(短編小説)「エニシ」(『往生のままならぬ私のためのアンラッキースター矯正プログラム』)
ここんとこ狙っていた女性からのお返事は、待てど暮らせど返ってこなかった。
わたしは果敢に、熱烈な口説き文句とクールな肩透かしのカクテル、秋雨前線の下での求愛行動の雨あられ、といった華麗なステップワークを試みたものの形無しだったらしい。
ご縁がなかった。
「エニシ」が、なかった。
もうこのさいだ。手っ取りばやくやろう。袖ふれあうも他生の縁。街に繰り出せば、どこかしらでだれかしらは引っ掛けられる。こういうのには人がうんと行き交う大きな駅なんかがもってこい。朝の通勤のついでということにすれば、なおのこと都合がいい。
あくる日、そんな腹づもりで、準備万端ぬかりなく通勤電車へと乗り込んだ。手始めに車内でぎゅうぎゅう詰めになり、降車駅のホームから改札までの間でもみくちゃにされる、そのまま駅前のオオクニヌシだかの口から景気よろしく水の吹き出す噴水広場まで、押し合いへし合い出てきたなら一丁あがりだった。
まんまと二名が引っかかっていた。
肩掛けバンドの他に、意地の悪いストラップやチェーンやリングをごまんとぶら下げたこのカバンにかかれば引っ掛けなんてお手のものだ。
「あれ?なんか引っ掛かってきちゃったみたい、マジか」とショートボブのあっけらかんとしたノリの良い女の子。
「えー!わたし、この駅で降りるんじゃなかったのに!きょう朝礼あるんだよ」とむっつりした涼しげな目元のOLさん。
「あ、ごめんね。べつに引っ掛けるつもりはなかったんだけど」とわたしはすっとぼけて言い訳する。
以前に試したときのように朝から疲れたおじさんがかかってしまうこともなく、持ち主不明のビニール傘や面識のないサンリオキャラクターのキーホルダーがぶら下がっているなんてこともない。引っ掛かったのは、どちらもそれなりに可愛い女性。それに、ぷりぷりしているほうなんかことのほか好みだ。
「…で、どうする?こんなにからまっちゃってるし。ひとまずこれをほどきながらお茶でもどう?」
わたしに持ちかけられた二人は、互いに顔を見合わせる。
「うん。ウチはいいけど…」と最初の丸顔の女の子。「…どうですか?」と隣の女性にもお伺いをたてる。
…「ウチ」かあ、とわたしは思う。自分のこと「ウチ」って言うタイプかあ。むかし付き合ってた味噌乃みたいじゃん。
「うーん。ちょっと時間ないんですよね」ともう一人の女性が女の子に言う。「えっと、そもそも!なんで引っ掛けたんですかね⁈」とわたしに向かっての語気は鋭く強い。
パウダーブルーのアイホールを戴く目はとっても魅力的で、射すくめられるのも悪くない。ただそれにしても、またやけに鼻っ柱の強い女性だな。そう思いつつ、わたしはごく穏やかにこの状況を説明する。
これは故意ではなく偶然なんだということ。こちらも「引っ掛けた」つもりは毛頭なく、いつのまにか「引っ掛かった」みたいなものなのだということ。迷惑とは言わないまでも、自分もこんなことになって少々弱ってしまっているのだということ。
「…なんか、コッチが悪いみたい」
「いや、そういうつもりじゃないんだ。お姉さんが引っ掛かったのは、別にこっちのせいだけじゃないよってことなんだよ。誰がわるいってわけじゃないの。強いて言えば、あの恐ろしい満員電車のせいなんだよね。ほんと毎朝あれだもん。お互い、さすがに参るよね」
「ふーん。ま、いいや。なんにしろ、とっととはずしてくれれば」
なかなかにケンツクな女性だ。でもこうなると不思議なもので、どんどんこっちに惹かれていってしまう。
「ねえ、あっちのカフェではずしますか?」と丸顔の女の子は前向きだ。
「『スタバ』と…『ドテール』だかってのがありますけど。『ドテール』のほう行きますか?」
…なぜにそっちを選ぶかなあ。
「わたし、こんなふうに引っ掛かったの初めてだから。なんかこの状況、笑けてきちゃった。ちょっと楽しいかも!」
よし、決まった、とわたしは思い立った。そして「あー、そかそかそか」とつい口から漏れ出たという具合に話しだす。
「これってさ、最初にかかったほうがはずれやすい仕組みなのね。なんでって、初めは引っ掛かりも浅いから。それで後に引っ掛かるほど深くなって、はずれにくくなるの。浅い引っ掛かりを二人ではずすのは、それなりにライトな心の交わし合いになるから初対面ではちょうどいいくらいの『エニシ』なんだけど、はずれにくいのを二人ではずすとなるとそれはすごく深い因縁になっちゃう。それこそ、もう死なばもろとも、手を取り合って墓場まで、下手したら添い遂げられぬくらいならいっそグサリ刃物でやっちまえ!ってなくらい」
丸顔の女の子は、輪郭どころか両目まで丸くしてなかなか神妙なおももちになった。丸のなかに丸が入ったホワイトボードのベン図みたい。その顔はなかなかキュートで愛らしい。
「それでね、最初に浅めに引っ掛かったのはこちらのお姉さんのほうなんだ。君のほうは、どうやら、後から深く引っ掛かっちゃったみたい…」
だから、おウチに帰って一人っきりで外すのがなにより無難で一番だと思うな。うんうん、そうと決まればよしきた。いま君の引っ掛かっているこのリング、おもいきって根元から引き千切ってそれごと渡してしまうから。
そんなふうに、うまいこと追っぱらってしまおうとわたしは手早く考えた。さて、こういうのは決して妬まれぬよう、恨まれぬよう、慎重にあざやかにやらねばなるまい。
「あれっ?なにこれっ⁈とれたっ!」
とつぜん、丸顔の女の子が言った。
この間、彼女が頬をぷくっとやった顔にネイルをかざして眺めたり、両脚をおどけてクロスしたりしていた弾みに、どうやらするっとぬけてしまったみたいだ。
うわちゃー。簡単にははずせないなんてデタラメこいて、都合よく彼女との「エニシ」を終わらせようってな魂胆がまる見えになってしまうぞ!わたしは頭をぐるぐる巡らせてその言い訳の案出に努めた。ところが
「いぇーいラキぃー!」
と、思いがけず彼女。
「あ、じゃ、ウチこれで行きますね。お二人、ファイ、オーですよ!ファイ、オー、ファイ、オー!ファイ!」
丸顔の女の子は、とびきりの笑顔を残して飛ぶように去っていった。
わたしは、当然もう一人の女性とあっさりその場に残された。
…ええっと、どうした?みごとお前の計画どおりじゃないか。さっ、進めた進めた。
そんなふうに、肩透かしを食らってどこかちょっぴりウツロになった気を取り直していると
「行っちゃいましたね。じゃ、ひとまずあそこのカフェに行きますか?」とぷりぷりしたほうの女性。
と言っても、もうさっきほどぷりぷりもしていない。わたしと一対一になったので、女性同士で見せるための顔が必要なくなったせいかもしれない。
「『スタバ』と『ドテール』?ですかね…。じゃ『ドテール』のほう行きますか?」
いや、あんたもそっちを選ぶのかね⁈
よもや、こっちの感覚のほうがズレてるのかとさえ思えてくる。
「なーんかもうどうせ遅刻だし、ドテール?で朝ごはん食べてもいいですか?じつは今朝、食べそびれちゃってて。それだし、引っ掛かったんでなんかお腹すいちゃいました!」
とたんに、なかなか饒舌だ。
「あはは。もちろんもちろん!俺も食べよっかなあ」
「うん。食べましょ食べましょ」
わたしは、カバンとカバンに引っ掛かったこの女性とを慎重に、手厚く運搬するように足並みそろえてゆっくりと歩き出す。それにしても、あの丸顔さんの去り際の、ぱっと輝いた笑顔は可愛いかったなあ。
「あとで電話一本入れていいですか?会社におツボネさんみたいな人がいるんですけど、その人がもう朝礼につねに命かけてるっていう人で!」
「へー。厄介だね。命かけちゃってるの?朝礼に?」
丸顔さん、さっと陽が射すような明るさだったなあ。それに、インパラ並みに跳ねてくような後ろ姿を眺めたら、とってもスタイル抜群のオシャレさんだった。一緒に並んで歩いたら、こっちの気持ちもさぞかしガゼルみたいに跳ねるんだろうな。
「そうそう!そのオツボネさん、引っ掛かったのがきっかけでいまの旦那さんと結婚したそうなんです。でもー!それが、なあんか、とても引っ掛かるようなタイプじゃないんですよねー。腰なんていっつも踏ん張っちゃって、ズーンなんて重心低くしちゃって。だから、こりゃ引っ掛けた相手のほうも相当だゾ、なあんて隣のサラサさんが言うの。アレ旅順の二〇三高地あたりで、行軍中の旧日本兵の雑嚢にでも引っ掛けられたクチだゾ、だって!サラサさんってば、おもしろーい」
「あは。そのサラサさんって人おもしろいね」
丸顔さん、容姿も上等だったけど、性格もさぞかしさっぱりしていていい子だぞ。会話だってこんなんじゃなくて…きっともっと格段に面白い。
…しくじった、かな?
「あ、ところで、わたしのほうが最初に引っ掛かったってさっき言ってましたよね?それで浅く引っ掛かってるから、二人ではずすにはちょうどいいくらいの『エニシ』になるみたいな話、でしたっけ?それって、要するに『友達以上恋人未満』って、そういう話ですか?それとも、そこからの進展もアリってことですか?」
丸顔さんはああ見えてけっこう自立した性格なんだろうな。パッと切り替えてサヨウナラだもん。まったく寂しくさせるぜ。それに比べて、こっちの女性ときたら。拍子抜けするほど簡単っぽくもある。まさかメンヘラだったりしないよなあ?
「…うん?…ああ、そうそうね。それも、あるかもしれないよね」
「そっかー。まあどっちにしても、最初に引っ掛かったのを二人で仲良くはずすからいい『エニシ』になる、そういうことですもんね?」
「…うん。まま、そうね」
「あのー、おそれいります。あのー、ごめんください。ちょおっとお、ごめんください!」
「は、はい?…なんでしょうか?」
足を止めて振り返ると、定年まぎわくらいの様子のおじさんが立っている。朝からたっぷりと疲れきったようなおじさんだ。痰のからんだ声。すっかり息も切れている。
わたしは引っ掛かっている女性と二人、いったいどんなご用件だろうかとひたすら出てくる言葉を待つ。かまわない、これからいい「エニシ」をこしらえようとしているわたしたちには、それなりの時間がある。
「…あの、わたしです…。最初に引っ掛かったの…わたしです。でもあそこの大黒さんの噴水の手前んとこでね、どういうわけか、ぽろっとはずれてしまったもんだからね。やむなく、あわてておっかけてきたの。…最初に引っ掛かったの、わたしです…」
女性はとたんに興醒めしたみたいに、すんと澄ました顔になった。
彼女と二人、試しにちょいとひねってみたところ、簡単に引っ掛かりが取れてしまったのも、なんだかこちらとしては具合がわるかった。「それじゃ」と言って目も合わさずに去ってゆく横顔は、いっそ追いすがりたくなるくらいに、すこぶる魅力的だった。
…しくじった、よな?
おじさんとは連絡先を交換して別れた。
仕事を終えて家に帰って、メモでもらった電話番号を登録するまで気づかなかったが、前回引っ掛かったのとまったく同じおじさんだった。
ふむ。なかなか頼りになる、いい「エニシ」だ。
お相手のほうじゃ、まったく気がつく様子もない。
了
