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妄想日報 8月20日「江戸城」

8:47出勤。
三代続けて東京住みのユミさん。ほぼその境遇を同じくするナオさんとコチラを相手にし、田舎のないことの無念さを語る。
「だってさあ、地方出身で東京に住んでるかたって、東京にもすぐ慣れちゃって、おまけに田舎もあるんだよオ!羨ましくない?」
「たしかにねえ。わたしたちにゃあ田舎がないのが、子供たちにも気の毒よねえ」とナオさん。さらに続けてユミさんは
「それにさ、地方出身のかたって、もともと東京にいる人よりも、東京のことずっと詳しいでしょ?わたしたちより、ちゃんと情報収集してるから。モウついてけないもん!」
というのも、ユミさんがちょくちょくお茶する都内現住のお仲間。心休まる田舎もお持ちで、都会の暮らしにもメッポウ通じたその羨ましいお仲間たちは
「そそそ。『シンフォニー・クルーズ』は日の出桟橋から出てるよね!」「そかそか、竹芝桟橋のはフローティング・バーの『ジクー』のほうか!」「『ヴァンテアン』は廃業しちゃったしね」
などと盛り上がり、ほかにも「恵比寿の昔ながらのアブサンを飲めるバー」だの「ルーフトップテラスならイマは渋谷の」どうたら、「近場で天然温泉のお宿なら世田谷の代田に」こうたら、「こんどはティファニーで朝食とりたいね!」と、ヒップでスノッブな言霊をさきはわせ、ユミさんはもっぱら時間いっぱい目を回すという。
とソコへ「わかるぅー」と言いつつ、せかせかと話したげにやってきたのは太田課長。「文武両道のドーカンさん」と称されるほど、ふだんから社内の文化サークルと体育サークルの掛け持ちに忙しいその課長は
「俺はさあ、もともと武蔵国の領主の江戸氏ってのの居城があった場所に陣取って、北への守りのための築城をしたんだア。それがいわゆる『江戸城』の元になんだよオ。
当時は、イマのJR新橋駅前とかあのへんまで『日比谷入江』って言って海だったからさ。だから、昔だったら SL広場でテレビのインタビュー受けてるサラリーマンとかニュー新橋ビルで飲んでる連中なんて、みぃんな海の藻屑んなってるワケ!
そんな恵まれた地勢を生かして、そらジローのいるテレビ局側の海と、あの毎日新聞社んとこを流れてた川、国立劇場とかFM東京の立ってる山あるだろ?あっこを背にして、鉄壁の山城を構築。
コレ当時はもう流行の最先端だからな。要するに、イマで言う東京を知り尽くしたやつのすんごいのが建った。『道灌がかり』だ、なんてモテはやされてサア。
そのために、言うなれば、来る日も来る日も卓上の自前の『東京カレンダー』に印つけながら勉強したし、有益な情報があればそのつど俺の『噂の!東京マガジン』にマガジン追加してたよねえ」
と、あまり知らないどこかの文化人が、あまり知らない往時の裏話を自慢げに語るような様子の太田課長。皆が「ハイハイ、あのあたりに詳しかったおじさんなのね」というテキトーな印象のみを抱いて聞くそのお話は
「それがさ、そっから百年もした頃にアノ徳川家康が入府してきてさあ。そいで、またあのヒトたち、水運とかすげえ調べてて東京にやたら詳しいんだよオ。
『利根川が、荒川と入間川と江戸へ入る手前で合流して』どうとか、『浅草川と隅田川になって東京湾に注いで』どうとか。『こんどソレを銚子のとこで海に注ぐように流れを変えて【東遷】しようよ!』とかサア。
『小石川上水なら井の頭池を水源に』どうとか、『日比谷入江の埋め立てなら神田山を切り崩した土砂で』こうとか。もう東京の最先端すぎて、目ぇ回しちゃう。
ソレがすごすぎて、もういまや、俺んときの『江戸城』の遺構すら残ってナイんだよ!
アッチは駿府?静岡に田舎もあんのに、東京のタウン情報も知り尽くしててサア。向こうのがよっぽど遊び人!」
と、ここへいたって自慢げだったソノ話にじわり悲哀が滲む。おまけに
「イマだって、知り合いに『今週末、焼肉屋行きたいんだけど、どっかイイトコしらない?』なんて聞かれて。コッチはソレコソ『山吹のミノひとつだになきぞ悲しき…』」
そのお話は、自詠の自虐の哀切なホルモン歌によって結ばれた。
東京生まれの三人が、東京の情報の「スケールでかっ!」と思いながらも、「大人の週末」を遊びきれないソノ残念なお姿にヒドクいたく共感した。

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