あの時の切り絵を探して ─ デヴィッド・ボウイとの約束
2013年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された『David Bowie is』。
私はロンドンでのオープニング・レセプションに出席し、その後、ベルリンでの展示にも足を運びました。
音楽だけではなく、衣装、様々な資料、手紙、アート作品、そしてファンから贈られた品々まで──。
デヴィッド・ボウイ本人は、この回顧展に対して、どこか距離を置いている…
そんな話も耳にしていましたが、それでも会場は、デヴィッド・ボウイ『そのもの』が展示されているような、素晴らしい空間でした。
2016年、突然の訃報が世界を駆け巡ります。
1月8日、ニュー・アルバム『★』ブラック・スターが発売され
「今年はもしかしたら再会できるかもしれない」
「ツアーがあったら…何年ぶりになるんだろう」
わくわくしながら、友達とそんな話をしていました。
その日は、成人式へ向かう晴れ着姿の姪を見送り、私は部屋でゆっくり過ごしていました。
そこへ、ヤッコ(高橋靖子)さんから電話がかかってきたのです。
いつもは明るく 「一美さ〜ん」 と話しかけてくれるのに、その日はどこか様子が違いました。
「デヴィッドが死んだって…本当?」
「まさか。ニュー・アルバム出たばかりですから。酷いガセネタですよ」
まだ、“フェイクニュース”なんて言葉も一般的ではなかった頃です。
私は、一抹の不安を抱えながら、
「関係者に問い合わせしてみます」
そう伝えて電話を切りました。
連絡した友人も、
「ないない。ガセネタだよ」
私と同じことを言いながら、調べ始めてくれました。
けれど数分後──
「本当だった。オフィシャルで発表されてる」
「うそ……うそだよ…」
それ以外、言葉が出ませんでした。
彼は鋤田さんへ連絡し、 私はヤッコさんへ電話をしました。
電話の向こうで、ヤッコさんは小さな悲鳴をあげ、 私たちは言葉も出ないまま、 混乱した状態で電話を切りました。
その時も涙は流れていたと思います。
けれど、あまりにも大きなショックで、当時の記憶は今も所々曖昧です。
訃報の直後から、私の周りには、 現実を理解できない人、 受け止めきれない人たちが溢れていました。
夕方になると、日本のテレビやニュースでも速報が流れ始めます。
私は部屋で一人、テレビ画面を見つめながら、大泣きしました。
リアリティ・ツアーで別れる時、
「また会おう!」
って言ったじゃん。
去年、メールもくれたじゃん。
なんで?
悲しみと混乱、 そして理由のわからない怒りのような感情まで、心の中で渦巻いていました。
目の前に現実があるのに、 頭も心も、それを理解したくなかったのです。
それでも──
『デヴィッド・ボウイ』が旅立ってしまった世界に残された私たちは、立ち止まることを許されませんでした。
鋤田事務所には、世界中から電話やメールが殺到し、 メディアからの問い合わせも次々と入ってきました。
「葬儀の情報はありますか?」
「インタビューを」
「写真の使用許可を」
そんな混乱の中、鋤田正義さんがラジオの追悼番組へ出演することになり、私も同行させて頂きました。
ニューヨークと国際電話を繋ぎ、現地情報を伝える場面もありました。
2016年は──
『★』ブラック・スターという新しい作品が届けられた喜びと、 その2日後に…デヴィッドが旅立ってしまった悲しみ。
その両方に、心を大きく揺さぶられた一年でした。
翌年、2017年。
寺田倉庫で『David Bowie is』が開催されました。


大切な人たちと集い、 一緒に衣装や資料を日本で見ることができた。
それは確かに嬉しいことでした。
けれど、その衣装を身に付けていた人は、もうこの地球にはいない。
ロンドンやベルリンで見た展示と、内容はほとんど同じなのに、何かが違う。
そこには、一番会いたい人…
『デヴィッド・ボウイ』だけが存在していませんでした。
その喪失感を、私はどうしても打ち消すことができなかったのです。
そして、2018年──
行く予定ではなかったニューヨークでの展示。
そこが、『David Bowie is』巡回展、最後の開催地になると知った時、 私は、地球を離れてしまったデヴィッドのことを想い、 どこか淋しい気持ちになっていました。
回顧展が終わったら、『デヴィッド・ボウイ』という歴史…時間が止まってしまうのかな?という怖さも感じました。
そんなある日──
友達と、他愛もないLINEのやり取りをしていた時でした。
「これは、功野さんのものではないの?」
その一文と共に、ひとつのリンクが送られてきました。
何のことだろう?と思いながらクリックすると、そこには、見覚えのある画像が表示されていました。
映画『地球に落ちて来た男』のワンシーンを切った、切り絵作品。
私が作り、1996年にデヴィッド・ボウイへ贈った作品でした。

「これ、私のだ。たぶん、1996年にデヴィッドにあげたやつ」
私はそう打ち込み、手元に残していたレプリカ作品の写真を友達へ送りました。
でも、その時の私は、まだ状況を理解できず…
ピンときていません。
なんでネットに載っているの?
どうして?
何が起きているの?
リンク先は、ボウイのオフィシャルサイト『BowieNet』でした。そこには、“デヴィッド・ボウイが所有していたファンアート”として切り絵作品が掲載され、
「デヴィッドは、いつかこれらを展示することを夢見ていた」
そして、
「制作者の情報を知っている方は連絡をください」
というメッセージが添えられていました。
「まじか!?功野さんの切り絵が、ボウイの遺品の中にあって、ブルックリン美術館に展示されてるってことじゃん。おめでとう」
友達からそう言われた瞬間、
「あ……そういうことか」
私はようやく状況を理解しました。
驚きと、感激と、そして――
旅立ってしまったデヴィッドから、とんでもない“贈り物”を受け取ったような気持ちになりました。
翌朝、私は「ニューヨークへ行きたい」という、夢みたいな計画に向かって動き始めていました。
友達は『BowieNet』へ連絡を取り、私はレコード会社の関係者の方へ問い合わせをしました。
その結果、
確かに私の切り絵作品が2点、ブルックリン美術館に展示されていること。
そして、会期中のチケットは、すでにソールドアウトしていることなどがわかりました。
さらに、
「もし行かれるのであれば、チケットを手配しますよ。ブルックリン美術館で作品が展示されるなんて、そうそうあることじゃないですよ!」
そんな言葉までかけて頂きました。
私は電話を切った後、ニューヨーク行きについて具体的に考え始めました。
けれど――
旅費の問題。
そして私は、2016年から難病『重症筋無力症』を患っており、一人での渡米には不安しかありませんでした。
数日考えた末、 私は諦めることに。
デヴィッド・ボウイへの感謝の気持ちだけを胸にとどめて
「ニューヨークへ行くのは諦めます」
私は、空元気を出しながら友人たちへ、そう伝えました。するとひとりの友達が、
「旅費のことは心配しなくていいから、一緒にニューヨークへ行きましょう!」
と、信じられない提案をしてくれたのです。
彼の仕事の都合で、ニューヨーク滞在は一泊だけ(笑)。それでも私は、その申し出を、感謝と共に喜んで受けさせて頂きました。
1996年にデヴィッドへ贈った切り絵作品。
22年の時を経て、その作品と再会するための“一泊三日弾丸ニューヨーク旅行”が、こうして始まったのです。

ニューヨークでの滞在時間を少しでも長く使うために、スーツケースは持たず、手荷物だけにしました。
リュックと小さなバッグの中に、携帯電話、パスポート、薬、一泊分の着替え…ぎゅうぎゅうに詰め込んで。
そして私は杖を持ち、友達と共に飛行機へ乗り込みました。
22年ぶりのガラスケース越しの再会
JFK空港からタクシーで向かったのは、ブルックリン美術館。
寺田倉庫で開催された『David Bowie is』とは、違う展示作品もあり、時間のない中でも、私は夢中になって会場を見て回りました。
そして出口近くにあった、『ファンアート』のコーナーへ。
絵画や手作りの小物が、壁やガラスケースの中に並ぶ中、私の切り絵作品は、ケース中央に展示されていました。
いろいろ動いてくださった関係者の方が、
「とても良い場所に展示されていますよ」
と言ってくださったことを思い出しました。
私は、ガラスケース越しに、食い入るように切り絵を見つめました。
黒い紙は、
シワもなく、
よれもなく、
破れもなく、
1996年、デヴィッドへ手渡した時のまま、驚くほどきれいな状態で残されていました。
その瞬間、
「カズミ、驚いた?(笑)」
「切り絵、続けてる?」
そんなふうに、宇宙のどこかからデヴィッド・ボウイが話しかけてくれているような気がしました。
私は22年という時を超えて、
切り絵作品と、
デヴィッド・ボウイとの記憶と
静かに再会したのです。

鋤田さんの言葉
帰国後、鋤田さんとお話する機会がありました。
「長年、ボウイのことで、いろいろフォローしてもらってたよね。僕の記憶があやふやだったり、曖昧だったりして、助けてもらってきた。功野さんが切り絵をやってることは知ってたし、ボウイに渡した時、記念写真も撮ったよね(笑)。今回の話を聞いて…ボウイが作品を持ち続けていたこと、それは凄いことだと思うんだよ。あなたの作品を認めて、アーティストとして同等だって思ってくれたんだと思うんだよ。ブルックリン美術館に展示されたってことはさ、僕とも肩を並べたともいえるんだよ。あなたは、今まで、デヴィッド・ボウイファンてことで、『ファンの人が切り絵を作ってる』だったけど、今回の出来事で、切り絵作家、アーティストの功野さんはボウイファンで…って自信を持って、活動すれば良いよ。
そして、幸運にも、デヴィッド・ボウイの身近にいることができた我々は、彼の素晴らしさをもっと広める役割を果たさなければならないと思うんだよ。記憶を記録として…語り部としてがんばっていこう。功野さんももっと積極的に世に出なきゃだよ。僕も応援するから」
そんな言葉をかけてくださり、2019年、鋤田さんの働きかけで、福岡六本松蔦屋書店で切り絵展を開催することができました。
私は今も、切り絵を続けて、デヴィッド・ボウイとの思い出を綴らせて頂いています。
デヴィッド・ボウイとの約束
2025年。
ロンドンに『デヴィッド・ボウイ・センター』がオープンしました。
『David Bowie is』で展示されたものや、ボウイ・アーカイブから提供された資料など、8万点以上が保管・展示されているそうです。
デヴィッド・ボウイの遺品として見つかった、私の切り絵作品。
今、その作品はどこにあるのだろう。
そんな思いから、私はセンターへ問い合わせを続けています。
自己紹介。
切り絵を渡した時の記念写真。
ブルックリン美術館で展示された時の記録。
それらを添えて何度かメールを送りました。
「メールは受け取りました」
という返信は届くものの、作品についての返答は、今もまだありません。
個人的な問い合わせです。一人ひとりに対応して頂けないんだろうな…そう思うので
ボウイ・センターのサイトをチェックして、展示リストが更新されるのを待つ日々を送っています。
もし、あの時の切り絵作品が保管されているのなら──
もう一度、会いたい。

1996年、デヴィッドへ手渡した時の想い。
22年後、ブルックリン美術館で再会した時の驚き。
その時間ごと、 もう一度抱きしめるように、 切り絵作品と向き合ってみたいのです。
2016年、『★』ブラックスターが発売された時。
私はジャケットを見て、 どこか…
「切り絵みたい」
と感じました。

もちろん、それは私の勝手な想いです。
世界中の誰よりも、 デヴィッド・ボウイのことを理解している、 なんて言うつもりもありません。
けれど、黒と白。
削ぎ落とされたような世界。
その表現の中に、 私はどこか、自分が長年向き合ってきた“切り絵”と通じる空気を感じてしまったのです。
もしかしたら、 1996年に渡した切り絵作品の記憶が、 私の中でそう感じさせただけなのかもしれません。
それでも私は、 『★』ブラック・スターのジャケットを見るたびに、
「カズミはグレート・アーティスト。切り絵を作り続けなさい」
という、あの日の言葉を思い出します。あの日交わしたデヴィッド・ボウイとの約束を、 私は今も守り続けています。
「切り絵、作り続けてますよ!」
切り絵を作り続けながら、 私は今も、 あの時の作品を探しています。



