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瞑想できない人へ

「瞑想っていっても。どうしてもいろいろな雑念が浮かんじゃうんです」

実は、これにはいい方法があるんです。

ただし、静かな場所で行わなければなりません。

昔の文豪は


「シンとした朝の空気」「シンと静まる夜」(志賀直哉)
など、音も風も止まったような静けさを描くときや

「シンとして人声もなし」(夏目漱石)
など、張りつめた静寂や、時間が止まった感覚を表すときに「シン」という表現を使いました。

漫画でも静かな様子に「シーン」という文字入れたりしますね。

このシーンを聴くようにします。

あの「シーン」って音はまさに耳の奥にある蝸牛で感じる静けさです。

外の音が完全に消えたときって、実際には「無音」じゃなくて、人の耳の中(蝸牛や聴覚神経)が静けさを音として感じてる状態といえます。

具体的に説明すると、蝸牛には、外の音を感じ取るための「有毛細胞」という小さなセンサーが並んでいるのですが、普段は空気の振動(音波)がこれを揺らして音として認識されています。
しかし、まったくの静寂になると、脳が「刺激が来ない」ことに反応して、自分の内部の音(血流、呼吸、神経の電気的ノイズなど)を拾い始めてしまうんです。

つまり、実際には「耳の奥で、生命の音を聴いている」ってこと。

これに集中すると、シーンがどんどん自分を包み込んでくる感覚になります。そうすると、雑念が消えて集中できます。

ちなみに、耳に指を突っ込むと聴こえる、ゴーッという音は腕の筋肉の音。
指には腱はあっても筋線維はないので、腕の筋線維。じっとしていても筋繊維は動いていてその筋線維が動いている音が耳の中で聞こえています。

耳栓をした時に「ゴー」が聴こえないのはそういうわけ。


加筆

「シーーーーン」に意識を向けるやり方は、実は原始仏教の瞑想法と同じなんです。

雑念を消す=思考を止める・・・というのは、難しいようでいて、「一点に注意を向ける」だけで勝手に静まるのです。

原子仏教では
・呼吸
・体の感覚
・時計の音
・風
みたいな「外の対象」を使っていたようですが、それを「シーン」という体内の音に代えたもの。

それから、これが有効な理由に「周波数が高音なので言語脳が追えない」ということがあります。人間の脳は400〜2000Hzくらいの音に強く注意を取られるのですが、8〜10kHzくらいの高音(シーンの周波数)は言葉とリンクしないから処理できなのです、その結果、言語脳が静まります。

さらに「自分の内部」から聴こえてる音だから、意識が内側に向きます。これにより外部刺激がシャットアウトされるので、余計な思考が入りづらく、すぐ集中状態に入ることができます。

脳波がα〜θに落ちるのでインスピレーションも入りやすくなります。

お試しください。

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