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「毎日23時まで罵倒されて『生きている価値もない』と思った作業療法士が、薬なしで生きられるようになるまで」

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退社時刻は17時だった。

それなのに私は毎晩23時頃まで職場に残り、女性上司から罵倒され続けていた。

作業療法士を目指して国家試験の勉強をしながら、リハビリアシスタントとして働いていた社会人1年目のことだ。

小さなミスをするたびに怒鳴られた。毎日怒鳴られた。気づいたら「自分は生きている価値もない」と思うようになっていた。

あれから15年が経った。

今の私は薬を飲まずに生活できている。妻がいて、子どもがいる。作業療法士として今日も誰かの話を聴いている。

でも完全に「克服」したわけじゃない。今でも一人で眠る。誰かと同じ部屋で寝るのが、家族であっても、まだ少し怖い。

それでも、あの頃よりずっと生きやすくなった。

今日は、その話をしようと思う。


「小さなミス」が、命を削っていった

社会人1年目。私は作業療法士の国家試験に一度失敗し、浪人しながらリハビリアシスタントとして働いていた。

就業規則には「退社時刻17時」と書いてあった。でも現実は違った。

夕方になっても上司は私を帰してくれなかった。書類の書き方、言葉の選び方、動作の手順。些細なことを何度も何度も指摘された。怒鳴られた。否定された。

「なんでこんなこともできないの」

「あなたって本当に使えないね」

その言葉たちは、毎晩私の中に積み重なっていった。

帰り道、私はいつも無言だった。電車の中でも、家に着いてからも、ぼんやりと天井を見つめた。国試の参考書を開く気力なんてなかった。「勉強しなければ」という焦りと「もう何もしたくない」という虚無感が、ぐるぐると頭の中を回り続けた。

気づいたとき、私は「自分は生きている価値もない人間なんだ」と思うようになっていた。

これが、私のうつ病の始まりだった。


女性が怖くなった

上司は女性だった。

それ以来、私は女性と話すのが怖くなった。職場に女性の同僚がいるだけで緊張した。声のトーンが少し強くなるだけで、体がすくんだ。

今思えば、これは典型的なトラウマ反応だった。作業療法士として学んだ知識でいえば、強いストレス体験が「女性の声=危険」という誤った回路を脳に刻み込んでしまったのだ。でも当時の私にそんな余裕はなかった。ただ怖かった。ただしんどかった。

対人恐怖が強くなった私は、レキソタン(抗不安薬)を服用しながら出勤するようになった。薬を飲まないと職場に向かえなかった。

そして私はこう思った。

「もし国家試験に合格できなければ、作業療法士になるのを辞めよう」

それが当時の私にとっての、唯一の「逃げ道」だった。


救ってくれたのは、同世代の先輩だった

国家試験に、なんとか合格した。

作業療法士として初めて勤めたリハビリテーション病院で、私は一人の先輩に出会った。同世代の、男性の先輩だった。

彼は私を怒鳴らなかった。否定しなかった。ミスをしたとき、静かに「こうするといいよ」と教えてくれた。仕事帰りに話を聞いてくれた。「お前はちゃんとやれてるよ」と言ってくれた。

私はその言葉に、どれだけ救われたかわからない。

思えば、私が求めていたのはずっとそれだったのかもしれない。怒鳴られることでも、完璧を求められることでもなく、ただ「あなたはここにいていい」という言葉だった。

この3年間が、私の作業療法士としての原点になった。


リストラという転機、そして「嫌われる勇気」との出会い

リハビリ病院を経て、地元のデイケアに転職した。利用者さんとの関係は良好だった。話を聴くことは得意だった。1対1で向き合うとき、私はようやく「自分の居場所」を感じられた。

でも3年後、突然リストラを告げられた。

リハビリ部門が採算に合わなくなり、閉鎖されることになったのだ。結婚したばかりだった。これからという時だった。

正直、頭が真っ白になった。

そのとき、たまたま手に取った本があった。

「嫌われる勇気」だった。

アドラー心理学をベースにしたその本には、こんなことが書いてあった。

「他者の課題に踏み込まない。自分の課題と他者の課題を分離せよ」

「承認欲求を捨てよ。すべての人に好かれようとすることは不可能だ」

私は読みながら、何度も胸が痛くなった。

ずっと「全員に好かれなければ」と思っていた。誰かに嫌われることが怖くて、怖くて、自分を殺して周りに合わせ続けていた。噂話が聞こえると「自分の悪口だ」と感じた。上司に少し強めに指摘されるだけで眠れなくなった。レンドルミン(睡眠薬)を飲まないと朝が来なかった。

この本は、そんな私に言った。

「自分は自分でいい。あなたを嫌う人間もいれば、好きな人間もいる。全員に好かれようとするのは、はじめから無理なんだ」と。

完全に吹っ切れたわけじゃない。それでも、何かが少しだけほどけた気がした。


「逃げた」転職が、私を守った

精神科の病院に転職した。2年間働いた。精神疾患の知識は深まった。患者さんとの関係も悪くなかった。

でも、また上司との関係に苦しんだ。女性の上司だった。決して悪い人ではなかったと思う。ただ、どうしても相性が合わなかった。強めの指摘をされるたびに、社会人1年目のあの夜がよみがえった。体がこわばった。

私は転職を決めた。

「また逃げるのか」と思う人もいるかもしれない。でも今の私はこう思う。

逃げることは、弱さじゃない。

自分を守るための、立派な選択だ。

作業療法士として患者さんに「環境を変えることも治療のひとつ」と伝えてきた。それは自分自身にも言えることだった。合わない環境に居続けることが正解じゃない。離れることで、呼吸ができるようになることがある。

今の特養に転職して、私はようやく自分のペースで働けるようになった。


今の私と、それでも残るもの

あれから15年。今の私は、薬を飲まずに生活できている。

ミスを指摘されると今でも落ち込む。多人数の食事会は今でも苦手だ。そして今でも、一人で眠る。家族であっても、誰かと同じ部屋で寝るのが少し怖い。

完全には治っていない。たぶんこれからも、そういう部分は残り続ける。

でもそれでいいと思っている。

「回復」とは、完璧になることじゃない。自分なりの安全地帯を見つけて、そこから少しずつ世界を広げていくことだと、私は思っている。


あなたに伝えたいこと

もしあなたが今、しんどい場所にいるなら。

「自分はおかしいのかな」と思っているなら。

「みんなうまくやっているのに、なぜ自分だけ」と感じているなら。

聞いてほしい。

あなたを正当に観てくれている人は、必ずいる。

あなたは価値のない人間なんかじゃない。

いてくれるだけで十分だよ。

今しんどいなら、逃げてもいい。

あなたの居場所は、いつか必ず見つかるから。

16年前の自分に言えなかったこの言葉を、今日あなたに届けたくて、この記事を書いた。

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作業療法士・16年目。特養勤務。HSP・ISFJ。うつ・対人恐怖を経験しながら、今日も誰かの話を聴いています。


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