死生観を子どもにどう教えるか
長女と次女が、金魚を飼い始めた。
それから1週間経った。
長女の金魚は元気に泳いでいる。
次女の金魚は、ちょっと元気がない。
だんだん、水面の空気を吸い始めるようになってきた。
経験的にわかる。この状態は、あまりよろしくない。
一応、できる範囲で気にはかけていた。
えさはちゃんと食べられているか。逆に食べ過ぎてないか。
水質のショックはないか。
もう1匹にいじめられてないか。
どれも問題なさそうだった。でもだんだん弱ってきている。
私の浅い知識では、できることはなさそう。
うすうす、時間の問題かなあと思っていた。
金魚の病院は無いの?
ある朝、水槽を見たら、次女の金魚はモーターの水流に流されながら、横を向いて泳いでいた。まだ生きているが、これはもうだめだなと思った。
しばらくしてムニャムニャ起きてくる次女。どうしようかなと思ったが、伝えることにした。多分、この子はもう長く生きられないよと。
次女がポロポロ涙を流す。「金魚の病院は無いの?」。お父さんは金魚を見てくれる病院を知らない。おそらく、見てくれる病院は無い。私は出勤した。その後、妻の話では、なんとか次女は学校へ行ったようだ。
妻はまだお腹に管が入っていて自宅静養。たまに金魚の様子を見て、亡くなっているようだったら水から取り出して、ティッシュのベッドに置いておいてほしいと頼んでおいた。帰宅したら次女と一緒にお墓を作りに行こうと。
そして夕方、次女が帰宅。死んでしまったと伝えたら、泣き崩れたらしい。しばらくは金魚を見にいけなかったが、気を取り直して見にいった。そして、バラの鉢植えから一輪取って、金魚のベッドに乗せた。ティッシュのベッドに合うような、ティッシュの枕も作った。パパが帰ったらお墓を作りに行くんだと。
私は夜、帰宅した。ではお墓を作りに行こう。数年前に飼っていたザリガニのお墓を作った場所だ。ここなら寂しくないよねということで。「天国に行ってね」というお祈りを2人でした。
「あの子はね、他のお魚のエサとして売られてた金魚だったんだよ。食べられるよりも、ちゃんとごはんももらえて、ティッシュのベッドで天国に行けるから幸せだったんじゃないかな」と、無責任な慰めもしてみた。
死生観をどう培うか
ある意味、たかが金魚1匹が死んだという出来事ではある。ただ、死ぬということを間近で娘に伝えられた出来事であったなあと。死ぬ前の弱っているところも見たし、金魚が死んだ姿も見た。そしてお墓を作って、天国へ送るお祈りもした。
死生観を培うのは難しい。ある種、正解の無い問いではある。正直、教え方がわからない。天国はあるのか?娘は無条件に「死んだら天国へ行く」と思っている。私も人生の途上いろいろ考えたが「天国はある」と断定している。また、なぜお葬式があるのか、やる必要はあるのか。私はこのステレオタイプな儀式をずっと疑問視してきたが、本当に大切な人を失った時に理解した。死んだ人のために葬式をやるんじゃない。残された人のために葬式があるんだと。
いろんな死を経験して、自分なりの死生観を作っていってほしいな。死生観の持ち方って、人の幸せに直結することなんじゃないかと私は思っている。
この金魚ちゃんは、うちの娘に大切なことを教えてくれたよ。ありがとう。親として心からお礼を言います。天国で健やかに。
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