思うんです。
でも、その「何とかしたい」が強くなりすぎると、いつの間にか子どものためではなく、自分自身を楽に、安心させるための行動になってしまうかもしれないとそれをいつも自問自答してました。
そんなときに出会ったカウンセラーの先生は、不登校になった理由を一度も聞きませんでした。
一言だけ、「ご自分の息子さんです。信じて待ちましょう」
それだけだったんです。
その時に、「信じて待つ」ということを味わって、学んだように思います。
待つことは、何もしないことではなくて、
信じること。
寄り添うこと。
必要なときには手を差し伸べること。
でも、その子が歩く一歩までは奪わないこと。
それが、本当の意味で支えることなのだと教わりました。
善意は、相手を大切に思う心から始まります。
だからこそ、その善意がいつの間にか「こうあってほしい」という自分の願いに変わっていないか、ときどき自分の心を見つめることが大切なのだということも、その時に気がついたように思います。
相手を思うことと、相手を信じること。
この二つがそろったとき、善意は支配ではなく、その人が自分らしく生きる力を支える、本当の優しさになっていくような気がしています。
今日も読んでくださってありがとうございます💕
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