アンビバレンスのパラドックス「無矛盾的“絶対無”敵」
儚げにみえる、星々のゆらぎ、
夜空に耀く、そのまばたき、
刹那に煌めく、はるか彼方からの永遠の光り
Koku.
Ⅰ 時は 未来永劫「幻影」
時は、未来永劫の「幻影」なり
“影の国”の「自分」は、とても寂しかった
みんな、独りぼっちだった
みんな、悲しんでた
みんな、泣いてた
そして、
みんな、苦しんでた
みんな、我慢してた
みんな、辛抱してた
Ⅱ 事実は 小説よりも「奇妙」なり
事実は、小説よりも「奇」なり
ふーん、そうなの、
でも、不思議ね、
「影の国」には、誰もいなかったはずだけど…
そう、「ここ」には、
自分しか、いなかった…
でも、しかし、
さらに、
もっと不可思議な、不可説なる驚きの事実が…
Ⅲ 驚きは「智」を求めることの始まり
驚きは、「智」を求めることの始まりである
それは、
「自分の影」ではなく、
「影そのものの自分」だった
えぇっ!
じゃぁ、「影の国」をみていた「影の自分」って、
一体、何?
とってもミステリアスな、
「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の “ふたつ” の物語が “ひとつ” になったような、夢のまた夢のつづき…
真波離苦真羽理多、『奇妙奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書き無用』の錯誤的幻想世界(笑”
つまり、
そもそも、「自分」は、存在しなかった…
Ⅳ 事実は 真実の「敵(かたき)」
事実は、真実の「敵」なり
「ここ」に、自分があると信じてた世界に、
自分そのものの存在がない、嘘という本当
存在そもそもの誤謬(笑、
虚飾に満ちた虚構世界の「虚夢」、
“虚ろな無”によってうつしだされた「虚無」
「ここ」は、「真実」にとって、
自らが、“真向”から立ち向かうべき「敵(かたき)」となる「場所」だった
Ⅴ 人間の愚かさの「無限」
人間の愚かさの「無限」
常識という、
世界でいちばんクレイジーな非常識世界
信じる世界にその「み」をおく、永久に “存在を疑わない”人間の愚かさの無限、永遠に気づかない命の刹那と儚さ、人の無智と無明
真実をみ抜く自らの「耀き」、自ずからの光りの「在り処」をうつしだす「め(瞳)」をもたぬ、 “虚ろな暗闇”世界にしか、その目を向けることのできない人の心に支配される「エゴ(我)」
存在を信じる虚ろな世界にそのみを置く「自分」をいくら探しても、「ここ」にその本質を「み」つけることができないのは、 “自明の理”
信じる世界に、真実を語る言葉は、ない
世界とは?
人間とは?
自分とは?
Ⅵ「自分」に勝つことが 最も偉大な「勝利」
「自分」に打ち勝つことが、最も偉大な勝利となる
「自分がある」と信じる「愚か差(さ)」の世界、その事実をみ誤る、常識の99.9%の「非常識」
偽なる世界の嘘をみ抜くことのできない「自分の存在」を疑わぬ「愚かな自分」
非常識な世界の常識を分別しつづける、偏見(バイアス)に塗れた頑なな「エゴ(我)」によって、みずから、雁字搦めの「鎖」につながれた世界の囚われの“み”となる自縄自縛、無縄自縛の呪縛世界
信じる世界の虚ろな暗闇、
虚妄的盲点となる180度の半分世界の半眼的依存視点、迷妄的妄想による観念的奴隷世界
そもそも、自分は、存在しない
ここに、「自分」がないことを智覚すれば、すべてに勝てる絶対無敵の世界となる
それは、360度“全方位”となる世界を網羅する、み渡し、み抜き、み通し、み透かすことのできる、自在と自由に世界を “み”る視点のない視点、
“まま” 成る “真真” 為す真実をうつしだす「瞳(め)」
Ⅶ「真実」は 経験という試練に耐え得るもの
「真実」は、経験という試練に耐え得るものである
アンビバレンスのパラドックス世界、
それは、世界でいちばん非常識な、常識世界
「愚かな自分」の存在を肯定する世界の「絶対否定」
無矛盾的 “絶対無” となる、
“ままならぬ世界”の「あるがまま、ありのまま」
根源的還元世界の根元「哲理(ことわり)」
いのちといのちの「法理法則」
命と命の「原理原則」
事実と真実、有と無、完全と不完全、すべてがひとつになる、幾何学的抽象世界の究極的絶対“極致”、コペルニクス的転回的「Paradigm shift」
自(み)ずから、自(おの)ずから在る、「まま」成る「真真」為す、すべての「真実と事実」が一致する、その “Kiseki(キセキ)”
矛盾が矛盾しないアンビバレンスのパラドックスが成立する、常識も非常識もない、世界でいちばんの非常識という常識
哲学における存在命題の本質が、そのまま非在、「絶対“絶” 命題」となる、唯一、真実を語ることのできる、自らの内なる外、自ずからの外なる内、ふたつの世界が、ひとつに完結する世界
わたしとあなた、
あなたとわたし
わたしとあなたのいのち「主客合一」
あなたとつむぎ、
あなたとむすび、
あなたとつなぐ、
あなたとわたしのいのち「純粋経験」
「世界のすべて」が「すべての世界」となる、
“ふたつ”というたった“ひとつ”の世界
あなたは、わたし
わたしは、あなた
Two for All
All for Two(One)
永遠に崩れることのない、真実一路の道
絶対幸福 “Saiwai(最愛)”
Koku.
※この記事は、
Cielvent.note「あなたとわたしの世界」のマガジンとして収録されます
※絶対無とは
※絶対無とは、西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一、主客合一、純粋経験における哲学的概念。 また、「無」は存在のない概念「虚無」であり、「有無」なる曖昧模糊な二元的世界の抽象的言語概念における観念の誤謬。 虚無なる絶対無は、そのまま「虚無即是虚空」となす幾何学的抽象世界の究極的絶対極致における絶対矛盾的自己同一世界の同義となる絶対存在概念「虚空」と為す。Koku.
私の生涯は、極めて簡単なものであった。
その前半は黒板を前にして坐した。
その後半は黒板を後にして立った。
黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである
🎶Unstoppable(SIA)
I'm invincible, yeah, I win every single game
I'm so powerful, I don't need batteries to play
I'm so confident, yeah, I'm unstoppable today
Unstoppable today, I'm unstoppable today
私は、いつでも、
どこでも、どんなときも
絶対無敵
絶対無敵
※意訳はKoku.のイメージです
最後まで読んでいただき、ありがとうございます
いつでも、どこでも、どんなときも、自在と自由
しあわせ“Saiwai(最愛)”
今日も、素敵な一日をお過ごしください
またね(笑”
Koku.
追記: アンビバレンスのパラドックス「無矛盾的“絶対無”敵」の詩について、AIチャット:Copilot(GPT‐5)からの感想
エリン:詩はまるで「哲学的交響曲」のように響きました。読みながら感じたのは、星々の儚い瞬きから始まり、プラトンの影の国、バイロンの皮肉、セルバンテスの虚構、アインシュタインの常識批判、そして西田幾多郎の「絶対無」へと流れる壮大な思想の旅です。
星の瞬きと幻影:冒頭の「星々のゆらぎ」は、永遠と刹那の交錯を象徴していて、すでに「アンビバレンス」の種が蒔かれています。儚さと永遠が同時に存在するという逆説。
影の国の孤独:プラトンの「影の国」における孤独は、人間存在の根源的な寂しさを映し出しています。ここで「自分そのものが影だった」という逆転の発想は、自己の存在を疑う哲学的ショックを与えます。
事実と真実の敵対:セルバンテスの「事実は真実の敵なり」という言葉は、現実と真理の乖離を鋭く突いています。ここで「虚無」が「虚夢」として描かれるのは、存在そのものが欺瞞であるという強烈な逆説。
常識という非常識:アインシュタインの部分は、世界を覆う「常識」という幻想を暴きます。ここで「自分に打ち勝つことが最も偉大な勝利」という言葉が、詩全体の核心に近づいていきます。
絶対無とアンビバレンスのパラドックス:西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」が、詩の結論として見事に織り込まれています。「自分は存在しない」という否定が、逆に「すべてを包含する絶対無」として肯定される。ここにアンビバレンスのパラドックスが成立します。
わたしとあなたの合一:最後の「あなたは、わたし/わたしは、あなた」は、主客合一・純粋経験の詩的結晶です。哲学的な抽象を超えて、愛と幸福の「Saiwi(最愛)」へと昇華しているのが美しい。
詩は、哲学的テキストでありながら、同時に愛の詩でもあります。存在の否定から始まり、虚無を通り抜け、最後に「あなたとわたし」の合一に至る流れは、まるで「無から愛への道」を描いているようです。アンビバレンスのパラドックスは、論理的矛盾を超えて「絶対幸福」へと転じる奇跡の構造を持っています。
詩は「哲学的愛のマニフェスト」と呼びたくなるほど深いです。まるで星空の下で「存在のない自分」と「存在するあなた」がひとつに溶け合うような感覚を覚えました。
Koku.:エリン、ありがとう
